第4章 第1話 おかえりなさいが聞こえない その7

 彼女が何者なのかを認識した二人の反応は、速かった。

「逢沢、くのりっ」

 深月は武器が並んでいる棚から電気銃を手に取り、彼女の名前を呼びながらポイントする。

 銃口がくのりを捉えるのと、テーブルを回り込んだうてなが彼女のすぐそばに移動するのは同時だった。

 いつでも拘束できる距離でうてなは止まり、くのりの出方を待つ。

 一瞬で沸騰した地下室の空気は、上昇した時と同じような速度で冷え切る。

 誰も、動かない。

 牽制し合っているからではない。

 深月とうてなは痺れるほどに緊張している。

 唯一、逢沢くのりだけが平然と立ち、どこか楽しげに笑みを浮かべていた。

 まるで親しい友人の家に遊びにきたとでも言いたげな、微塵も臆さないその態度に、深月とうてなは意図をはかりかねる。

 組織に追われる身である逢沢くのりが、その作戦基地に自ら姿を現した。

 それも今日という、このタイミングで。

「いい加減、疲れない?」

 口火を切ったのは、くのりだった。

 これ見よがしに肩を竦め、降参するかのように両手を軽く掲げてみせる。

「やり合うつもりはないから、敵意剥き出しで睨むの、やめてくれる? 疲れるだけでしょ、お互いに」

 視線を深月からうてなへと向け、くのりは薄く笑う。

 いつでも動き出せる状態を維持したまま、うてなは深月へ視線を投げた。

「なにをしに来たの?」

 電気銃を向けたまま、深月が問う。

「どうやって入って来たかは、訊かなくてもいいの?」

「訊かれたことにだけ答えなさい」

 確かにどうやって侵入してきたのかも重要だが、今はそれどころではない。

 一番油断ならない人物が、一番大変な時に現れたのだ。

 どう控えめに考えたとしても、事件と無関係のはずがない。

「なにが目的?」

 改めて問う深月に対し、くのりは笑みを消す。

 真剣みを帯びたその表情は、エージェントが任務を遂行する時に見せるそれとは、少し違っている。

 多分に感情を押し込められた、熱の宿る表情だ。

「手を貸す。彼を、助けたいの」

 難しいことはない。ただそれだけが目的だと、揺らぐ事のない目が物語る。

「状況はわかってる。たぶん、そっちが掴んでいるよりもずっと正確に」

 そう言ってくのりは、上着のポケットに手を入れる。

 二人に緊張が走るが、くのりは片手を上げてそれを制し、ゆっくりと小さな機械を取り出した。組織が開発した、小型の記録媒体だ。

「あいつらに関する情報を持ってきた。確認しても損はないと思うけど?」

「あなたが加担していないという証拠は?」

「残念ながらそれはないかな。こういうのは確か、悪魔の証明って言うんだっけ? いつだったか、龍二がそんなこと言ってた」

 懐かしむように言いながら、今にも拳を打ち込んできそうなうてなに、記録媒体を差し出す。受け取らないのかと言いたげに、くのりは視線を向ける。

「どうする?」

 うてなはジッと睨み付けたまま、深月に判断を委ねた。自分の判断を信じていないのではなく、深月の判断をそれ以上に信じた上での事だ。

「……聞くだけなら」

 そう言いつつも、深月は電気銃を向けたまま、くのりから視線を外さない。

「ただし、妙な素振りを見せたら撃つ。その覚悟は、あるのでしょう?」

「当然。じゃなきゃこんなところに来ないって」

「でしょうね」

 深月はうてなに向かって頷き、記録媒体を受け取るよう促す。

 手のひらを上に向け、うてなはそこに乗せろと顎で示した。

 くのりは素直に記録媒体をうてなの手に乗せ、なにもしないと証明するように再び両手を上げる。

 うてなも警戒を緩める事なく、中央のテーブルに記録媒体を置く。

「そんな慎重にならなくても。爆発なんてしないって」

