第4章 第1話 おかえりなさいが聞こえない その3
「そっか。二人は外食するんだ」
携帯に届いたメッセージを確認した龍二は、口元を綻ばせる。
聡のもとへ届け物をしに行った静恵は、そのまま夕食を済ませて行くことにしたらしい。
「じゃあ姉さんは、食材の買い出しかな」
静恵からのメッセージには、奏に任せてあると書かれている。
帰って来る途中で連絡を受けたのなら、少しくらい遅くなるのも仕方がない。
時計を見上げた龍二は、それなりに進んだノートの上にペンを置いて思案する。
外は夜の気配がいよいよ濃くなっている。
まだ買い物の途中なら、荷物持ちくらいはできるかもしれない。
そう思い、奏にメッセージを送ってみる。
が、すぐに反応はない。
食材選びに集中でもしているのか、それとも両手が荷物で塞がっているのかもしれない。
「もう少し待ってみるか」
携帯を置いて身体を伸ばす龍二は、いつもの影を探すようにキッチンへと目を向ける。
普段ならこの時間は、そこに奏や静恵がいる。そこにいるだけで温かさを感じられる光景だ。
龍二は立ち上がり、誰もいないキッチンの明かりをつける。
だが、明かりをつけたからと言って、キッチンから感じられる寒々しさは僅かも軽減されなかった。
二人がいないだけでこうも変わるものなのかと、龍二はため息を吐く。
なんとはなしに冷蔵庫を開け、中身を確認してみる。
丁度食材を買い足す日だったのか、あまり材料になりそうなものは入っていなかった。
「僕が作れるものなんてたかが知れてるしなぁ」
こういう時、いっそ自分で用意をして驚かせることができたらと思う。
時々二人の料理を手伝う事はあるが、一からひとりで作るとなると話は違う。
携帯でレシピを探せば不可能ではないかもしれないが、材料が心許なさすぎた。
改めて考えてみると、調味料などの正確な位置も把握していない。
さらに言えば、それらしい献立を考えられる自信もなかった。
「頭が上がらないな」
当たり前のように毎日用意してくれる静恵と奏に感謝しつつ、龍二は冷蔵庫を閉める。
リビングのテーブルに戻って携帯を確認してみるが、奏からの返信はない。それどころか、確認した形跡すらなかった。
改めて時計を確認する。
先ほどから数分しか経過していないが、徐々に不安が膨れ上がっていく。
ただ遅いだけならいい。
しかし、連絡がないという事実が、龍二に不安と嫌な予感を覚えさせていた。
理由はいくらでも考えられる。
でもそれなら、連絡があるはずだ。
普通なら、そうしてくれる。
不要な心配をさせないようにと気を遣ってくれるタイプだと、良く知っていた。
だからこそ、不安になる。
「――――っ⁉」
龍二が電話をかけてみようと決意した、その時だった。
部屋の明かりが不意に消え、静まり返る。
「……停電、か?」
中庭に続くカーテンを少し開け、外を確認してみる。
予想した通り、周辺に明かりは一つとしてなかった。
急な停電とはいえ、暖められた室内の空気はまだそのままだ。すぐに寒気を感じたりする事はない。
そのはずなのに、龍二は身体の芯から震えるような悪寒を覚える。
まるで無意識に、なにかを怖がっているようだった。
電気の消えた室内は、少しずつ闇を強めているようにすら感じる。
その暗く冷たい部屋に、僅かな明かりが灯る。
テーブルに置いたままの携帯が鳴動し、メッセージが届いた事を告げていた。
龍二はすぐに元の場所へと戻り、携帯を確認する。
「姉さんからだ」
やっと返事がきたことに頬が緩み、最初から感じていなかったかのように、不安が消える。
「…………」
が、それも一瞬だけだ。
それ以上の闇に包まれるような感覚が、龍二を襲う。
メッセージと共に送られてきた画像を見て、すぐには理解できなかった。
思考が凍り付いたように、理解を拒む。
「――――っ⁉」
なにか、重い音が遠くで響いた。
決して忘れられない最悪の瞬間を想起させる、禍々しい音だ。
幸か不幸か、その音が龍二の思考を溶かし、理解させる。
