その目に映る景色は
寺に変わった人が来て、数日がたった。
その人は絵描きなのだと言う。初日に絵を描いて貰ったという子たちは、それはそれはとても嬉しそうに、様々なものが描かれた紙を大事そうにしまっていた。
朱は小さい子たちが彼に引っ付いているのをいい事に、寺の掃除や畑の様子を見ていた。時折、飽きた子たちや数人いつものように話しかけに来るが、いつもよりまばらなので、仕事は思いの外捗った。
「朱ちゃんは、書いてもらわなくてもいいの?」
小さい子たちは、自分が描いてもらった画を抱えながら、朱のところにも来た。
「……私は、いいよ。その分、描いてもらいな」
興味がないといえば嘘になる。だが、自分が絵をみたところで、綺麗に彩られた色彩など分からない。描くことを生業としている彼に対し、それは失礼だと思った。
それから数日は、その絵描きの彼も、子どもたちに付き合い1日中絵を描いているようだった。
夜になり、子どもたちが寝静まったあとも時折蝋燭の灯りが揺れているので、何度か部屋へ入用がないか聞きに行った。
ある日、初めて絵描きの彼から声をかけられた。
「よかったら、店を案内して欲しい」
そろそろ立つために、ものを揃えるのだと言う。幸代に聞いたら、手伝いも今は特に不要とのことで、朱は直彦の案内役として町へとおりて行った。
買い物は、朱が思うより時間がかかった。目的の店に着いてからの買い物時間より、そこに辿り着くまでの時間の方がかかっているはずだ。
なんせ余程町の有様が珍しいのか、数歩歩く度に直彦が立ち止まってしまうのだ。それにつられ、朱も必然的に足を止める。
帰りの道も似たようなものだった。子どもたちと一緒に町に下りるのと同じくらい疲れたかもしれない。
「ちょっと待って」
そろそろ帰らないと夕飯の手伝いの時間になる。朱はそう言おうと思ったら、直彦は近くの露店に向かってしまった。
まだ子どもの朱が言うのも何だが、大きい子どもみたいな人である。
「はい、これ」
そう言って手渡されたのは、ここら辺では有名な揚げ菓子だった。
「今日案内してもらったお礼」
「……ありがとうございます」
まだできて間もないのか、ほんのりと温かい。夕飯前におやつを食べることなんて滅多にしないので、ちょっとした背徳感がある。でも、おいしそうな匂いには抗えない。
ひと口、さくっと音が鳴る。久しぶりに食べたので、少し懐かしいと思った。
「うまいな、これ」
「この辺ではみんな食べてます」
「なんて贅沢な」
そう言いながらも、直彦はお上りさんのように辺りを忙しなく見渡していた。
何とか寺の下の階段まで来て、朱は心底ほっとした。あまりにも時間がかかったので、まだ帰れないのかと思ってしまっていた。
長い階段を重くなった足を無理やり動かして歩く。中ほどまで進んだところで、後ろを着いてきているはずの直彦がやけに静かだと思った。
振り返ると、彼は少しばかり下の段にいた。上る足を止め、眼下に広がる町を見下ろしている。
声をかけようとしたが、かけられなかった。 おそらく今の時間帯なら夕日が綺麗に見えているのかもしれない。朱からしてみれば、それすらも色褪せたもので、見入るほどの景色でないが、絵描きの彼にとっては何か感じるものがあるのかもしれない。
「……綺麗ですか?」
朱は思わず尋ねてしまった。直彦がゆっくりと振り返る。
「あぁ、初めて見る、綺麗な夕日だ」
眩しそうに目を細めそう言った。朱は「そうですか」としか言えなかった。それ以上、言葉を持てなかった。
「……君の目には、どう見える?」
少しして、いつの間にか朱の隣に登ってきていた直彦が尋ねた。もしかしたら、他の子たちや幸代から、朱のことを聞いているのかもしれない。そのための問いだと思った。
「……ただの、景色です」
朱からしたら、色のない、ただの景色だ。だけど、ほんの少し、ほんの少しだけ、この景色はいったいどんな色をしているんだろうと思った。
「……そうか」
彼は短くそう呟いた。
その後お互い声を発することなく階段を上っていく。
ようやく登り終える、そんな先に直彦は「なぁ」と声を発した。
「はい」
「奉公先は決まってるのか?」
あまりに唐突な質問だった。
朱くらいの年なら、確かにどこかに奉公に出されてもおかしくない。だが、預り寺の者が働ける場所はかなり少ない。猫の手も借りたいほど忙しいなど、折がないと話はこない。
実際、朱に奉公の話が来ているのかは分からない。来てるとしたらお坊さんか幸代が知ってると思うが、この病気のこともあるのでかなり限られると思っている。
そんなことを考えているとは露知らず、直彦はさらに驚くべきことを口にした。
「絵師になる気はないか?」
美しき世界 碧川亜理沙 @blackboy2607
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