J・P・サルトルの人物像とその思想の人物史的読解

 思想人の思想を読解するにあたって、そのアプローチは様々であろうと思う。……私は歴史愛好者であり、人物史と史実の状況から推察するというアプローチをわりに取るのだけれど、これは思想においてもかなり有用であるということをここ最近で理解しつつある。そうした解釈はかなり独断的で、純粋な思想行為からは遠ざかるものの、思想なるものが実際には個人の産物であり、激烈な個々人の人生の反映物であることを考えれば、この読解が明確な間違いであるとはあまり思わない。とは言え、一種独断的な、根拠の薄弱さは自ずから指摘せざるを得ない。


 ジャン=ポール・サルトルとアルベール・カミュと言えば、戦後フランスは無論西側世界を中心に大流行した著述家であり、両名ともにノーベル文学賞を受賞している。アルベール・カミュは史上二番目の若さで受賞をし、ジャン=ポール・サルトルは自身の哲学に則って受賞を拒絶した。どちらも実存主義を代表する思想家と呼ばれているが、ジャン=ポール・サルトルが『実存主義とは何か』を記述したのに対し、アルベール・カミュは実存主義者と称されることを拒絶している。アルベール・カミュはマルクス主義、ソビエト全体主義と対立したし、最終的にはマルクス主義を支持するジャン=ポール・サルトルと決別した。――はっきりと言ってしまえば、私は論者としてはジャン=ポール・サルトルよりもアルベール・カミュの方が好きで、三島由紀夫は東大全共闘との対話において

「私の嫌いなサルトルが」

と述べる場面があるように、当時の読解者からしてみても好き嫌いが別れていたというのはよく理解出来ると思う。

 そして実際、両者の思想はかなり違う。ジャン=ポール・サルトルがアンガージュマンを重視し実行動に打って出たのに対し、アルベール・カミュはあくまで不条理に対峙する人間の美しさを描いた。この二項対立、カミュ=サルトル論争は後世において議論の種になっているのだが……これ、もっと簡単な話なのではないだろうか?


 つまるところ、という話なんじゃないだろうか?


 そう、だから独断的だと言ったのだが、ここから説明をさせて欲しいと思う。

 両名の人生を見てみると、サルトルにもカミュにも独自の苦労があったように思われる。アルベール・カミュは病弱で結核による喀血を体験し、女と付き合っては上手く行かなかったり、共産党に入るもあまり馴染めず除名処分を受けたりしている。

 それに対しサルトルはどうだったかと言えば、生後十五ヶ月で父が死去、母方の祖父に引き取られ、三歳の時点で右目をほぼ失明し、極度の斜視となる。アンリ四世校に入学するが、母が再婚したためにラ・ロシェルの学校へ転校するも溶け込むことができず、当地では少女を口説こうとして失敗し、等、その他不幸な出来事が多くあり”挫折の年月”と述懐されている。結局、元のアンリ四世校に彼は戻る。

 自身の醜さを自覚した少年サルトルが、今度高等師範学校(大学のようなもの)に入学すると、今度はサルトルは周囲に女性が複数いるようになったのだと言う。女性思想家シモーヌ・ド・ボーヴォワールと彼の関係性は有名であろうが、ボーヴォワールと彼の関係性も相互に波乱があり、サルトルは女を抱くし、ボーヴォワールの方も同性と良い感じになったりするのを繰り返しながら関係性を継続している。

 アルベール・カミュはどうか。彼はアルジェ大学に在学中、眼科医の娘と学生結婚をするが、相手がどうも奇矯かつ派手好きな女性であったらしく、生活が成り立たなかったために離婚したと記述されている。

 人生における障害は双方に存在しているわけだが、サルトルが醜さや精神的な挫折を経験したのに対し、カミュのそれは病弱な肉体が不条理として立ち塞がる。


 そう。両者の思想を個人史的に帰納させていった場合、両者の思想はかなり理解しやすくなるのだ。

 『シーシュポスの神話』におけるシーシュポスの逸話にしてみても、『異邦人』における主人公の態度にしてみても、語りの主体の独立性・不変性と、そのヒューマニズム的な美を語る。平和主義者かつ理想主義者の思考方法であろうが、彼の思想全般というのはどう読んでみても”イケてる男だからできる思想体系”という感覚が私は拭えない。幾度か話していることではあるが、彼と同じ思想をそのへんの男性AだかBだかがやってみたところで

「何いってんだコイツ」

となるだけである。シーシュポスと言えるほどお前の人生は苦難に満ちているのか? という疑義の提示がなされることは間違いがないし、他でもないアルベール・カミュの思想とは、アルベール・カミュの人生と相互に絡みついたものであると言うべきだろう。無論それは他の思想家とて例外ではない。そう、他でもないジャン=ポール・サルトルにしてみても、である。


 サルトルの話をするためには、まず

「ハーフのイケメンで、結核とかいう何か”映え”な病気を持っていて、その優秀さから教師に可愛がられ、サッカーやアルバイトをしながらも優秀な成績を収めるいけすかん思想家アルベール・カミュ」

という前提を理解していなければならない。そして、このテキストで行われるジャン=ポール・サルトルという人物の読解とは、このアルベール・カミュ読解をベースに、いわば逆説的に展開されるのだ。

