第2章 第2話 黄昏から来た少女 その4

 一瞬で膨れ上がった炎が、うてなを覆い尽くすように襲い掛かる。

 戦闘態勢に入っているうてなにとって、見てから飛び退いてかわすことは容易だ。

 しかしうてなは、その場から逃げることなく、左手で打ち払う。

 術式によって生み出された炎は、うてなの一振りで霧散する。より濃密な魔力に触れ、術式が崩壊した結果だ。

 ヒジリが行使した魔術は、物理的な方法で防ぐことができる。今のような炎であれば、壁で遮断することは可能だ。だが、炎を掻き消すことはできない。

 魔力で生み出された事象に干渉する方法は一つだけ。

 同じように、魔力で対抗するしかない。

 だからこそ、魔力を帯びているうてなは、銃弾でも傷つけることはできないのだ。

 正面からうてなに挑み、傷を負わせることができる唯一の存在――それがヒジリカナウ、最後の魔術師を名乗る少女だった。

 難なく初手を防がれても、ヒジリは眉一つ動かさず、次の手を打つ。

 彼女の前に浮かぶ炎は五つ。それぞれがサッカーボールほどの大きさになり、うてなへ狙いを定めるように揺らめく。

 軽く半身を引いて構えるうてなは、炎が放たれる瞬間に備え、すぐさま横に飛び退いた。

 直前までうてなが立っていた場所を、不可視の風が舞う。そこに生まれたのは、触れたもの全て切り裂く真空の刃だった。

 うてなは術式が発動する際の魔力を感知し、寸前で回避を選択した。

 真空の刃に込められた魔力の量は、先ほどの炎とは比べ物にならない。

 仮に今の魔力量で打ち消そうとしていたら、その腕に深い切り傷を負っていただろう。

 同じ術式であっても、発動の際に込めた魔力の量や質によってその威力は変化する。

 ヒジリはその性質を利用して、うてなの油断を誘ったのだ。

「やるじゃん」

 うてなは素直に感心しつつ、着地を狙って撃ち込まれる火球を次々と霧散させた。

 甘く見ていたわけではないが、予想以上の相手だと認識を改めるざるを得ない。

 今の攻防だけで、ヒジリカナウの魔術師としての力量が高いことはわかった。

 あの一瞬で二つの魔術を同時に行使するだけでなく、その威力まで自在に変化させるのは、並大抵の魔術師にできることではない。

 それができるとわかった以上、うてなも迂闊に防御することはできなくなった。

 発動してから放たれる魔術であれば対処は容易だが、ほとんどタイムラグのない先ほどのような魔術に対しては、回避を選択するしかない。

 牽制の中に紛れ込ませた本命を見誤れば、一撃でも致命傷になり得る。

 魔術師が現存しているだけでも驚きだが、その魔術師がこれほどの存在だとは。

 完全に想定外だったと、うてなは内心ため息をつく。

 狙いが自分に絞られているのは、不幸中の幸いだ。

 龍二を守りながら戦って御せるような相手ではない。

「いいよ、やってみな」

 それほどの強敵と認識した上で、うてなは笑みを浮かべる。

 楽しいと感じているわけではないが、高揚感がないと言えば嘘になる。

 彼女の体内を巡る魔力が猛り、戦闘意欲を掻き立てていた。

 それは彼女に刻まれた、呪いと言ってもいい。

 生きるために加速する魔力の流れは、さながらアドレナリンだ。

 敵の術式を読み取るために、意識さえ加速する。

 ヒジリが放つ魔術は、実に多彩だった。

 火球に始まり、氷塊、雷撃、風刃と、絶え間なくうてなを狙って放たれ続ける。

 もちろん、それだけではない。

 頭上から降り注ぐ氷の槍をかわせば、身体を拘束しようと芝生から茨の鎖が伸びる。

 腕をからめとられたうてなは、すぐに茨を引きちぎろうとするが、そこへ炎の壁が津波のように襲い掛かる。