奏の携帯から送信された画像は、性質の悪い冗談としか思えないものだった。
「……嘘だ」
掠れた声で呟き、よろめく。壁にぶつかった背中の痛みが、逃げる事を阻むように龍二を追い詰める。
真実であり、現実であると。
震える手に力が入らず、今にも携帯が滑り落ちてしまいそうだった。
小さなディスプレイに表示された画像には、安藤奏の姿が映っている。
それは部屋を照らす唯一の明かりであり、闇の象徴でもあった。
画像の中の安藤奏は、見知らぬ場所で椅子に縛られ、拘束されていた。
気を失っているのか、奏の姿は静かに眠っているようにも見える。
「なんでだよ……」
必死に携帯を手放さないよう、両手で握り締める。
もし手放してしまえば、奏の存在まで零れ落ちてしまいそうな気がして、怖かったのだ。
まさかという最悪の予感が、現実となって龍二に突きつけられる。
混乱すら許されない、圧倒的なまでの絶望が迫ってくるようだった。
「そうだっ」
この状況で自分が取るべき行動がなんなのかを、龍二は思い出す。
できることなんて、最初からほとんどないに等しい。
今はまず、彼女たちに連絡を取ることが先決だ。
彼女たちなら……いや、彼女たちだけが希望だ。
情けないなどと自分を恥じている場合ではない。
恥じる程度で奏を救えるのなら、いくらでもそうしよう。
震える手に苛立ちながら、龍二は携帯を操作して深月たちに連絡を取ろうとする。
「――っ!」
まるでその行為を阻むかのように、再び携帯が鳴動する。
今度はメッセージではなく、電話だ。
携帯のディスプレイに表示されているのは、待ち続けていたはずの名前だった。
こんな気持ちでその名前を見るなどとは、夢にも思っていなかった。
気を失ってしまいそうな恐怖を覚えながら、安藤奏と表示された画面に、龍二は祈るように触れた。
「正気か!」
玄関の中へ戻ったうてなは、見えない敵を罵倒する。
明かりの消えた住宅街に響いた銃声は、うてなのすぐ横にある玄関を穿っていた。
これ以上ないほどの不意打ちだ。
狙撃された瞬間うてなは、魔力による強化を全て移動に使おうとしていた。
咄嗟に戻っていなければ、うてなの身体を容易く貫いていただろう。
致命傷になったかどうかはわからないが、どちらにせよ回復に膨大な魔力を費やす事はさけられない。
数ヶ月前の失態を思い出し、舌打ちする。
どちらにせよ、初弾の不意打ちを回避できたのは僥倖だ。
魔力で全身を包み、防御を固める。
こんなところで時間を取られている場合ではないが、戦えなくなっては意味がない。
落ち着け、とうてなは口の中で呟きながら、上昇した思考の熱を下げる。
状況はすでに最悪と言ってもいいくらいだ。
ここ最近の穏やかだった期間に蓄積された危機が、一気に襲ってきたような状況と言ってもいい。
今この瞬間、十中八九、安藤龍二の身に危険が迫っている。
護衛としてはすぐ駆け付けたいところだが、見事に出鼻を挫かれた。
相手が何者かは見当もつかないが、この家が作戦基地だと知った上で行動を起こしている。
それは別に構わない。深月とも相談して、あえてわかるように振舞っている。
生半可なやり方で安藤龍二に手を出すのはリスクが高すぎると、そう思わせるためだ。
ここ数ヶ月、組織的な襲撃は一度としてなかった。少なからず効果があったと見ていいだろう。
問題は今回のように、それを承知の上で行動を起こす相手だ。
そういう相手が出てきた場合、うてなと深月だけで対処するのは困難だとわかりきっていた。
だったらいっそ、目立つくらいの護衛で牽制する事にしたのだ。
正直、ここまで派手な行動を起こす相手がいると、うてなは思っていなかった。
「ただの高校生だっていうのにさ」
牽制するように再び撃ち込まれた弾丸に、うてなは悪態を吐く。
今回の相手は、住宅が密集するこの場所で実銃を使うことを躊躇わない。
今までで一番性質が悪い敵なのは明白だ。
防弾仕様の壁に背中を預け、うてなは周囲の気配を探る。
うてなのそれは、深月たちエージェントが訓練で身に着けたものとは違う。魔力によって強化した聴覚や嗅覚を駆使したものだ。
