第234話麗と直美の神保町デート(3)

大旦那との電話を終えて、奈々子は倒れそうになるほど、身体が震えている。

「買い物を終わってホテルの中だったからよかったけど」

「大旦那様のあんな厳しい声、初めてや」


蘭も、母奈々子の、ただならない顔が不安。

「叱られたの?」

奈々子は、下を向いた。

「麗様の邪魔はするなって・・・」

「つまり、気安くは、声がかけられんってことや」


蘭も下を向いた。

今までの生活を思い出す。

ほぼ毎日、実父の宗雄は、酔っぱらって帰って来ては、「兄」だった麗にいきなり殴りかかり、蹴り飛ばす、それも気が済むまで。

母奈々子は、弱々しい声で「やめて」と言うだけ、身体を張って止めようとはしない。

結局は、自分を抱えて部屋の隅で、暴行される麗を見ているだけ。


蘭は、香料店の叔父晃が、それを知り、何度も父宗雄を諫めた場面も見たことがある。

しかし、父宗雄が、頭を下げるのは、その時だけ。

「へえ、これから、気をつけます」と、言うけれど、田舎の家に帰れば、諫められた腹いせで、暴行がひどくなる。

そんな話が、結局、九条の大旦那様の耳にも入っていたのだと思う。


「母さんは、人がいいだけ、弱すぎる」

娘の蘭から見ても、そう思う。

しかし、蘭も、暴行される兄を救おうと、父宗雄に抗議することもしなかった。

「痛そうだし、怖いし、顔にアザを作って学校に行けないもの」

結局、痛めつけられる麗を見ながら思っていたのは、それだけだった。


そこまで思い出して、蘭は、真っ青な顔で震える母奈々子を見る。

「私も、母さんを責められない、痛めつけられる麗様を見ていただけだもの」


震えていた奈々子が、ようやく口を開いた。

「麗様を見掛けても、頭を下げるだけでいいよ」

「ただし、いろいろ心配していただいたのだから、お礼は言いましょう」


蘭は、この母の言葉で、母が情けなくなった。

「そうじゃないでしょ?おわびでしょ?」

「どうして、そんなことしか言えないの?」

しかし、母奈々子は、そのままベッドにもぐりこんでしまった。

ただ、シクシクと泣いているだけで、蘭の言葉に、答えようともしない。


これには、蘭もどうしようもなかった。

時計を見ると、まだ夕方6時前。

「これから何をすればいいの?」

蘭は、母奈々子が泣き止み、身体を起こすまで、空腹を抱え悶々と過ごすことになった。



神保町を歩く麗と直美は、本をたくさん買い込み、今度はレストラン探しになる。

「学生街で、サラリーマンも多く、ボリュームのある店が多い」

直美

「この前、麗様がおっしゃられた関東風とか、江戸前に興味があります」

麗は、迷わなかった。

「そうなると、この近所では天ぷらのお店に」

直美は、その顔をパッと輝かせる。

「わ!超老舗ですよね!行きましょう!」

「実は昨日からネットで調べて、私のお腹は天ぷらが食べたいと」

この直美の反応には、さすがの麗も、少し笑うしかない。


超老舗の天ぷら店に入ると、直美はキョロキョロと店内を見回す。

「へえ・・・創業昭和6年・・・江戸川乱歩さん、井伏鱒二も通ったんですよね」

「このレトロ感がたまらない、あのポスターも昭和ですよね」


麗は、「その前に」と、直美にメニューを渡す。

「江戸の店なので、決める時は、あっさりと」

「私は、穴子天丼」

直美も迷わなかった。

「はい!私は海老天丼」


二人の頼んだ天丼が出て来るのも速かった。

麗は、直美の顔を見た。

「食べ切れるかな、穴子少し食べます?」

直美は、笑顔。

「食べ切ってください、でも、海老と穴子、少し分け合いましょう」

「ほんま、美味しいです、幸せです」と、その顔を輝かせている。

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