 絡みつく茨に構わず、うてなは炎を壁に拳を叩きつけて打ち消した。その余波で茨も消失する。

 休む間は与えぬとばかりに、更なる魔術の嵐がうてなを襲っていた。

 その中に紛れ込んでいる必殺の魔術を、うてなは瞬間的に見極めて回避する。

 ヒジリは汗一つ掻くことなく、泰然と佇んだまま魔術を行使し続けていた。

 接近しようとするうてなの二手先を読み、魔術の檻へ誘い込む。

 四方八方から際限なく撃ち込まれる魔術を、それでもうてなは防ぎ、かわし続けていた。

 その光景を遠目に見ている龍二は、呼吸すら忘れそうになっていた。

 神無城うてなが特別なのは知っていた。

 彼女の戦いは、これまで何度も見てきた。

 正直、龍二の動体視力で捉えきれるような戦いではなかった。

 だが、彼女の圧倒的な強さはわかる。

 それが魔力によるものだということも、知っている。

 どういうわけか、自分にもなにか関係があるものだとも。

 三週間前、龍二はうてなにキスをされた。

 それがなんの意味を持つのか、今でもわからない。

 ただ、それがきっかけでうてなは魔力を回復させ、龍二は不思議なものが見えるようになった。

 うてなの全身を包むような、淡い揺らめき。

 それはうてなが纏う、魔力そのものだ。

 なぜ見えるようになったのかはわからない。

 確かなのは、今この瞬間、うてなが纏っている魔力はあの時の比ではないという事だ。

 淡いゆらめきなどでは断じてない。

 烈火の如く猛り、迸るオーラのようだった。

 うてなと、もう一人の少女の戦いは凄まじかった。

 これが魔力を持つ者同士の戦いなのかと、龍二は見入ってしまう。

 全てを把握できているわけではないが、そのデタラメとしか言いようのない戦いが及ぼす影響は、はっきりと残る。

 うてなが防いだ魔術はその場で消失するが、かわしたものは別だ。

 放たれたエネルギーは地面を抉り、壁を砕いていた。

 競技場はその役割を果たせないほどに破壊されている。

 あちこちで舞い上がる粉塵や煙は、二人の少女を包み込む霧のようだった。

 幻想的とは程遠い戦いに、龍二は息を呑む。

 魔力がぶつかり合い、突風のように弾ける。

 その繰り返しの中で、信じられない光景を目にし、思わず掠れた声が漏れる。

 縦横無尽に走る魔術の攻勢に、うてなが次第に押され始めていた。

 少なくとも、龍二の目にはそう映る。

 いや、違う。

「どうして……」

 うてなはただの一度も、攻撃していない。防戦一方だ。

 相手の手数が多い。それもあるだろう。

 格闘戦が得意ではないのか、少女はうてなの接近を許さない戦い方をしている。

 だが、それだけではない。

 うてなが攻めあぐねているのでもない。

 魔術の嵐を潜り抜け、いざ踏み込めるというタイミングで、うてなは退いているように見える。

 劣勢になりつつある状況で、躊躇しているかのようだ。

 そしてついに、苛烈さを増すヒジリの魔術が、うてなを捉えた。

 跳躍したうてなが着地した瞬間、度重なる魔術の余波で荒れていた地面に足を取られ、バランスを崩した。

 それは瞬きしていれば見逃してしまいそうな、僅かな隙。

 ヒジリカナウという魔術師は、その隙を見逃さなかった。

 地中から伸びた無数の茨が、うてなの身体を掠めていく。肉体を包む魔力障壁ごと皮膚を切り裂かれ、うてなは四肢に傷を負った。

 痛みに顔をしかめ、それがまた新たな隙を生んでしまう。

 皮膚を裂いた茨がうてなの腕に絡みつき、一時的に回避を封じる。

 そこに撃ち込まれるのは、数えきれないほどの火球だ。頭上から降り注ぐ火球は広範囲に及ぶ。

 茨の拘束から逃れる時間はないと判断したうてなは、全ての魔力を防御に回す。

