第3章 第3話 Eazy Time その2

 安藤龍二は心を無にして、焼きそばの調理に勤しんでいた。

 龍二と並んで屋台に立っているのは、神無城うてなともう一人、別の女子だ。

 女子生徒は品物の受け渡しを担当しつつ、龍二と共に調理も任されている。

 一方うてなはというと、受け渡し兼呼び込みを担当させられていた。調理に携わることは、クラスメイト全員の意見として禁じられている。

 その理由がつまみ食いの常習犯だからという事に、深月は頭を悩ませたものだった。

 とにもかくにも、焼きそばというありきたりな出店にも関わらず、客入りはまずまず好調だった。これは神無城うてなの功績と言える。

 彼女が率先して増やしたメニューと、彼女自身の人目を惹く容姿、それに加えて人懐っこく誰とでも話せる性格が、思わぬ効果を生んでいたのだ。

 こと食べ物に関して、彼女の熱く語る姿勢がプラスに働いた稀有な例だろう。

 行列というほどではないが、ほどよく途切れない客足に、調理を任されている龍二は休む暇もない。

 それを取り囲むようにして集まっているのは、ほとんどがクラスメイトたちだ。

 店番のローテンションから外れている生徒ですら、なぜか屋台の周辺に残っているのにはもちろん理由がある。

 そしてそれは、龍二が心を無にしているもう一つの理由でもあった。

「うん、いい写真が撮れた」

 そう言って満足げに携帯の画面を眺めているのは、龍二の姉とも言える存在の安藤奏だ。

 これで何枚目になるかはわからないが、屋台に到着してからというもの、彼女は龍二の写真を飽きる事なく撮影しまくっていた。

 安藤奏の容姿が人目を惹くというのは、龍二も十分に理解している。

 文化祭に顔を出しては、龍二の写真を撮りまくるのも毎年の事だ。

 すでにクラスメイトたちも恒例行事として受け入れている節すらある。

 屋台の周辺にいる男子生徒の中の何人かは、彼女が目的で待ち構えていた。

 龍二としてはいろいろと複雑な気持ちだが、彼らの気持ちもわからなくはないので、強くは言えずにいるのだ。

 それでも今年は、人だかりが例年に比べても多い。

 原因は恐らく、大学生になって一層大人びた雰囲気を持つようになった奏にある。

 去年までは別の高校に通っていたため、そこの制服を着ていたのだが、今年は私服だ。

 初めてみる奏の私服姿に男子高校生が沸き立つのは、仕方のない事だった。

「あ、そうだ。動画も撮影しとこ」

「ちょっと姉さん! もう十分でしょ!」

 さすがに耐え切れなくなった龍二は、抗議の声を上げる。

「全然十分じゃありません。ほら、頑張ってー」

 抗議する姿すら楽しんで撮影する奏に、龍二は低く唸る。わかってはいた事だが、三年目でもやはり恥ずかしいものは恥ずかしかった。

「なんで連れて来ちゃうのさ……」

 奏には聞こえないよう、小さな声で龍二は近くにいる深月に話しかける。

「ごめんなさい。まさか、こうなるとは思わなくて」

 少なからず戸惑いの表情を浮かべて、深月も小声で返す。

 彼女が実の弟のように龍二を思っている事はわかっているつもりだったが、まさかこれほどとは想像もしていなかった。

 深月自身、奏はもっと大人びているというイメージを抱いていたため、そのギャップに驚いていた。

 そして彼女の楽しそうな姿に、数日前に見たあの写真を思い返してしまう。

「どうせなら女装させておけば良かったなぁ。そうしたらほら、笑ってはいけない文化祭的な面白さが――あいたっ」

 狙い撃ちで笑わせようとするうてなに、深月は誰にも見えない角度で蹴りを入れた。

 思い出しただけで頬が引きつりそうになるのを堪える深月に対し、うてなはニヤニヤと楽しげに頬を緩ませている。

