第29幕 怪盗、還らず
ロードローラーの電夢境は、大腿骨で組まれた建設途中のビルに似ていた。
大腿骨はひとつが5メートルはあるもので、こびりついた肉や引っかかった臓物から赤い雫が雨漏りのようにぽたぽた落ちる。
天を見上げても、組まれた骨が無限に繋がっているばかりで、空は見えない。
急カーブを描いて、光るものが飛んできた。マリウスのすぐ横にあった骨に突き刺さる。
それは六芒星をかたどった――
「
マリウスの斜め上にある大腿骨の上、赤いニンジャが
その金色の兜を見た瞬間、少年は自制心の手綱がぶちんと千切れる音を聞いた。
ああ。今になってようやく、零次はマルヤの気持ちを真に理解できたのかもしれない。
「死ねよ!」
ゼロコンマ2秒前にボフリーの頭があった位置を、大きく伸びたサーペントシミターが通り過ぎる。
「おお怖い怖い。たいした殺気だ!」
「喋るな。おまえが口にしていいのは、懺悔と、悲鳴と、断末魔だけだ!」
(零次君、ロードローラーは現在、区外に向かって移動中だ)
マリウスはスティナのワイズチップがまだ生きているのを確認した。
にもかかわらず、ボフリーは重機ごと逃げようとしている。
(ロードローラーが区外に出てしまえば、君は元の身体に戻れなくなってしまう。お優しい誰かが君の肉体を運び出してくれないかぎりね。急ぎたまえ)
ボフリーが投擲した手裏剣を、マリウスはサーペントシミターで叩き落とす。
しかし手裏剣は囮。赤い忍者が
「マジンナリィ・フレンズを呼び出す暇は与えん!」
「!」
怪盗は別の骨へ跳ぶ。
だがそれこそ敵の狙いだった。
急制動をかけた忍者は、いまだ空中にあって身動きのとれぬマリウスに苦無を投げつける。
(交代だ、零次君!)
ボフリーの攻撃をマリウスは予測していた。
あらかじめ捻りを加えて跳んだ身体が敵と正対したその瞬間、袖から飛び出た
その中を、遅れて撃ち込まれた一発の銃弾が直進する。
ボフリーはひとつ後ろの足場へ跳び退った。標的を逃した弾丸は骨の上ではねて、小さな火花を虚しく散らす――否。跳弾は赤い忍者にとって返す。
「なんだと!?」
伯爵は弾丸の跳ねる角度さえ考慮していた。
忍者の右腿に弾丸が溝を作り、装束の裂け目から鮮血を迸らせる。
「うおっ!」
バランスを崩したボフリーは足場から滑り落ちた。
虚空に投げ出される刹那、忍者はツタのようにぶら下がる大腸をつかみ、落下を免れる。
しかしほっと息をつけたのも束の間。刃の鞭を振りかぶる怪盗の姿が、赤い忍者の目に飛び込む。
「もらったぞ!」
「どうかな?」
マリウスの渾身の一撃は、だが黄金の岩塊に受け止められていた。
やはりマリウス単体の腕力では、黄金石の護りを突破しえない。
「ならば、
(――いや、残念だが、もう重機が外に出る。今回はここまでだ、零次君。報復は次の機会にしたまえ)
「…………」
マリウスは帰還手続きを実行――できなかった。
視界に『送信先にアクセスできません』という無情なメッセージが表示される。
「馬鹿な……!?」
ロードローラーは、まだアーミッシュ区から出ていない。
なのに、自分の肉体とアクセスできない。
帰ることができない。
「どうしたね、袴田君?」
マリウスの隙を突き、ボフリーは再び足場の上に舞い戻った。
目元が笑っている。マリウスが現実に帰還できなくなったのは彼の仕業らしい。
いったいどうやったのか――もちろん、この忍者が教えてくれたりはしないだろう。
「さあ、ここからは彼らに遊んでもらうがいい」
ボフリーが印を組み一喝。その両脇に奇怪な生き物が現れた。
一方は人間と
徹夜6日目で疲労困憊の造物主が居眠りしながら
(使い魔。陰陽師の式神を、より戦闘に特化させたものだ)
「シャアアアア!」
ハサミのように鋭い牙を大きく開き、四つん這いになった剣歯虎人間がまっすぐに跳躍。
一方で亀人間はその場にうずくまる。前後左右非対称の位置から伸びた不揃いの手足を踏ん張って、フジツボを思わせる甲羅の突起から火炎弾を発射。
飛び移ろうとした足場が砕け散る。
慌ててその場に踏み留まったマリウスの首筋を、肉食獣の鼻息がくすぐった。
「く……!」
しゃがむ。頭上で噛み合わされた獣の牙ががちんと鳴った。
すかさず突き上げた足の裏は、だが剣歯虎の顎を打つことはない。
寸前に大きくとんぼ返りした剣歯虎は、はるか上にある骨へと着地。マリウスを見下ろし、嘲笑うように吠えた。
「じっくり遊んでもらうといい――君の脳味噌が溶け崩れるその瞬間まで」
ボフリーは近くにあった導力脳に雷撃を放つ。
生臭い臭気とともに脳髄が炭化。同時に、周囲に異変が起きる。
骨にヒビが入り、肉がみちみちと裂け、
(ロードローラーの電夢境が破壊された。早く移動しろ、一生出られなくなるぞ!)
