第36話 暗黒街の相談役


「『美趣仁庵』ですか?……ええ、知っていますよ。残念ながら会員ではありませんが」


 瀟洒な応接室で、ルシファーは俺の問いにいともあっさりと応えてみせた。この男の風貌は日ごとに美しさと凄みを増していくようだ。


「やはりそうか。いきなり訪ねて来てあわよくば情報を得ようなんて、虫が良すぎたかな」


「そんなことはありません。そのくらいの行動力がなくてはあなたの仕事は務まらないでしょう。……『美趣仁庵』のことを知りたいのでしたら、私よりもっとあなたの身近な方で詳しい人物がいますよ」


「あんたより身近な……?まさか、親父か」


「ええ。父はかつて『美趣仁庵』の会員だったことがあるようです。私が学生の頃ですから、もう十年近く前のことですが。……なんでしたら代わりに伺ってみましょうか?」


 ルシファーはそう言うと端末を取り出し、どこかへメッセージを送信し始めた。


「すまないな、同じ寺で育ったというよしみだけで、ずうずうしい頼みをしてしまって」


「どうぞお気になさらず。……返信が来るまでの間、ちょっと面白い余談を披露しましょう。先ほど、会員ではないといいましたが、実はまったく接点がないというわけでもありません。かつて会員の方から私を会員にと推薦する声があったそうです。もっとも、他のみなさんの反対で立ち消えになったそうですが」


「ほう。……やはりその、あんたがやくざだからか?」


 俺がいささか踏みこんだ問いを放つと、ルシファーは「まさか」と一笑に伏した。


「ピートさん、あなたはこの世界のことをまだよくご存じない。名士という人種の中には、極道なんかより遥かにあくどい人々がいくらでもいるのです。そんな理由で拒まれるわけがない」


 ではなぜ、と俺が口を開きかけた時、ルシファーの端末が音を立てた。顔を動かすことなく一瞬で返信らしきものを読み終えたルシファーは、俺の方を向いて肩をすくめた。


「どうやらあなたからの質問だと見抜かれたようです。『人に頼らず、自分で探し出せと言っておけ』という答えが返って来ました。……いかがなさいます?」


 俺は椅子からずり落ちそうになった。俺ごときの質問に答える気はさらさらないようだ。


「わかったよ。何とか街の裏事情に詳しそうな人間を探して当たってみるさ。……ところで、推薦を却下された本当の理由は一体何なんだい?」


 俺が尋ねると、ルシファーはほんの少し眉を上げ「単純ですよ「若すぎる」だそうです」と言った。


                 ※


 転輪寺の本堂は、俺が三年を過ごした寺のものと比べるとこじんまりとしていた。


 俺は奥の座像と向き合って瞑想している人物を見定めると、そっと背後から歩み寄った。俺が声をかけるタイミングを見計らっていると、ふいに人物がこちらを向いた。


「お久しぶりです、ピートさん」


 弥勒は中性的な顔を傾けながら、さして驚いた様子も見せずに言った。


「この前は危ないところを助けてくれてありがとう。一緒にいた連中の分も礼を言うよ」


 俺はジーナとガフのことを思い浮かべながら言った。


「どういたしまして。あなたを襲った連中は、我々にとっても街の治安を脅かす厄介な存在です。こういっては何ですが、お助けしたのもついでのようなものです」


 弥勒は薄い笑みを浮かべたまま、淡々と言った。この浮世離れした人物が、かつては名うての極道だったと言って信じるものがどのくらいいるだろうか。


「実は迷惑ついでに教えて欲しいことがあるんだ。あんたの仲間達なら、この街の噂に詳しいんじゃないかと思ってね」


 俺は大埜沙羅によって持ちこまれた奇妙な依頼のことと、『美趣仁庵』の場所がわからなくて難儀していることをかいつまんで語った。


「……なるほど、お話は分かりました。その『美趣仁庵』とやらは私も話を聞いたことがあります。……が、どこにあるかまでは存じ上げません。一応、『ニルヴァニア・ファミリー』のメンバーにも聞いてみますが、あまり期待されない方がよいでしょう」


 弥勒の口調はいたって平坦なものだったが、俺には十分以上に好意的な反応だった。


「来て良かったよ。何かめぼしい情報が出てきたら教えてくれ。瞑想の邪魔をしてすまなかったな。それじゃ」


 俺が弥勒に礼を述べ、本堂を去りかけたその時だった。


「待ってください、ピートさん。『美趣仁庵』のことは存じませんが、依頼された方のご尊父様にであれば私も多少、面識があります」


 俺は面食らった。料理人と浮世離れした坊主がどういう縁で繋がるというのだろう。


「私が大埜沙羅さんのお父上、建友けんゆう氏と知りあったのは今から七年ほど前、私がまだ極道をしていた頃です」


 俺は気がつくと弥勒の方に向き直り、身を乗り出していた。何とも興味深い話だ。


「その頃私は、この街では並ぶもののない殺しの達人として知れ渡っていました。命を狙い、狙われる毎日に疲れ果てていた頃、ちょうど気の重い仕事を一つ片付けた夜、何の気なしに建友氏が料理人として働いている店の扉をくぐったのです」


 俺は血なまぐさい話とは無縁とも思える人物の口から語られる昔話に、請け負った仕事のことも忘れて聞き入っていた。


「口を利く気力もなく黙って供された料理を口にしていると、いつしか建友氏が私のテーブルに歩み寄ってきていました。それでも顔を上げられない私に、建友氏は静かにこう言葉をかけたのです。「お客さん、心の奥で涙を流しながら食べていますね」と」


 俺ははっとした。ほんの一瞬、弥勒の声に感情のうねりらしき物がうかがえたからだ。


「標的とはいえ自分の殺めた相手やその家族のことで少なからず心を痛めていた私は、はっとしました。そして思わず「あなたは人の心の奥が見えるのですか」と質問していました。答えは「ああ、なんとなくね」というあっさりしたものでしたが、私は感動しました」


 俺はすべてを悟っているかのような弥勒の意外な過去に、不思議な感銘を受けていた。


「それから私はたびたび、建友氏の店を訪れるようになりました。二年後に玄鬼様が組織の長を退かれて出家した際、私も後に続いて仏門に入りました。それからは疎遠になっていたので建友氏が他界されたとは恥ずかしながら、あなたに聞くまで存じていませんでした」


「依頼人の名前を聞いたことでふいに昔のことを思い出し、話したくなったというわけか」


 俺が質すと弥勒は頷き、「つまらない話をお聞かせしました」と言って元の表情に戻った。


「まあ人には色々な歴史があるってことだな。三年前より昔がない俺には羨ましい話だ」


 俺はそう言うと、転輪寺の本堂を後にした。暗い境内を横切って石段を降りようと足を踏み出した時、あたりの茂みから、何かが姿を現す気配があった。


 ――誰だ?


 俺の耳が、微かにモーターの上げる唸りのような物をとらえた。APか?身構えた次の瞬間、俺は突然現れた機械の集団に四方を囲まれていた。


 ――こんなところで闇討ちとは、罰当たりな連中だぜ。


 俺は運河の向こうで手にいれた電磁鞭を手にすると、機械たちの挙動をうかがった。


             〈第三十七回に続く〉

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