第12回

「やったぞお」

 私の返したスマートフォンを仕舞うなり、抱き着いてきた。首筋に腕が回る。漠然と想像していたよりもずっと、ひまわりの体は小さく、軽かった。このまま持ち上げられるのではないかという気がしたが、それ以上引き寄せることはしなかった。私たちは向き合ったまま、ぴょんぴょんと子供のようにはしゃぎまわった。

「喜びの歌でも歌うか」

「歌下手なの、さっきのカラオケで分かったでしょう?」

「じゃあ踊る?」

「踊りも下手。というか体を動かすのは全般的に下手」

「適当でいいよ。回ってジャンプする。馬鹿みたいでもさ、いいじゃんか。だって嬉しいんだもん」

 勢いをつけて回転した。いい加減なステップを踏んだ。なにもかもが出鱈目だったが、心底愉快になっていた。公園の誰もいない広場でくるくると踊りつづける私たちは、たぶん恋の成就したふたりと同じくらい幸福で、浮かれていた。

 息を切らしてベンチにへたり込む。顔を見合わせているとまた笑いの発作に見舞われ、私は口許を覆った。くすくす笑いが収まらないままに飲み物を引き寄せ、ふたり同時にストローを咥えた。あれ? と視線を上げる。

「これ逆じゃない?」

「逆だね。交換しよう」

 カップを取り換え、ホットドッグを食べはじめた。不思議な踊りをおどっているあいだにキャベツがふにゃふにゃになっていたが、ふたりとも気に留めなかった。お世辞にも贅沢な食事ではなかったが、意外なほどおいしく感じた。新発見だ。

「ここ、徳永さんたちも知ってる?」

「たぶん知らないんじゃないかな。莉々ちゃんはともかく、史郎くんはお腹いっぱいにならなそう」

「ああ――確かに。彼、格闘技経験者?」

「柔道部。格闘技全般、観るのも好きらしいよ」

「じゃあご飯なら、がっつり食べられるところのほうがいいね」

「うん。あとでお祝いの会を開こう。食べ物いっぱい並べて豪遊したい」

 徳永さんたちは今なにしてるんだろうね、と私たちは話しあい、仲睦まじいふたりを想像しては喜びあった。見せたい景色、話したいこと、分けあいたいもの――真新しい恋人たちの未来はきっと明るく、かぐわしい。

「こういうときだいたいみんな、いいなあって言うよね」

「言うね」

「私も欲しいなってことじゃん? みんな欲しいのかな。それとも幸せになりたいってこと? 一緒じゃないじゃん、必ずしも」

 私は少し考え、

「徳永さんは単に恋人が欲しかったわけじゃなくて、楢本くんといたいなって思って行動したわけでしょう? そうしたいからそうした。これじゃ答えにならないかな」

「たぶんなってる。莉々ちゃんも史郎くんも本当に優しい人たちだし、仲良しだけど、もしかしたら喧嘩しちゃうこともあるかもしれない。付き合うことで出てくる悩みっていうのもあると思う。でも莉々ちゃん――そういうの受け止める覚悟があるって、私に言った。怒ったり悩んだりするとは思うけど、でも受け止めるって」

「凄いね、徳永さんは」

「そうとしか言えない。その病めるときも健やかなるときも、って誓いの言葉があるじゃんか。富めるときも貧しきときも、喜びのときも悲しみのときも。結婚式なんて幸せ一色でいいはずなのに、なんであえて反対のことに言及するのかなって、小さいころ不思議だった」

「向こうで結婚式、出たことあるの?」

「お父さんの同僚の人だったかな。出たのは確か三歳とか四歳だったけど、その誓いの文句だけはずっと記憶に残ってた。あとで読んだ本とかで上書きされてごちゃ混ぜになってるだけかもしれないけどね」

 私たちは食べ終えたあとのごみを纏め、捨てに行った。そばにあった水道を使ってから、並んで遊歩道を歩みはじめた。

「実際のところ、莉々ちゃんたちのこと羨ましいと思う?」

「羨ましいっていうか――あのふたりの幸せと、私の幸せはやっぱり違うんだと思う」

「恋人とかは考えない?」

 俯いて、敷石に視線を落とした。次に発すべき言葉を思い付けない。

 幸せという言葉を口にしてしまってから、自分が漠然と望んできたものが明確な質量を伴いはじめたように思った。ひまわりは隣にいる。私たちのあいだには友情があり、眼前には合唱コンクールという共通の目標がある。成功すれば手を取って喜び、失敗すれば肩を抱いて泣く。それでなぜ満足できない? さっきまで陽気に笑いあっていたのに、なぜ胸苦しくなる必要がある?

「分からない」

 とだけ洩らした私に、ひまわりはすぐさま、

「自分の気持ちが?」

「どうしたらいいのか」

 彼女は私の前に回りこんだ。足を止める。

「もう迷子にならないって言った」

「それは――ピアノのことで」

「分かるよ。分かってる。でも分からないこともある。私にとっては凄く大事なこと」

 私は――と言い出しかけたが、けっきょく言葉にしきれず、

「ごめん。察しが悪くて」

 ひまわりは息を吸い上げた。なにも言わずに私の掌を掴んで、引っ張るようにして歩きはじめる。

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