第12話

「クラウディアさんっ!」


 ガブリエラが店の机を強く叩く。

 おいてあったコップがはずみ、わずかに水が波打ってこぼれた。

 隣に座るマクベがいつもとは反対に、ガブリエラに落ち着くよう促す。

 それに対してクラウディアは憮然とした表情で腕を組む。


「だーかーらー、ちゃんと言っておいたじゃない。『私、プロレスくわしくない』って」


 試合後の食事でメリカの店に来ていたが、オーダーをし終えたあとでガブリエラが怒り出した。


「参考になる試合の映像も見せたし、きちんとした技の練習もしたじゃないですか」

「3倍速の解説なし。練習は受け身とチョップとドロップキックだけ。反則に関する説明も、プロレスの暗黙のルールも、そういうことはなんにも聞いてないもの」


 仕方ないじゃない。と、クラウディアは小指で耳をほじりながら反論する。

 その上で出場を強要したのはガブリエラだ。怒られる理由も文句を言われる理由もない。契約と知識の範囲内でできる、もっともガブリエラにダメージが少ない試合をかんがえた結果だ。

 なにが不満なのか。


「だとしても、毒霧に本物の毒を使うのは非常識です! 我々は善玉ベビーフェイスなんです。反則なんてもってのほか。それは悪役ヒール側の仕事です」

「そんなのずるいじゃん」

「ですから、悪役ヒールの卑劣な反則に窮地に追い込まれながらも、耐え、はねのけて、ラストはピンチからの大逆転で勝利する。そこに人は感動するし、我々のいちばんの見せ場なんですよっ」

「だーかーらー、それはもう何度も聞いたわよ。そもそも致死量の濃さじゃないし、解毒剤も用意しておいた。詫び状(実は脅し文)も持たせて、あの子を使いに出している。これでこっちもやられっぱなしじゃないと見せられた。つまりいい牽制になったから良かったの。なんで納得しないのよ」

 ほじった小指をフッと吹く。


「だとしても、今日の試合はプロレスではありません!」

「そうよぉ、クラウディアちゃん」


 メリカがプレートを持ってやってきた。

 置かれたのは、皿の上に乗る、まるっとしたレタス玉。


「ちょっとオーナー? 私が頼んだのはサラダだけど」

「たとえばお客さんがサラダを頼んだときに、こんなの出されたらどう思う?」

「……むぅ」


 クラウディアはメリカをにらむ。

 しかし、にらみはすれど、言いたいことを理解して口をつぐんだ。


「そう、そうです、そういうことなんです」

 ガブリエラがうなずく。「プロレスラーは、チケットを買ったり、通信放送に契約して観てくださるファンに『プロレス』を提供する義務があるんです」

「オレもこっそり反則するけどよ、プロレスを見せるってのは大事にしてるぜ」

「……」


 現役レスラーに諭され、クラウディアはしばし無言でレタスを見つめていた。


「言ってることは、わかりますよね?」

「……まぁね」


 クラウディアはため息とともに、フォークでレタス玉をぶっ刺した。

 レタスからザクッと新鮮な音が鳴る。

 そのままレタス玉を口に持っていき、豪快にかじった。

 水分と緑の香りが口の中に広がる。


「悪かったし、言いたいことは分かった。ごめんなさい。明日はあんたらの言う『プロレス』ってのをやってみるわ」

「クラウディアさん」

「だけど、試合内容は保証できないからね、そこは契約の中にふくまないでよ?」

「はい、大丈夫! クラウディアさんならきっとできます!」


 ガブリエラが、くっと両脇の位置でこぶしを握った。


「あら。イヤァンっ!」

 と、こんどはサラダを手にしたメリカが体をくねらす。「クラウディアちゃん、それ食べちゃってるのぉっ? 冗談だったのにぃ……」

「別に……。これはこれで食べられるもの」


 口の中で噛むたびに、シャリシャリと気持ちの良い音と豊かな水分を出すレタス。


「そりゃウチの食材は一級品を選んでるけれど」

「そうです、クラウディアさんも素材は一級品なんです! そして、明日は最高のサラダになりましょう! サラダ記念日です!」

「どんな味になるかはわかんねぇが、素材って点ならオレも認めてやらァ」

「はいはい。そういうのもういいから。あとでルールを一から教えてよね」

「もちろんです。基本ルールに暗黙のルール、悪役ヒールが使う抜け道とその対策もぜんぶ教えます!」

「しゃーねえからオレの技も教えてやるよ。特別に使用を許可してやる」

「それ、品のある技でしょうね?」

 と答えて、クラウディアは口に残るレタスを咀嚼する。

 シャリシャリという音を重ねていくにつれ、口の中に澄んだ甘みが増していく。

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