ロードローラーは区外に出てしまったらしい。
高笑いを残してボフリーは消えた。
周囲にある物体が急速に腐食していく。ロードローラーの電夢境が死につつあるのだ。
まだ通信機能が生きている間に、マリウスは近くにある別の機械の電夢境へ移動。
そこから自分の身体へ帰還――は、やはりできなかった。
(ロードローラーそのものに細工がされたわけではないようだ)
対策を考える暇はない。使い魔達が追いかけてきたからだ。
野獣さながらに飛びかかってくる剣歯虎人間に、砲弾を撃ってくる亀人間。
マリウスはネットワーク上を手当たり次第に逃げ惑う。
だが剣歯虎はどこまでも追いかけてきた。
その攻撃をしのいでいる間に、亀もすぐに追いついてくる。
「ぐっ!」
左腕に牙が食い込んだ。骨が噛み砕かれ、筋繊維がぶちぶち裂けていく。
ぶちん、という衝撃。左半身の重量がふっと軽くなった。
素早く飛び退り、大きく距離を取る剣歯虎人間。
その
黒いロングコートの袖に包まれた白い腕を、剣歯虎人間はぷっと吐き出し、笑った。
「……捨てるくらいなら、取らないでもらいたい……」
止血しながらマリウスは苦笑いする。
その耳に、奇怪なメロディーが流れてきた。
「あれは……」
膿が川となってせせらぐ肉の丘を、歌いながら行進する一団がある。
ガァニ=ルドドの群れだった。使えもしない翼をぴくぴく揺らす類人猿もどきたちは、ピクニックの真っ最中のようだ。争う怪盗と怪物に気づいて、奇妙に折れ曲がった指をさして囃したてる。
零次はその中に突っ込んでいった。直前でジャンプし、1メートル少しの高さしかないガァニ=ルドドの頭上を飛び越える。
剣歯虎はそうしなかった。2匹のガァニ=ルドドを体当たりで押し潰し、まっすぐ獲物を狙う。
しかし。
剣歯虎の足を、1匹のガァニ=ルドドがつかんだ。
かまわずに引きずっていこうとする剣歯虎だったが、更に数匹の冒涜的類人猿たちがしがみつく。
剣歯虎は前に進めないどころか、その場に押し倒され、動きを封じられた。
醜悪な類人猿たちがうがいのような咆哮を上げる。唾液で光る鋭い牙が、飛び出しナイフのように歯茎から伸びた。それは易々と剣歯虎の肉を噛み千切る。剣歯虎は悲鳴をあげた。
相棒を救出しようと、亀人間はガァニ=ルドドたちに砲撃を加える。
しかしそれは、ガァニ=ルドドを怯えさせるどころか、かえって闘争心に火を点ける。
類人猿たちは散開して亀人間を包囲し、接近。
亀人間は慌てず1体1体潰そうとするが、ついに1体のガァニ=ルドドがその首筋に噛みついた。
サーペントシミターでは傷1つつけられなかった甲羅を、怒りに駆られる名状しがたい類人猿の拳があっさり砕く。
(……ガァニ=ルドドは)
解体されていく使い魔たちを気の毒そうに見ながら、伯爵は言った。
(普段は我々を見物し、嘲笑うだけの無害な生物だが、少しでも傷つけられれば電夢境最強の殺し屋となる。喧嘩を売る相手は
勝利したガァニ=ルドドたちが去っていく。
仲間の死骸は放置したままだ。埋葬の文化はないらしい。
(安心している場合ではないよ零次君。なぜ我々が肉体に戻れなくなったか。おそらく君の身体がどうにかされたのだ。非常に言い辛いんだが、考えられる下手人は、おそらく――)
「わかっています。ぼくと赤い忍者が戦いだしてから、現実世界では5秒と経っていないはず。その短時間でぼくになにかできるのは、ただひとり」
自分でも驚くくらい、零次は落ち着いていた。
「……犯人はマルヤだ」
電夢境から戻れなくなる。それが零次の命に関わることだとマルヤは知っている。
つまり――マルヤは本気だ。本気で自分を殺しに来ている。
(今できることは、肉体とのリンクが復活次第、自動送信されるようにしておいたうえで、思考速度を極限まで落とすことだ。わかりやすくいうと、一種の冷凍睡眠だな)
零次の肉体が限界を迎える前に、スティナか銀兎会が助けてくれるのを祈るしかない。
その前に赤い忍者に発見されたら、今度こそ終わりだ。
他に方法はない。マリウスは目を閉じる。
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