第31幕 スティナの反撃


 自分を追いかけていたロードローラーが、突然引き返す。

 スティナはその場にへたり込んで、荒い息をついた。


 口から飛び出したがっていた胃の内容物は、我慢しているうちにすっかり大人しくなっていた。

 それでも嘔吐感自体はまだこびりついている。

 身体が休息を訴えていたが、虫の知らせのようなものがスティナにそれを無視させた。


 マルヤが向こうから歩いてくるのを、スティナは見た。

 背中に背負われているのは零次だろうか。

 ただしその頭部は銀色に光る布袋で覆われている。


「よう、スティナ」


 こちらに気づいたマルヤが、ニッコリ笑う。

 その寒々しい笑みでスティナは理解する。

 この少年は、敵だ。


「最新のお洒落をさせてやったんだ。似合ってるだろ?」


 被せた袋の上から、マルヤは零次の頭を指でつついてみせる。


「おまえ、零次になにをしたのですか」

「さっきのロードローラーで、魂だけ旅に出てもらったんだ。帰りのチケットなしで」


 零次の能力も、アーミッシュ区のシステムも、スティナは知っていた。

 だからマルヤの言うことを正確に理解する。

 目の前の少年が、もはや味方ではないということも含めて。


「裏切ったのですね、海藤」

「最初から仲間じゃなかったんだ。オレからすりゃ、歴史を変えるなんて与太話を信じるほうがどうかしてる」


 零次に被せられた布袋がなにか、スティナにはわからない。

 だがマルヤが右手に取り出したものはわかる。ナイフだ。

 白く光を反射する刃をマルヤは零次の首元に近づける。


「こいつの命が惜しけりゃ――」

「それ以上、言わなくてもよい。聞きたくありません」


 スティナは両手を挙げた。


「おまえは、いま刃を突きつけている相手が見えているのですか? 零次はおまえにとって親友ではなかったのですか?」

「ああ。親友『だった』な」


 マルヤは悲しげに首を振る。


「こいつだったんだ。こいつがりん姉を殺した。犯人探しに躍起になってるオレを、動物園のサルを見るように笑って眺めてやがったんだ!」

「そんなはずはありません、なにかの間違いです! 袴田零次は、そんなことをするような人間ではないはずです!」

「うるせえ! こいつのことは、オレが1番よくわかってんだよ! 知った風な口を利くんじゃねえ!」


 その相手に長らく騙されていたくせに――と軽口を叩ける空気ではなかった。

 下手に刺激すれば、震えるナイフは本当に零次の喉元を斬り裂いてしまうかもしれない。


「おい、そこでなにしとるんじゃ?」


 老人が3人、集まってきた。

 いずれも手や足に転倒防止の補助器具をつけている。

 マルヤを取り押さえてもらうといった手助けは期待できそうにない。


「な、なんじゃこりゃあ!?」


 矢鶴の死体に気づいた1人が声をあげ、腰を抜かした。

 1人の股間に染みが広がる。


 マルヤは溜息をついて、懐から手帳を取り出した。

 その表面に刻まれた紋章は、エルロックが持っていた身分証と同じもの。

 協力の報酬としてエルロックから贈られた、公儀探偵助手としてのIDカードだ。

 その効力は実証済み。

 ただ手帳を見せびらかすだけで、ふんぞり返った大人たちが夷民の少年に対しうやうやしく媚びてくれることを、マルヤは先日体験したばかりだ。


「騒ぐんじゃねえよ、くたばりぞこないども。公儀探偵だ、さっさとどっかにいけ」

「こーぎー、たんてぇ……?」

「なんだか知らんが、誰がくたばりぞこないじゃ!」

「それ、本物かい?」


 ここが他の場所なら、手帳が本物であることは相手のワイズチップが一瞬にして保証してくれただろう。

 しかしここはアーミッシュ区だ。ワイズチップなどないのが当たり前で、ゆえに老人たちは、目の前の子供が本物の公儀探偵助手とは見なさなかった。


「なんだか知らんが、その子と喧嘩しとるのかい」

「そんなこと言っとる場合かタケさん! 死体じゃぞ死体!」

「なんまんだぶ……」


 騒ぎを大きくされてはたまらない。ブン殴ってでも黙らせるか、とマルヤが思ったとき、ドアを勢いよく閉める音が響いた。

 スティナがいなくなっている。さらに、さっきまで半開きだった矢鶴の部屋の入口が固く閉ざされていた。


「逃げるな、おい――」


 いったん零次をその場に降ろし、部屋の前へ。ノブをひねる。ガチンと施錠された手応えが伝わってきた。


