第10話 懐石料理の開始、三井芳香が冷酒二杯で酔い潰れる。

通された個室は、磨き込まれた白木の広めの卓、壁は薄い紫。

掘りごたつのように、足が伸ばせる座席。


女将のご挨拶がもう一度あった。

また、個室の入り口で、三つ指をついて

「それでは、はじめさせていただきます」

「ごゆるりと」

麗は、その挨拶には、少し顔を向けただけ。

ただ、女将が目を細めて、もう一度麗を見たことには、何も気づいていない。


女将の言葉通り、若く愛らしい仲居により、料理が運ばれだした。

まずは、前菜が卓の上に置かれた。

とうもろこしすり流し、蛸柔らか煮、海老寿司、おくらかき揚げ、トマト塩ゼリー。


その次にすでに注文済みだったらしい。

グラス入りの冷酒が運ばれてくる。

ただ、麗だけは未成年のため、三井芳香によりアルコールを飛ばした白ワインとされてしまった。


高橋麻央が、乾杯の発声。

「本日は、お集まりいただき、誠にありがとうございます」

「そして、うれしいことに、将来有望な麗君も、快く参加してもらいました」

「また三井さんも、いままで同様、源氏の研究に励まれるよう、期待いたします」

「それでは、甚だ簡単ではございますが、皆様との今後のご親交を祝して乾杯といたします」

「乾杯!」


全員が、すんなりとグラスをあげ乾杯と言うので、麗もグラスを持ち、ボソッと乾杯を言う。


すぐに会話をしながら食事が進み出す。

ただ、最初は日向先生の学会の話や、出版書籍の話なので、三井嬢も麗もまったく口を挟めない。

特に麗は、グラスのアルコールを飛ばした白ワインを飲み、食べ物を口に入れているだけ。


少し気になったのは、三井芳香の顔が、少しずつ赤らんでいること。

しかし、麗としては、「今夜限り、この場限りでお別れ」と決めているので、先輩女子の赤い顔など気にはしない。


お椀が運ばれてきた。

梅豆腐の白味噌仕立てだった。


しばらく話題が別次元でホッとしていた麗に、日向先生から声がかかった。

「麗君、君は美しいなあ、その作法が・・・」


麗は、突然のことで、また慌てた。

「いえ・・・作法と言われましても、昔から・・・子供の頃からなので・・・」

麗としては、その通りなので、他に言い様がない。


高橋麻央も、実に感心したらしい。

「そのお箸の持ち方、口への運び方」

「お椀の持ち方も・・・なまめかしい、素晴らしい」

とにかく麗には、背中がかゆくなるような言葉が続く。


三井芳香は、顔が赤いまま、麗を見つめるけれど、麗は三井嬢からは何も言われていないので、顔を向けることもない。


次々に料理は運ばれてくる。

お造りは、明石鯛のお造り。焼き魚は、鮎塩焼き

しのぎとして、すだち蕎麦。強肴で牛すき鍋、釜炊きご飯。

甘みとして、最後に桃シャーベット。


結局、どれも美味しく、麗は食べ切った。

麗としては、朝からほとんど食事をしない、夕食だけの一日一食生活のため、スンナリと入ったのだと思う。

また、途中の「源氏物語関連の話」にも質問されるたびに、必要最低限を意識して答えた。

そして答えるたびに、日向先生と高橋麻央は、満足そうな笑顔。


麗としては、「そんな顔をされると逃げづらいではないか」と思うけれど、実はそれ以上に気にしていたことがある。

それは隣の三井芳香の顔が、実に赤いこと。

心なしか、その身体も揺れているような感じ。


麗は、ようやく気づいた。

「この人・・・酒に酔ったのかな・・・」

「帰りにはタクシーを呼んだほうが、無難だ」

麗の考えが、そこまで進んだ時だった。


再び、高橋麻央が改まった口調で話し始めた。

「本日は、楽しい時間を、皆様ありがとうございました」

「夜も更けました、これで一旦、お開きにしたいと思います」


麗にとっては、「待ちに待った言葉」である。


麗は、少し大きめの声で、「ありがとうございます」を言い、珍しく機敏に立ち上がろうとするけれど、その動きが不自然に、止められた。


どうやら、麗のジャケットは、三井芳香により、つかまれているらしい。

そして、三井芳香は、なかなか立ち上がる気配がない。

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