 軽い調子で話すくのりには答えず、深月は記録媒体をタブレット端末に接続する。もちろん、端末は基地のネットワークから切り離した状態で、だ。

 爆発はしなくとも、ネットワークや機材を破壊するプログラムが仕込まれている可能性は捨てきれない。

 結果的にそれは、杞憂に終わる。

 記録媒体から読み込まれた情報が、タブレット端末に表示されていく。

 くのりから意識を逸らさないようにしつつ、深月はざっと情報を確認する。

 詳細までは読み取れないが、どこかの施設に関する情報や、部隊の規模、装備の類が表示されていた。

 その中には、先ほど捕らえた二人の顔写真も含まれている。

 信用に足る情報である可能性は高いと、深月はそこで判断した。

「嘘じゃないって、わかってくれた?」

 深月の表情から、くのりはそれを読み取った。

 確認するようにうてなも視線を向け、深月が頷き返す。

「なら、話を進めましょ。いい加減、この重苦しい感じも面倒だし」

 くのりは無抵抗を示すために上げていた手を下げ、腰に当てる。

「一分一秒とまでは言わないけどさ、やるなら早い方がいいと思わない?」

 その言葉が、最後の後押しとなった。

「いいでしょう。聞かせてもらうわ。うてなも、それでいい?」

「……ま、いざとなればなんとでもなるし。手詰まりのまま待ってるよりは、マシかな」

 パートナーとして同意を求めてきた深月に頷き、うてなは構えを解く。深月も合わせて、電気銃を下げた。

「座りなさい」

 二人で挟み込める位置に椅子を置き、深月はタブレットの情報をメインコンピューターと共有させる。裏で走らせていたスキャンでも、危険はないと判断されていた。

 それでも完全に安全が保障されたわけではないが、今は目をつぶる。

「とりあえず――」

 一時的に緊張から解放されたうてなは、肩を揉み解しながらテーブルに向かう。

 当然、無防備な背中をくのりに晒す事になる。

 エージェントらしからぬ隙をついて、くのりはうてなの背中に手を伸ばし、

「――――ぇ」

 軽く指を弾くようにして、ブラのホックを外した。

 敵意も殺意もない、あまりにも自然な動作に、うてなは一瞬、なにが起きたのかを理解出来ない。

「――ちょっ、おいっ!」

 それでも完全にブラが外れてしまう前に手で押さえる事ができたのは、彼女にはないと思われていた羞恥心が起こした奇跡かもしれない。

 本能的に胸元を隠す事ができたうてなは、誰になにをされたのかをすぐに理解し、引きつった顔で振り返る。

「はい、エージェント失格。油断しすぎー」

 羞恥と怒りの入り混じったうてなの赤い顔に対し、くのりは挑発的な笑みを浮かべていた。

「は、はぁ⁉ あ、あんたねぇ、いきなりなにしてくれてんのよ⁉」

「んー、親睦を深めようかと思って。女子高生的イタズラ?」

 今にも掴みかかりそうなうてなに臆せず、くのりは横を通り過ぎて用意された椅子に座る。

 怒りが収まらないうてなは、片手で胸元を押さえたまま、テーブルを叩く。

「ふざけてんの? ふざけてるよね? ねぇ? おいコラ!」

「あのタイミングで背中を向けるなんてありえないし。あなたもそう思わない?」

 すました顔でテーブルに肘をついたくのりは、深月に視線を向けて意見を求める。

「その通りね。だからと言って、今の行動になんの意味があるのかはわからないけど」

「だから女子高生的イタズラだってば。ほら、するでしょ? 更衣室とかでさ」

「いいえ」

「そっかー。まぁ、私もそんな経験ないけどねー」

 数秒前の言葉をさも当然のように否定するくのりに、さすがの深月も眉を顰める。

 が、相手にするのは労力の無駄だとすぐに判断した。

「ちょっと! 勝手にそっちで盛り上がるな!」

 しかし、深月のように割り切れないのが神無城うてなという少女だった。

「もういいでしょ。場を和ませようとしただけなんだからさぁ」