 そんな二人の会話は当然、龍二の耳にも届いていた。

 文句の一つも言ってやりたいが、生憎と二人に構っている余裕はない。

 なかなか途切れない注文に追われて、それどころではないのだ。

「姉さん、今忙しいから、他のところも回って来なよ。せっかくだしさ、ね?」

「龍君の休憩は何時から?」

「まだ二時間くらい先だよ。だからさ――」

「じゃあそれまでお姉ちゃん、待ってるから」

「いやでもさ」

「平気。こうして撮影してるの、面白いから」

「だからそれが問題なんだよ……」

 龍二としてはどうにかしてこの場から離れて欲しいのだが、生憎と奏にそのつもりは一切ない。

 彼女がこの文化祭に足を運んだのは、龍二と楽しむためなのだから。

 そこには夏休みの、花火大会すっぽかし事件も絡んでいる。

 奏としては、あの時の分までこの文化祭を楽しむつもりなのだ。

 龍二としても、奏を無碍にするわけにもいかないのだが、あと二時間この状況が続くのは、正直困る。

 忙しさや恥ずかしさもあるが、それとはまた別に、男子生徒のやっかむ視線が痛いのだ。

 下火になりつつある元カノ騒動に、油を注ぎかねない。

 平穏な学生生活を望む龍二としては、回避したい状況だった。

 とは言え、素直にそんな事情を奏に話すわけには、絶対にいかない。

 新たなる問題を生むだけなのは、火を見るよりも明らかなのだから。

「いいよ、龍二。こっちで回しとくから、繰り上げで休憩してきな」

 八方塞がりな龍二に救いの手を差し伸べたのは、意外にもうてなだった。

「そんな、さすがにダメでしょ」

「大丈夫だって。私には実行委員の権力があるんだから。ローテの調整くらい、なんとでもなるって」

 そんな権力がいつできたのかは謎だが、自信満々に断言するうてなの提案は魅力的だ。可能なのであれば、そうしてしまいたい。

 龍二と文化祭を適度に見て回れば、奏も満足して帰ってくれる。

「ほら、さっさと行ってきなよ」

「……本当にいいの?」

 調理用の器具を奪い取ったうてなは、それをそのまま隣の女子生徒に渡す。受け取った女子生徒も、文句はないと笑顔で答えてくれた。

「久良屋も一緒に行けるのは、今くらいだし。チャンスはここしかないでしょ」

 他の生徒には聞こえないよう、耳元でうてなが囁く。

 状況を理解している深月も、龍二の視線に気づいて頷いてくれた。

「じゃあ、ちょっとだけ。ありがと」

 そう言って龍二は着用していたエプロンと調理帽を脱ぎ、屋台を回るようにして奏の隣へ移動した。

「気を遣ってくれてありがとう。帰りにいっぱい買って行くね」

「まいどどうもー」

 笑顔で頭を下げる奏に、うてなは軽い調子で答える。

「ちゃんと時間までには戻って来いよ? 私も楽しみにしてるんだからさ」

「約束するよ。それじゃあ、あとはよろしく」

「おう」

 数年来の友人のような二人のやり取りに、奏はなにかを察したように目を細めるが、龍二は気づかない。

「これからなんだけど、彼女も一緒で構わないかな?」

 屋台から少し離れたところで、龍二はすぐ後ろにいる深月へ視線を向ける。

「あら、もしかして先約?」

 なにやら楽しげな笑みを奏は浮かべる。

「そうじゃないんだけど、ほら、どうせなら人数は多いほうがいいし。それに久良屋さん、転校生だから。いろいろと、さ?」

「いいよ、断る理由なんてないし。と言うか、久良屋さんの休憩を邪魔しちゃったのは私だし。久良屋さんさえ良ければ、一緒に、ね?」

「それじゃあ、はい」

 無事深月も同行できる事になったと、龍二はひとまず胸を撫でおろす。奏がここで拒むような性格ではない事はわかっていたので、さほど心配はしていなかったが、もしかしてという事もあり得た。