「狙撃手と……あと二人……いや、三人か」
確実とは言い難いが、距離を詰めてくる気配は三つ。
あわよくばうてなたちを制圧するつもりだろうが、最優先は足止めなのだろう。
決して急ぐことはなく、じっくりと包囲を狭めてきている。
その間に龍二を確保する作戦なのは明らかだ。
隠れている時間を活用して靴を履いたうてなは、耳の通信機に触れる。
「久良屋、状況はわかってる?」
『えぇ、待って……センサーが今復旧した。端末に敵の位置を送る』
「……確認した。やっぱり狙撃手一人に前衛が三人か」
『入り口を見張られているのね』
「バッチリね。あいつの方は?」
『……よくないわね。不審な車両が安藤家の玄関先に移動してる』
「今動くしかないね」
うてなはそう言って深呼吸をする。
まずは狙撃をかわしながら前衛を制圧するか、と考えて壁から離れる。
『待ちなさい。今、裏手に回った。私が援護しつつ囮になるから、あなたは構わず突破して』
「やれるの?」
『それは問題じゃない。最優先は彼の保護、そうでしょう?』
当たり前のように返ってくる答えに、うてなは目を閉じる。
深月の判断はエージェントとして正しい。
ただしそれは、深月本人の安全を考慮しないという事でもある。
うてななら無傷で全員を制圧できる。それは間違いない。
だが、深月の場合はそうもいかない。
距離を詰めてくる動きから見て、うてなたちが実銃を使わないとわかっているのだろう。
麻酔銃や電気銃の射程では、圧倒的に不利だ。制圧力を考えても、相手の戦力に対して心許ない。
いくら深月が優秀とは言え、戦闘用のスーツを着用していない状態でこの戦力差は厳しい。
深月がそれに気づいていないはずがない。
それでも彼女は、安藤龍二の保護を最優先に考え、自身を囮にするつもりなのだ。
「……それで行こう。こっちは任せた」
きっちり一秒で目を開いたうてなは、深月の提案に頷く。
こうして迷っている時間すら、本来は許されない状況なのだ。
安藤龍二を保護するための数秒を稼ぐために、久良屋深月はその命を賭ける。
うてなにできる事、すべき事は一つだけだ。
『そっちもね』
「任せとけ」
深月が通信機越しに笑みを浮かべているような気がした。
それが合図となり、うてなは玄関ではなく、窓ガラスを蹴破って飛び出す。
当然防弾仕様のガラスだが、魔力で強化されたうてなの蹴りならば、それすらぶち破れる。
ガラスが割れる音に重ねて、裏から回っていた深月が駆ける。
敵全員がうてなに気を取られた一瞬の隙をついた。
敵の銃口は全てうてなの方へと向けられている。
一番近くにいた敵は深月に気づく事さえできなかった。
スタングローブの電撃を首筋に受けた敵は、くぐもった声を漏らして気絶する。
残っている二人の前衛は、その音に反応して深月の存在を補足した。
暗視スコープを装備した顔が、深月のほうへと向けられる。
その段階ですでに、うてなの姿はない。
全力で疾走するうてなを視界で捉えることは、彼らにも不可能だった。
向かう先はわかりきっているのだから、追いかけることもできただろう。
だがそれは、深月がいなければ、だ。
最悪、どちらかだけでも足止めできればいいという作戦なのか、残された前衛二人と狙撃手は、一斉に深月へとターゲットを変更した。
それでいい、と深月は姿勢を低くする。
うてなの足なら、まだ十分間に合うはずだ。
この時点で、深月の役目は終わっている。
だからこの先は、次の作戦に向けて行動しなければならない。
残った敵を全て制圧し、援護になど行かせない事。
そして、捕らえた敵から情報を得る事だ。
ろくな装備もない状態でそれができるか、が問題ではあるが。
「任されてしまったものね」
うてなの言葉を思い出し、自然と笑みがこぼれる。
不思議な高揚感を覚えながら、深月は自分に向けられた銃口を睨みつけた。
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