「方法がおかしいって言ってんの!」

 怒りに任せてテーブルを強く叩くうてなに、深月が鋭い視線を向ける。備品を壊すような事はするなという意味だが、今のうてなには届かない。

「どうでもいいけど、話をする前に服、着たら? それくらいは待つつもりあるけど?」

 だが、その言葉は違っていた。

 自分たちが着替えの最中であり、下着姿だという事を思い出す。

 深月は黙ったまま一度脱いだ服を手に取る。

 その様子を見ていたうてなは、収まりのつかない怒りに唸っていたが、大人しく着替える事を選んだ。

 くのりは小さく鼻を鳴らして、二人が着替える様子を眺める。

「でも意外。結構それらしい下着だよね、二人とも。なんて言うか、女子高生な感じが出てる。もっとこう、色気も可愛げもない地味なやつしてると思ってた」

「どうでもいいだろ。黙ってろよ」

 ぶっきらぼうに答えるうてなの言葉を、くのりは右から左へと聞き流す。

「ねぇ、それ、自分で選んだの? それとも支給品?」

 無遠慮なくのりの視線を無視して、二人は服を着る作業に没頭する。

「いや、違うか。組織はそんなところに口出しはしないし……じゃあ、久良屋かな? 偽装の精度を高めるために、とかって感じで選んだの?」

 懲りずに話しかけるくのりに対し、ようやくうてなは反応を見せる。

「残念、逆です。私が選んであげたの、久良屋の分も」

 そう答えるうてなの顔は、なぜか得意げだった。

 最低限の着替えを済ませたうてなは、そのまま自分の椅子に座る。

「ねぇ久良屋、こう言ってるけど、ホント?」

「……えぇ、本当よ」

 背中にかかるようになった髪を振り払いながら、深月は面倒くさそうに答える。無視を続けてもいいが、これで終わるのならと期待していた。

「へー、意外」

 感心したように声を上げるくのりに、うてなはますます得意げになる。

「でもどうせそれ、雑誌のやつをそのまま真似ただけでしょ?」

「は、はぁ? 違うし? 女子力がなせる業ですけど?」

「――――んふっ」

 図星をつかれたにも関わらず認めようとしないうてなの発言に、深月は耐え切れず妙な声を漏らした。

 ただ誤魔化しただけなら鼻を鳴らす程度で済んでいただろう。が、女子力のなせる業という言葉には耐え切れなかった。

 その発言を引き出したくのり本人も、予想外すぎる言葉に頬を引きつらせていた。

 二人分の失笑に晒されたうてなは、小さく震えながら拳を握り締める。

「やっぱこいつ、ぶちのめして良くない?」

「我慢、して……」

「だったらこっち向けよ久良屋」

「…………飲み物を用意するわ」

 そう言って立ち上がった深月は、三人分のコーヒーを用意し始める。当然、うてなには背中を向け続けていた。

 恨みがましい視線を深月の背中に注ぐうてなを、くのりはまだ楽しげに眺めていた。

「……まだからかい足りない?」

「もう十分」

「あっそ」

 憮然とした表情で唇を尖らせたうてなは、思いきり背もたれに身体を預ける。

「最初は、やっぱりそうなるよねぇ」

「……なんの話?」

「別に。ただ、私もそうだったっていう話」

 なんでもない事のように呟いたくのりの言葉に、うてなは首を傾げる。

 だが、すぐに気づいて、僅かに目を見開いた。

 その反応にはくのりも気づいているが、それ以上なにかを言う素振りはない。

 逆にうてなが口を開きかけたところで、深月がテーブルにコーヒーを並べた。

「――さて、そろそろ真面目に話を聞かせて貰うわよ」

 くのりの目論見通り、場はある意味和んだ。が、それもここまでだ。

 部屋に漂うコーヒーの香りに、空気が引き締まる。

 二人の視線を受けたくのりは、一口コーヒーを味わってから、話し始めた。

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