飲んで呑まれて

雪波 希音

ただ、一緒にいたいだけ

 会えない時間が長いほど、会いたくなる。


「はー……」


 俺は閉じたパソコンの上に突っ伏し、深くため息を吐いた。

 顔を横向きにし、スマホをいじっていると同僚から声がかかった。


「またかお前」

「『またか』とか言うんじゃねえよ」

「だって一日に何回かはそうなってるだろ。さっさと告白して付き合えばいいのに」


 それができたら苦労しねえよ!!

 社内なので叫びたいのをこらえ、スマホを持っていない手を強く握りしめる。

 同僚は片手にあるコーヒーを口にすると、俺の顔を見下ろしながら言った。


「正直脈ありだと思うけど。誘ったらほぼ毎回飲んでくれてんだろ」

「……飲んでくれてるけど……それは」


 恋愛じゃなく、友達的な「好き」かもしれないし。


 一年前、あいつが第一希望として受けた会社の就職試験を、密かに俺も受けた。

 会場で出会ってしまって誤魔化すのが大変だったが、まぁ今はいい。


 そして結果――あいつは内定を貰い、俺は落ちた。


 別々の会社で働き始めると、顔を見るどころか関わることもなくなった。ラインで話すにしたって切り出し方が分からないのだ。大学生の頃は、構内で顔を合わしたし行事もあったから自然に話しかけられたけれど。

 それでも、なんとかして会いたい。考えに考え抜いて、送ったのがこれだった。


“今日の夜、飲み行かねえ?”


「……あ、思い出してたら送っちまった!」

「どうせ送る予定だったんだろ。いいじゃん」

「い、いいかどうかは……」


 その時既読がついて、返信が届いた。


“いいよ”


「…………」

「よかったな」

「はっ、見た!?」

「お前の顔をな。つか見られて恥ずいことでも送ってんのかよ」


 ……っこいつ、俺がそういうことを送れないって知ってて言ってやがる……!

 バッと起き上がって振り向いた時には同僚は自分のデスクについていて作業を始めていた。

 気勢をそがれた俺は、彼に背を向けて仕事用のパソコンを開いた。

 今夜、残業にならないために。



 ◇◆◇



 バーのカウンター席で酒を頼み、二十分ほどで待ち人は来た。


「よ」


 こちらに歩いてくる彼女を向いて片手を上げると、目が合い、どきりとする。

 しかし彼女はすぐ視線を外して、何も応えずに俺の右隣に座った。

 ……こういうこととか……よくあるから、自信持てねえんだよな。

 すっかり聞き慣れた彼女の注文の言葉を聞き、やっぱ最初はそれなんだな、と思いながら彼女を理解しているような気になってくる。


「なにニヤニヤしてんの?」

「え……なんでもねえよ」


 やべえ顔に出てたっぽい。下がれ俺の口角。

 右手の親指と人差し指で口の端を押さえ、下へびろーんと伸ばすと彼女が吹き出した。


「あははっ! いつもより面白い顔してるよあんた!」

「は……っ、はぁ!? てめえそれ、いつもの俺の顔も面白いって言ってんじゃねえか!!」

「つまんないよりいいじゃん! あははっ」


 大笑いする梨乃りの。可愛いとか思ってしまっていて、本気で反論できないのを声の大きさで誤魔化していることがどうか、バレませんように。


朔真さくま、それ何杯目? 一?」

「おう。まあもう飲み終わるから次いくけど」


 俺はグラスに残っていた酒を呷り、同じものをもう一度注文した。

 梨乃が声を出さずに笑った。


「あんたそれ好きだよね」


 好き、という単語にドキッとして、次に憶えてくれている嬉しさが上がってくる。


「まあな。お前も好きだろ」

「うん。飲みやすいし、好き」


 ――だから、好き好き言うなって……!

 自分から促すような返しをしたくせに身勝手にも心の中で逆ギレしてしまって、ため息をついた。


『お前のことも好きだよ』


 なんて。


 言えない。こいつにだけは、素直になれない。



 酒を飲みながら、色々なことを話した。

 最近あった笑える出来事やどこかで聞いた話、会社が違うゆえに言い合える職場での愚痴。楽しくて、つい今夜も飲みすぎてしまった。


「ねぇ、大丈夫? そろそろやばいんじゃない?」


 呂律が回らなくなり、思考も鈍ってきたあたりで、梨乃が心配するように俺の顔を覗き込んだ。

 少し近くなった距離。俺を気遣う梨乃の表情と言葉。


「帰ろう。全然答えられないくらいだし」


 ……帰る?

 なんで。……嫌だ。俺はまだ、帰りたくない。


 まだ、お前と一緒にいたい。


「朔真、立て――」


 る、と言った声は、彼女の唇を塞いだことで俺の口内に落ちてきた。



 ◇◆◇



 翌朝、俺はベッドで目を覚ました。

 視界に映るのは白い壁。いつもの光景。


「……頭、痛え」


 これもいつものことだ。ベッドを降りて、壁際の冷蔵庫へ近付く。

 開ければ、二日酔いのために買いだめしたペットボトルの水が何本も冷やされている。

 その中の一本を手に取り、冷蔵庫を閉めて一気に飲んだ。

 はぁ、と息をついて、昨夜を思い出す。


 ……楽しかったな。前回飲んでから三日空いたから、その分話題も溜まってて喋りっぱなしだった。

 次はいつ誘おう。明日……は早えよな。また三日空けるか。


 ……長えなあ。三日。


 ひとり苦笑いして、ペットボトルを専用のゴミ箱に投げ捨て、部屋に戻った。






 そして三日後、俺は梨乃にラインを送った。


“今日の夜ヒマ? 飲み行こーぜ”


