鬱病編 日記の私
「十一月十五日、火曜日。消えてしまえ。自分なんて。なんの価値もない。未来なんて見えなくて、見えない未来が怖くて、だったら今を投げ出してしまえばいいなんて。そんな度胸もないくせに。何もしたくないのに、何もしないのが一番怖くて、バカみたいにもがくから、それが苦しくてまた自分を追い詰める。矛盾する気持ちについていけない。どれが本当の自分なのか、どうすることが正しいのか。考えらのが辛いから、いっそ消えたいなんて思うのに、どうしようもなく生きていたい。だけどやっぱり、消えた方が楽だろうな。」
「十一月十六日、水曜日。なんでこんなにダメなんだろう。もうなにもいらない。なにもない世界に行きたい。自分が生きてるのが許せない。死んだ方がマシ、絶対そう。生きてる意味なんてない。なのに死にたくはないの。苦しくて苦しくて苦しくて、辛い泣きたいって思っても、死ぬことだけはできない。大学生なんて楽なもんじゃん。なんでこんなに苦しいの。未来が怖い。だったらもう、自分の存在すらなくなってしまえばいい。生まれて来なければよかったのに。」
「十一月十七日、木曜日。どうしてこんなに居心地が悪いのこの家は。もう誰の声も聞きたくない。顔も見たくない。労わることなんてできない。一人きりの家なら、誰かの声に頭や心が痛くなることもないから。こんな家早く出たいのに。まだ自立してない、一人じゃ何もできないガキのままだから、どうすることもできなくて。だったらもういっそ全て捨ててしまえればいい。」
この頃、確か父の浮気騒動があった。母が、自分の友達が悩んでいるから話を聞いてあげてほしい、と父にお願いしたことがきっかけだった。父は母にお願いされた通りに、その友達の話を聞いた。それがなぜ浮気問題に発展したのか。私にはわからないが、おそらくあれは母の勘違いで、そして父は優しすぎたのだと思う。とはいえ、そういう生々しい話は、子供のいないところでやってほしいものだ。日頃のストレスもあって、父と母は夜な夜な激しく言い合っていた。まぁ、父は冷静に対応していて、騒いでいたのは母だけだが。その温度差がまた、母をイライラさせたのだろう。私はそれがストレスでたまらなかった。なにしろ自分の部屋がない、寝室は母と一緒の和室、リビングの声は筒抜け。寝れないのである。けれど私が執拗に嫌っていたのは母だけで、私は父の味方だった。
ーーそんなに騒ぐなら出てけよ。
そんな風に思ってしまったこともある。毎日遅くまで仕事をして、くたくたで帰ってきて母の相手をする父が、不憫でならなかった。
「十一月二十二日、火曜日。どんな自分でもいい。毎日を楽しんでもいい。素直な気持ちで生きればいい。ダメなことなんて一つもない。充分頑張ってるよ。充分立派だよ。だからもう少し頑張ろうか。自分を好きになれなくても、自分を否定しないこと、自分を責めないこと。明日からは、前向きに生きよう。」
夜になると、スマホで鬱病について調べて、画面を見ながら泣いていた。画面の中の言葉に励まされていた。だから少し、自分を鼓舞する内容になったのかもしれない。次の日記は、漫画の専門学校への進路変更を、本気で考えていた時期だ。
「十二月一日、木曜日。死にたいと思った。だから頭の中で自分を殺した。大学辞めて専門行きたいなんて、大学辞めるための口実なんじゃないかとか。どうなりたいの?って言われて、わからないってずっとこのまま。答えなんて出る気がしなくて、弱い弱い弱い。なんでこんなにフラフラするの?思った通りに進めないの?どうすればいいの?どうしたら満足するの?救われるの?逃げることしかできないのなら、もう」
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