 というのも、サルトルの醜さは他でもない、彼自身の少年期の述懐により自己認識の側に存在するというのが明白なのだ。であるにも関わらず、高等師範学校ではモテる方だった。そこから歴史的に読解をしなければならない。ようするに、彼は見た目ではどうしても醜い(怪人的ですらある)人間で、それを自覚した上で、モテる。フランス人が特殊だから、と言うのは良くないし、それでは少年期の彼の説明がつかなくなる。――思うに、彼はどこかのタイミングで”女心”を理解したのだろう。無論、高等師範学校という空間では知性がより評価されやすくなるという側面はあれど、たんに優秀なだけで異性からの好意が得られれば苦労はしない。アルベール・カミュと違って、彼は自身から打って出る・反応する・発言すること抜きにはその存在を肯定されなかったという少年期から青年期を過ごしたと言うことが可能だ。

 聞き覚えがないだろうか?

 そう、である。

 彼は後年に至るまで政治活動に自らを投企し続けてきた思想家であり、後年ではその政治態度や活動内容に強い批判が集まった。しかし、彼の青年期における一種の結論が「自発的な行動によって状況にアプローチし続けること」であった場合にはどうだろう。彼の思想家的な立場も容易に理解出来るような気はしないだろうか?

そして、彼自身の実存主義もアンガージュマン的な性質を前提とした場合には読解が容易になる。彼の有名なテーゼとして

「実存は本質に先立つ」

というものがあるが、これは有神論の立場から新プラトニズム的に

「本質は実存に先立つ」

というテーゼを生じさせた時、無神論の立場から神が決定する本質=イデア的なもの抜きに実存だけが現実に存在していることになる。これこそが

「実存は本質に先立つ」

という理論になる。

 私は無神論には複数の立場があると考えていて、マルクスが社会学的に唯物弁証法による階級闘争史観を立ち上げたのに対し、ニーチェのような形而上学的な無神論者らは他でもない自分自身を取り巻く環境と、自己啓発的なモチベーションから神を否定したと言う考察をする。ここで言えばサルトルは他でもない、究極の父的存在である神の不在をもって、実存たる自己を肯定する立場を取ったのではあるまいか?

 こう記述するとサルトルの父が幼少期に死去し、幼少期を父なしで暮らしてきた彼の人生もまた示唆的なものとして機能してくるだろう。父権の不在に対し、父権的な存在の象徴としての神を否定することで、彼は彼自身の実存哲学を開始したのだ。

「人間は自由という刑に処せられている」

という『存在と無』の有名なテーゼにしてみても、アルベール・カミュが『シーシュポスの神話』で示した

「ぼくはシーシュポスを山の麓に残そう!」

と発したテーゼと真っ向から対立する。

自由と不条理に対峙する自己を美的に捉えた”反抗的人間”アルベール・カミュに対し、自由を処罰と捉え、他者に地獄を見る”無神論的実存主義者”ジャン=ポール・サルトルは思想上、完全に対立する立場であることが理解できるであろう。

 アルベール・カミュは「ただそこに立って抵抗するだけでよい」とし、これは『異邦人』のムルソーの心理に接近するのに対し「自由は処罰であり、他人は地獄であり、人間は自ずから動かなければならぬ」という立場はまさしく、アンガージュマンの思考そのものである。

 彼がニーチェ的な内部克服としての無神論ではなく、マルクス的な唯物論と弁証法をベースにおいた社会学的な無神論に傾倒していくのも、ニーチェ的な神の克服は「示すことができない」が、マルクス的な無神論は「外向きに行動し、示すことが可能」なものだからだと言える。そして恐らく、ニーチェの無神論に対しアルベール・カミュは

「ただ立つだけで良いのに、なぜ虚無主義者を名乗って行動せねばならないのか」

と思うであろうし、逆にサルトルは

「行動で示されるべきものを何故内在的に克服せねばならないのか」

と考えるであろう。


 一連の考察を前提とした場合、シモーヌ・ド・ボーヴォワールとの関係性や、ノーベル文学賞受賞時の彼の行動も説明がしやすくなる。というのも、彼の思想や行動というのは示威的な意図が極端に強いものだからだ。

シモーヌ・ド・ボーヴォワールとの(当時の社会風潮から見て)極度にリベラルな関係性も、またノーベル文学賞の受賞を拒絶するのも、これらは全て外に見える一連のアンガージュマン=示威に繋がる。

そして三島由紀夫がサルトルを嫌った理由もまた容易に理解が出来る。

つまり、示威が重要であるというサルトルの立場と、ことさらに自分を開示したがった三島由紀夫の立場とは非常に似通ったものであり、そして最終的な示し方の違いからみても同族嫌悪のきらいがあるのが原因にあるのではないだろうか?


 一連の考察はルッキズム的な視点が多くあるが、サルトル自身の醜さの自覚はれっきとした事実である。思想を読解するとき、そこに明確な正解はなく、理解のためにはそれこそ手段を選ぶべきではない。そうした歴史学・人物史的アプローチの具体例として、このテキストを書き残しておきたいと私は考える。

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