 だが、いつもなら早くつく既読がいつまでたってもつかない。

 おかしいな。あいつ、緊急だったらいけないから、バイブで通知入れてて気付けるようにしてるって言ってたのに。


「……ま、いいか」


 忙しくて気付かないこともあるだろう。俺は心の隅に生じた違和感には見て見ぬふりをして、仕事に戻った。




 未読状態のまま、三日、四日……一週間が経った。


「くそっ、なんでだよ……!!」


 俺はいつものバーで、カウンターテーブルに空になったグラスを叩きつけた。

 すぐさま次を頼み、運ばれてくるまでの時間を苛立ちを募らせて過ごす。


「お待たせしました」


 控えめに置かれたグラスを奪うように掴み、微塵も酒を味わわずに呷る。


「もっと寄越せ!!」


 グラスでテーブルを叩いて怒鳴ると、ウェイターが驚いたように肩を跳ね上げ、「かっ、かしこまりました!」と怯えた返事をして俺から離れていった。

 再度待たなければならなくなり、身体中を煮えたぎるように熱くさせる苛立ちはとどまるところを知らない。


「っんで返信ねえんだよ……そもそも見てねえんだよ!!」


 せめて返信してくれれば、また誘うことができるのに。見てすらいないのでは、ただ待つ以外何もできない。

 どうして急に未読無視なんかするんだよ。俺が何かしたのか……!?

 あの日の夜はいつも通り話して、いつも通り笑い合って、そんでいつだか分からねえが家に帰っててベッドで目え覚ました。全部それまでの夜と変わらねえじゃねえか。

 俺が何したってんだよ……!!


「お待たせしました……ですがお客様、このあたりでお止めになった方がよろしいかと……」

「うるせえ指図すんな!!」


 ガッとグラスを掴み、中身を一気に飲み干してテーブルに叩きつける。

 瞬間、ぐらりと脳が揺れるのを感じた。

 体に力が入らなくなって、前へ倒れる。


「お客様!? 大丈夫ですか!? お客様……お客様!!」


 誰かの焦った声が遠くで響いている。どんどん遠くなって、やがて聞こえなくなった。

 数秒後には、こんな風に考える「俺」も、消えてなくなった。



 ◆◇◆



“なあ、今日の夜飲まねえ?”


「…………」


 私は今しがたロック画面に通知されたラインのメッセージを見つめた。睨んだ、の方が正しいかもしれない。


 送信者は朔真。定期的にラインで飲みに行かないかと誘ってくる、大学の頃の同級生。


 こいつは酒を飲みすぎると飲みすぎてからの記憶がなくなるタイプで、飲む都度私にさんざんキスやらをしておいて、次の朝になれば全て忘れている。

 最低な男だ。最悪な奴だ。


 ……なのに。


「よお」


 ――朔真がいるバーに、足を運んでしまう。


 目が合って、私はすぐに逸らした。……今から隣で飲むのに、意識なんてしてられないから。


「もうすごい飲んでるじゃん。ペース早すぎ」

「うるせ、今日は嫌なことがあったんだよ」


 朔真の隣の椅子を引いて座る間にも、朔真はグラスに口をつけ、酒を喉へ流し込む。

 本当飲むの早いな。……今日は、もう早くからキスとかしてくるかな。


 いや、期待とかじゃないけどね!?


「じゃあここからはゆっくり飲もうよ。私今来たばっかだし、先に潰れられたら困る」


 言い終わった直後。朔真の顔が迫ってきて、後頭部を手で押さえられながら唇を奪われた。


「ん……」


 私は目を閉じて朔真のキスを受け入れた。


 唇が離れ、互いのそれから小さな吐息が漏れる。

 熱を帯びた目で見つめてくる朔真に、鼓動がもっと速くなって、私は思いきって聞いた。


「さ……朔真ってさ、私のこと……好き?」

「……は?」

「その、友達じゃなく、恋愛的な意味で……」


 勇気を出してみた。ずっと聞けなかったけど、今日は――今日こそは、聞けた。

 きっと朔真も同じ気持ちだ。酔うと本音喋っちゃう人みたいな感じで、酔ったらキスしてくる朔真も、私を……。


「はぁ!? ちげーよ、勘違いすんな!」


 ――……好き、だと、思ってた。


「俺は誰でもいいんだよ!! お前じゃなくてもな!!」


 朔真は激昂したように真っ赤な顔で、私に向かって叫んだ。


 ……なに、それ。誰でもいい?私じゃなくても、他のひとでもいいって言うの?


 毎日じゃなくて、日を空けて誘ってきてたのは他のひとと会ってたからとか、そういう理由……?


「……っ!!」


 私は朔真を置いて、バーを飛び出した。

 何か大声で名前を呼ばれた気がするが立ち止まらない。振り向かない。


 ……誰でもよかったんだ。私だからキスしたんじゃなかったんだ。


 とんだ勘違い……。


「……はは」


 自宅のアパートの玄関扉に背を預けてずるずると座り込む。

 なんかもう、涙も出てこない……。


 こと、なかった。


「っ……」


 両目から、溢れる。溢れても止まらない。

 あいつへの想いのように、止めたくても止められない。


 あんな言葉を吐かれても、私はまだ、朔真を――……。


「くそ……っ!!」




 この一週間後、私はまたあいつを想って泣いた。


 悔やみきれない後悔は、今もこの身に重くのしかかっている。

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飲んで呑まれて 雪波 希音 @noa_yukiha

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