「こんなもので、立てこもったつもりか。――忍法ニンジャクラフト腕力強化の術ゴリラ・アプリ


 ドアノブは呆気なく引き千切られた。


 マルヤがエルロックからもらったのは探偵手帳だけではない。

 彼の所有する忍法帖のコピーを、マルヤは既に手に入れていた。

 あくまでコピーである。エルロックの機嫌次第でいつでも取り上げられてしまうようなものだが、普通に使うぶんには問題ない。

 銀兎会を潰すことができればオリジナルが手に入る。そういう約束だ。


「やっぱすげえな、マギアプリは。これが完全にオレのものになるってんなら、なんだってできる。なんだって、1人で――」


 もう不実な友人などいらない。寄せ集めの仲間も、大人の庇護も。

 本当の意味で、自分1人の足で立つ人間になれるのだ。


「さあ――出てきなよ、お嬢さま?」


 部屋には誰もいない。

 だがテーブルを蹴り飛ばしたとき、みし、と木材の軋む音が押し入れから流れた。


 そういえば、前にもこうやって隠れたことがあったっけ――。

 懐かしさを伴う記憶が胸をちくりと刺したが、マルヤはそれを無視した。


「無駄な抵抗はやめろよ、おさかしいお嬢さんならわかんだろ? どうせ、銀兎会もすぐにみんなまとめて閻魔の前でハンコ待ちだ――」


 静かに押し入れに近づき、襖に手をかける。


 幼女はその奥で、なにもできずにガタガタ震えているに違いなかった。

 マルヤの顔がサディスティックに歪む。


 だが、幼女を一気に引きずり出そうと襖を大きく開け放した途端、幼女の形をした砲弾がマルヤに体当たりをくらわせた。

 スティナが腰だめに構えたビール瓶が、マルヤの鳩尾にめりこむ。


「がッ――」


 マルヤの身体がくの字に曲がる。

 勢いのあまり床に転がったスティナは間髪入れず立ち上がり、敵に向けてビール瓶を振り下ろす。

 咄嗟に掲げた右腕に衝撃が襲いかかり、マルヤは悲鳴をあげた。


「Dra åt helvete!」


 すぐさま、下からすくい上げるように追撃が放たれる。

 ビール瓶によるアッパーカットをもろに食らったマルヤは、そのままひっくり返って動かなくなった。


「……零次」


 スティナは瓶を捨て、外に出る。

 壁にもたれて座らされた零次を、さっきの老人たちが取り囲んでいた。

 1人がスティナに気づいて、ほっとしたような顔をする。


「ああ、あんた。この子、どうしたらいいんかねえ」

「御自分で考えたらいかがですか?」


 老人たちにかまっている余裕はない。

 スティナは袋の口に手をかけた。一気に引っぺがす。

 零次は眠っているようだった。


「起きなさい、零次。袴田零次!」


 零次は一向に目を覚ます気配がない。

 彼を目覚めさせるには、袋を剥がしただけでは駄目だ。

 外界からの通信を拒絶するこの空間に、怪盗マリウスの魂を引き込まなければならない。

 そのためには、零次の肉体をアーミッシュ区から連れ出さなければ――。


 スティナは少年の腕を取り、肩に回した。

 そのまま担ぎ上げようとして、だが浮かせた腰は引きずられるように地面に落ちる。


「可愛らしい身体なのに、やっぱり男の子なのですね、零次は……」


 零次を区外まで運ぶのは、スティナには無理だ。

 老人たちはあてになりそうにない。


(お母様。わたくしはどうしたら――)


 ――スティナ。あなたはなにがあっても生き延びねばなりません。我々には自分の命を自分のために使う権利はない。血の一滴まで国民のために消費する義務があります。国家と臣民への奉仕、それ以外の理由で死んではならない。


(そうだ。今のこの世界で死ぬことは、国家への貢献たりえない)


 ――目先の損得ではなく、百年二百年、子々孫々の幸福をこそ優先しなさい。わかりますねスティナ?


(零次、すみません。わたくしはなにを犠牲にしようとも、元の世界に戻らねばならないのです)


 銀兎会はもうすぐ滅ぶと、マルヤは言っていた。

 マルヤの今の仲間が銀兎会を襲撃しようとしているなら、すぐに報せなければならない。

 ……袴田零次1人に構っている場合ではない。


 スティナは立ち上がって、空を見上げた。

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怪盗血へどろジュブナイル~肉壁電脳世界と忍者と邪神とたまに人型兵器~ 鯖田邦吉 @xavaq

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