第4章 第2話 危うい関係 その2
「上手くいきそうか?」
薄暗い部屋に入ったリーダーの男は、コンピューターを操作している人影に声を掛ける。
「そう焦らないでよ。簡単にできるもんじゃないんだから」
振り向かずに答えた声は、女性のものだった。彼らと同じように黒で統一した戦闘用の服を着ている。
中央のテーブルを迂回するように部屋の奥へと進み、女が座っている椅子の隣に立つ。
大型のモニターはなにも映し出してはいないが、代わりに女の手元にある小型のコンピューターに表示されていた。
「情報を引き出せるかどうかだけでも知りたい。どうなんだ?」
「さてねぇ。何年も前に放棄された施設なんでしょ、ここ。辛うじて電気は通じてたみたいだけど、組織が情報を残しておくとは思えないわね。逆に訊いていい? あんたが持ってきた情報、信用できるの?」
キーボードを操作していた手を止め、女は小馬鹿にするような声色で男を見上げる。
男は無言で彼女を見下ろし、作業を続けるよう顎で促した。
彼女は特に文句を言うでもなく、作業に戻る。
到底仲間とは思えない剣呑な空気が、部屋を満たしていた。
それも当然だった。
リーダーの男は、作業をしている女を完全には信用していないのだ。
彼女がまだ成人すらしていない少女だから、ではない。
少女はかつて、組織のエージェントだったが、今は離反した身である。
そんな相手を信用するほど、彼は甘くない。
今回の作戦を決行するにあたって、この少女の協力が不可欠だったのは事実だが、あくまで利害が一致しているからこその、一時的な共闘関係なのだと、常に意識していた。
「やつらに嗅ぎつけられるのも、時間の問題だ。それまでに可能な限り、情報を引き出せ」
「引き出せるものが残ってたら、ね」
真面目にやる気があるのかを疑いたくなる口調だが、男は咎める事なく作業を続けさせる。
彼女を連れて来たのは、組織の情報を引き出すのに適していたからだ。極秘の作戦でなければ、もっと相応しいプロフェッショナルを用意する事もできたが、今回はそうもいかなかった。
彼女が言う通り、情報が残っていない可能性もある。むしろ、その可能性が高いとすら言える。
それならそれで構わない。
この施設での情報収集は、あくまで二次的な作戦目標でしかない。
最優先される目標は、ある少年の身柄を確保し、本国に連れ帰ること。
少女の側から離れ、手近な椅子に男は座ると、テーブルに置いてあるタブレット端末を手に取り、監視モニターの映像を確認する。
そこに映し出されているのは、もちろん安藤奏の姿だ。
最後に見た時とほぼ変わらない。モニター越しでもわかるほどに怯え、蹲っている。
見張りを任せた男は、大人しく言われた通りにしているようだ。
「それで? どうして殺したの?」
「不要な部下を排除しただけだ。お前が気にするようなことではない」
地下での出来事を知っていた事は追及せず、彼は平然とそう言った。
「へぇ。限られた戦力だっていうのに、余裕だねぇ」
揶揄するような少女の言葉には答えず、男はタブレットをテーブルに置く。
煙草を求めて胸元のポケットを探り、禁煙を理由に取り上げられた事を思い出した。
禁煙をはじめてひと月あまり経つが、染み付いた癖はなかなか抜けないものだ。
こんな事なら、見張りの男からいくつか調達しておけばよかったと舌打ちする。
部下からの連絡で、安藤龍二の身柄確保には成功した。
組織の護衛に見つからずとはいかなかったが、今のところ追跡されている様子はない。
多少のリスクはあったが、安藤奏を誘拐しておいて正解だった。
万が一、安藤龍二の確保に失敗した場合、交渉の材料にするつもりでいたが、その必要はなくなった。
とは言え、この後も交渉に使えるカードである事に変わりはない。
安藤奏は、この国から脱出するまでは、手元に残しておきたいカードだ。
