祈りが届いた経験、あるわけない

朝から雲一つない青空に恵まれていると、不思議な気持ちになる、とわたしは考えた。

当たり前に降り注ぐ太陽光を見ていると、晴天のありがたみなんてすぐに忘れてしまうものだ。

けれど、昨日のように雨が降っていたらどうだろうか。または、どんよりとした曇り空だったら。ましてや、吹き降りだったりしたら?

わたしは一人で傘をさしながら、靴と靴下を雨に濡らしながら、雨水を吸った服が重たくなって、少し惨めな気持ちになりながら住宅街を歩くのだ。

邪魔臭い傘を投げ捨てたい気持ちを抑えながら、早く止んで欲しいと神様に祈ったりして、空からの大洪水に難癖をつける。


そんなことを空想した。けれど、実際はこんなにも素晴らしくてあっけらかんとした青空が広がっている。

いくら願ったところで、この最高の晴天が変わらないように、隣にいる存在は変わらない。

わたしは数日ぶりに制服を身にまとい、学校までの道のりを約一ヵ月ぶりに自分の足で歩いていた。きちんと外に出るのは一週間ぶりのことだ。

学校指定のセーターを着て、生脚を通り抜けるひんやりとした風を感じながら、ローファーでコンクリートの道を踏み締める。

隣の存在……先輩はハンドルを掴み自転車を引き摺りながらニコニコと笑っていて、純粋に気持ち悪かった。気味が悪いと言い直しても良い。


あんな酷い仕打ち。人間を人間として見ない犬扱いをされたのに先輩は相変わらずわたしの家の前にいた。

朝そのものを背に浴びて、一般的に見たら爽やかと分類されるであろうオーラを撒き散らしながら、先輩は立っていたのだ。

付き合っていた時と同じように、自転車を脇に置いて、それが当たり前だとでも言うように、わたしに笑いかける。

先輩の瞳からは昨日見たような仄暗さが消え失せていて、それが余計に不気味で、わたしは眉を顰めた。

当て付けのように露骨に顔面へ感情を乗せたのだ。

先輩は自転車には乗らずに、わたしに歩調を合わせて歩いている。


手で押すくらいなら乗って漕いだ方が楽だろうに、先輩はわたしに合わせてわざわざ面倒臭い方法を選んでいるのだ。

自ら選んだこと、押し付けがましさがないところがむしろ余計に腹が立った。

先輩と付き合っていた頃はあまり気にならなかったけど、というか気にしないようにしてたけど、先輩は基本的に自分の話をしない。

わたしのことを根掘り葉掘り聞いて、時には質問責めにするのに、先輩は自分のことを尋ねられると、いつだってやんわりと話題を変えてはぐらかすのだ。

「帰りは、一人で帰りたいんだけど……」

「危ないから、迎えに行くよ」


話が通じてない、今に始まったことじゃないけど。

わたしはわざと聞こえるように舌を鳴らしてから、校門で先輩と別れた。

先輩が駐輪場に自転車を停めている間、下駄箱で上履きに履き替えて廊下を通る。

それから、階段を上って、ふと考えた。

うちの高校は、一階に二年生の教室があって、二階が一年生の教室で、三階を飛ばして四階に三年生の教室が存在する。

わたしが言うのもなんだけど、おかしな教室の使い方をしていると思う。

学校の創設者に理由を聞いてみたくなる。

小指の爪ほどの小さな好奇心だ。

わたしは校長と楽しく雑談が出来るほどの対話能力を持ち合わせていないし、真相は闇の中だけど。


教室と廊下の境界を跨いで、自分の席に腰を下ろすと、視界に入った空白に、わたしは目を瞬かせる。

正確には白くないし、むしろ薄汚れていて、それはシンプルに言えば教室の床で、座り慣れた場所の見慣れた景色には穴が空いていた。

つまり、あるべきものが無い。

だから、わたしは空白と表現した。

もっと、わかりやすく言うと、りーちゃんの机と椅子が一式まるっと無くなっていた。

ピンクの悪魔に吸い込まれてしまったのかと心配になるレベルに綺麗さっぱり消えている。


わたしは首をあちこちに動かして、辺りを探したけど、見当たらない。

りーちゃんの席どころか、りーちゃん自身が見当たらないのだ。

冷水を浴びせられたようにぞっとした。

わたしは気を紛らわすようにスカートの端をぎゅっと握りしめる。

そして、唐突に周りの人間が怖くなって、自分の身を守るように縮こまって俯いた。

誰かに追われてる訳でも無いのに、長い間逃げ走ったように息が苦しくなる。

視界が揺れて、意識がぼうっとしてきた。

「敷島、お前、平気か?」

肩を叩かれて、猫のようにびくりと肩が跳ね上がる。いきなりのことだった。


のろのろと顔を上げると、視界に映るのはメガネ越しの蒼眼に心配を浮かべた男子生徒。

クラスメイト、だと思う。多分。

名前はわからないけど、見たことがあるような気がした。

うろ覚えだけど。

わたしが黙りこくっていると、男子生徒は困ったように頭をかいて、短い唸り声を上げると、きまり悪そうに唇を尖らせた。

「もしかして、覚えられてねーの?おれは樋口(ひぐち)だよ。樋口亮太(ひぐちりょうた)。Do you understand?please repeat after me!(理解出来た?繰り返して!)」

男子生徒こと、クラスメイトの樋口くんは非常に良い発音でわたしに話しかける。


英語だ。言ってることは、ニュアンス的にかろうじて分かる。一応。

むしろ、英語教師よりも聴き取りやすい発音だ。

そういえば、うちのクラスには帰国子女が居るとか居ないとか……もしや、樋口くんのことだろうか。

気になった。聞いてみよう。

「樋口くんって、帰国子女?」

「そうだけど?え、そっから?おれって、それなりに有名人を自称してるんだけど」

「え。ごめん……あんまり、よく知らなくて」

「まァ……いーけど。敷島って周りに興味無さそうだし、そういうところ、おれは可愛いと思うし……」


「ご、ごめんなさい……わたし、周りが見れなくて……」

「そんな謝んなよー。怒ってねーし、傷ついてもねーからよ。まァ、もうちょい、おれに関心を持ってくれたら嬉しーな」

「は、はぁ……」

言って、樋口くんはわたしの机の上に両肘を乗せて頬杖をつく。

なんだか、色々な意味で距離が近い気がする。不思議と嫌な感じはしないけど。

「敷島さァ、彼氏と喧嘩でもしたの?」

「……別れたから、もう彼氏じゃないよ」

「えッ!I could be your boyfriend!(じゃあ、おれが彼氏になるよ!)」

「え?」

わたしの言葉に、樋口くんは目を見開いて英語で何かをまくしたてた。

ごめん、早口で何を言っているのかわからない。

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