「それにしても龍君、モテモテだねぇ」

「モテモテって……なにわけわかんないこと言ってるのさ」

 軽く脇腹を突いてくる奏に、龍二は呆れたように返す。

「さっきの子と、凄く仲良かったように見えたけど?」

「さっきのって……うてなのこと?」

「あ、名前で呼んでるんだ。ふーん、そっかぁ」

 しまった、と思うがすでに遅い。奏はますます楽しげに笑みを浮かべ、龍二に身を寄せる。

「ちょ、ちょっと姉さんっ」

「知らなかったなー。あんな可愛い子と名前で呼び合う仲だったなんて」

「へ、ヘンな言い方しないでよ。べ、別によくあることでしょ」

「じゃあ、どうして彼女は久良屋さんって呼ぶの?」

「え? いや、それはその……なんとなく、あるでしょ? 呼び方が定着する感じとか」

「なら、あの子のことは最初から名前で呼んでたの?」

「それは……ど、どうだったかなぁ?」

 状況の不利を悟った龍二は、とぼけたように視線を逸らす。

 その先でなぜか、興味深そうに視線を送ってくる深月と目が合う。

 もしかしたら呼び方について、なにか言いたい事があるのかもしれない。

 が、今はそれどころではない。

「っていうかあの子、あれだよね。夏休みに龍君がデートした子」

「あ、あー!」

 そうだったと、ようやく龍二も思い出す。

 うてなと奏は初対面ではない。

 夏休みの時に、一度顔を合わせている。

 それもうてながデートに誘いに来るという、ろくでもないシチュエーションで。

「やっぱり、そうだよね」

「まぁ、うん」

 奏の様子を見るに、もっと前から気づいていたのだろう。その上で、龍二をからかっていたのだ。

「今日はあの大きなサングラス、してないんだね」

「あれはなんて言うか、気の迷いだったんじゃないかな」

 夏休みのとある一日を思い出した龍二は、疲れたようにため息を吐く。

 あの日、帰ってから説明するのに感じた疲れが、蘇ってくるようだった。

「それで、付き合ってるの?」

「なんでそうなるのさ」

 笑みを浮かべたまま顔を覗き込んでくる奏に、龍二は呆れたように返す。そうではないという説明は、夏休みの間に散々したはずだ。

「デートはしたけど、付き合ってはいないんだ」

「だからそれは……まぁ、とにかく違うから」

「でも、元カノではあったんだよね?」

「…………は?」

 ここで出て来るとは思っていなかった単語に、龍二は滑稽なほどに間の抜けた声を漏らした。

 その声を引き出した奏は、実に楽しそうだ。

「な、なんでそうなるのかな?」

「だって、みんな……特に男の子がいろいろ言ってたよ? 主に龍君への恨みつらみって言うのかな? なんで安藤ばっかりーとか、元カノが二人もいやがるくせにーとか?」

 奏はそう言って、黙って佇んでいる深月へと視線を向ける。深月は肯定も否定もせず、涼しい顔をしているだけだった。

 助け舟は期待できそうにないと、龍二は肩を落とす。

「ちょっとね、誤解があったんだよ、うん。不幸な誤解がね」

「ふーん?」

 どんな誤解なのかな、と言いたげな奏の視線が物語っているが、龍二は気づかないふりを決め込む。

 下手に説明をすればするほど、泥沼にハマりそうな気がしていた。

「もしかして、だけど」

 それまでの悪戯めいた笑みを消し、奏は声を潜める。

「久良屋さんのときみたいに、なにか事情があるの?」

「……うん、そんな感じ」

「そっかそっか。なら良し」

 納得したように頷いた奏は、無罪放免だとでも言いたげに龍二の肩を軽く叩いた。

 そんな奏の様子に、龍二はようやく安堵する。

 多少の誤解はあるものの、これなら安心して文化祭を楽しむ事に集中できそうだ。

「それじゃ、どこから行こうか?」

「エスコート、よろしくね」

「それ、一番困るやつ」

「頑張れ男の子」

 肘で突かれた龍二は、先ほどから静観している深月に声を掛ける。

「久良屋さんは、どこかない? って言うか、もうどこか行ってみた?」

「えぇ、いくつか」

 深月はそう答えながら、龍二が持っているパンフレットにペンでチェックを入れていく。

「あ、結構行ってるね」

「そう?」

「思ったよりは。どうだった?」

「良かった、と思うわ」

「……そっか」

 簡潔すぎて参考になるとは思えない深月の答えに、龍二はなぜか満足げな笑みで頷く。

「これだと……食べ物よりは出し物系がいいかな。姉さん、お腹は空いてない?」

「大丈夫かな。ほら、帰りにいっぱい焼きそば買って行くし」

「そうだった。じゃあ、校舎の中に行こうか」

「うん」

「久良屋さんも、それでいい?」

「……えぇ」

 深月は小さく頷き、連れ立って歩き始めた二人の少し後ろについた。

 並んでパンフレットを覗き込み、どこから行くのかを検討している二人の背中を、静かに見つめる。

 こうしてみると、仲の良さがわかる。

 本当の姉弟のようだと、深月にも思えた。

 二人の様子を見守る深月の口元が、自然と綻ぶ。

 だが本人は、その事に気づいていなかった。

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