安藤龍二に対して最も有用なカードは家族であるという情報は、目の前にいる少女からもたらされた。
血縁関係のない間柄ではあるが、感情的に見捨てる事などできないという話は本当だった。
だからこそ、あの愚かな部下を放っておくわけにはいかなかったのだ。
リーダーの男は目を閉じ、眉間を揉み解す。
ここまでは作戦通りに進んでいる。順調そのものだ。
だが、油断は禁物だ。組織がどの程度の対応をしてくるかは未知数だが、相手が相手だ。
どれほど厄介な相手なのかは、十二分に理解している。
早く終わらせて国に帰りたいという感情を、疲労と共にため息として吐き出す。
この任務に失敗は許されない。
通常のものと性質は異なるが、突き詰めれば祖国の利益となる任務だ。
今回の結果次第で、組織内部のパワーバランスが一変する。
異国での任務は初めてではないが、この日本という国は初めてだった。
銃器を使用するには不向きな国だ。
装備を持ち込むだけでも、必要以上の労力と時間を要した。
その分、下準備と偵察に時間を費やす事はできたが、帰宅できない期間が長くなってしまった。
家族に会えないという時間が、彼にとってはなによりも苦痛だった。
ましてや今回の任務は、子供の誘拐だ。
敵対者の暗殺を命じられた時のほうが、まだ気楽だった。
与えられた安藤龍二の情報を見れば見るほど、その平凡さに疑問を抱いてしまう。
かつての協力者――逢沢くのりが固執していた対象であり、組織にとっても重要な人物という事だが、その理由が皆目見当もつかない。
もし本当に重要な人物だとして、あの程度の護衛しかいないという事も解せなかった。
彼にとって安藤龍二の誘拐は、懐疑的にならざるを得ない任務だった。
もう一つの任務――この放棄された施設のシステムを復旧させ、可能であればなにかしらの情報を持ち帰るというもののほうが、まだ理解できる。
同じ組織でありながら、ごく一部の地域だけが実権を握り、好き勝手している。
彼の祖国にすら開示されていない情報が、いくつもある。
組織の始まりは確かにこの日本という国だ。それは彼も知っている。
だが、途方もなく壮大な、それこそ世界規模のプロジェクトの中心が、このような島国などとは、断じて認められない。
それは彼の意見ではなく、祖国としての意見だ。もちろん、祖国の中でも対立する意見はあるが、誰もが心の奥底では思っているはずだと、彼は信じていた。
だからこそこの任務で情報と安藤龍二を持ち帰り、組織内部での優位性を少しでも確保するのだ。
ゆくゆくは祖国に、主導権をもたらすために。
そのために彼は、このような任務を引き受けたのだ。
ゆえに彼は、それを正しく理解しない部下を射殺した。
任務の重要性にそぐわない、程度の低い部下だ。
重要ではあるが、非公式に行わなければならない任務であるがゆえに、あのような兵士を使わざるを得なかった。
射殺する必要があったかどうかで言えば、必要はなかったのだろう。
だが彼は、あの部下がやろうとしていた事を見過ごせなかった。
安藤奏は大切な人質であり、その身柄が無事であるからこそ価値がある。その価値を貶めるような行為は許されない。
説明したところで、あの部下には理解できなかっただろう。
だから殺した、とも言える。
だが、彼はわかっていた。
部下の下卑た蛮行を見過ごせなかった理由は、彼に家族があり、奏と同じ年頃の娘を持つ父親だったからだ。
彼は静かに息を吐き、意識を自身の内側へと向ける。
早く帰りたいという感情が、また一段と強く湧き上がってくる。
瞼の裏に浮かぶのは、愛する家族の顔だ。
妻と娘に会いたい、顔を見たい、声が聞きたい。
彼はもろもろの感情を丁寧に折りたたみ、目を開いた。
丁度、携帯が鳴る。
それは部下が戻って来た合図だった。
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