 一つ一つの威力はそれほどでもないが、頭上を埋め尽くすほどの量となれば別だ。

 火球が障壁にぶつかり霧散するたび、うてなの魔力は削られていく。

 同時に少なからず、魔力が弾ける衝撃がダメージとなって蓄積していた。

 途切れる気配がないその火球の雨に耐えながら、うてなは抱いていた疑念を一層強くしていた。

 ヒジリカナウが行使している魔術は、それほど特別なものではない。魔術師であれば容易に習得可能な、基礎とも言える魔術が多い。

 もちろんそうではない魔術もあるが、問題はそこではなかった。

 魔術を行使するたび、ヒジリは魔力を消費している。それは間違いない。

 だが、これほどの質と量を行使し続けてなお、彼女の魔力が尽きる気配がない。

 それは通常、あり得ないことだった。

 一人の魔術師がこの短時間で扱える魔力には限界がある。

 ましてや彼女はうてなと同様、己の体内で生成された魔力しか使用できない。

 ゆえに、魔法陣や特別な詠唱を用いた魔術も行使することはできない。

 この世界においてそれは、絶対的な法則だ。

 だから、あり得ないはずなのだ。

 これほどの魔力を、今なお平然と放ち続けることは。

 ヒジリの魔力が尽きるまで凌げばいいと、うてなは考えていた。

 なにもこちらから攻撃して、相手を倒す必要はないと。

 気が済むまで攻撃させ、魔力が尽きたところで拘束すればいい。

 本心で言えば、ヒジリカナウを傷つけたくはない。

 ヒジリにとってうてなは敵だが、うてなにとっては違う。

 負い目はあるが、敵と認識することは、やはりできなかった。

 これが久良屋深月であれば、あるいは逢沢くのりであれば、負い目の有無など関係なくヒジリカナウと戦っていただろう。

 彼女たちは生粋のエージェントであり、プロフェッショナルだ。

 しかし神無城うてなは、エージェントでもなければプロフェッショナルでもない。

 特別な力をもってはいるが、あくまで彼女の本質は、年相応の少女だ。

 戦闘技能や任務に対するプロ意識の希薄さが、窮地に追い込まれている原因でもあった。

「どうした? この程度か? 違うだろう?」

 反撃する素振りを見せないうてなに、ヒジリの表情が歪む。怒りと嘲りが鬩ぎ合うような、歪な笑み。

「亀のようにいつまでも……バカにしているのか?」

 無限の火球を烈風へと変え、うてなの身体をじわりじわりと切り裂いていく。

 複数の竜巻がうてなを四方から囲み、逃げ場はない。

 ひと息に深手は負わせず、風の刃で浅く撫でる。

「そんなつもりはないけど」

「なら見せてみろ。お前の力を……忌々しい異邦の力を」

 挑発するように、鋭い風がうてなの頬を掠めた。切られたことに遅れて気づいたかのように、うっすらと血が滲み出す。

「生憎と、見せられるほどのものじゃなくてね。派手さならあんたの勝ちだよ」

 うてなは自嘲気味に吐き捨てると、目の前の竜巻に飛び込む。多少の傷は覚悟の上で、風の包囲網を強引に突破した。

 どうにか切り抜けたうてなの姿は、お世辞にも無事とは言い難かった。

 服は酷い有様で、全身に細かい切り傷がいくつもある。

 太ももに受けた傷が一番深く、問題と言えば問題だった。

 治癒に魔力を集中させる余裕を与えてくれる相手ではない。

 足に怪我をしているとしても、今ならまだ攻勢に転じることもできる。

 余力があるうちにそうするのが最善だ。それはうてなもわかっている。

「……本当にやる気がないのか」

 戦闘が始まって以来、ヒジリが魔術の行使をやめたのはそれが初めてだった。

 回復するチャンスにも思えるが、無詠唱で発動するヒジリの魔術は、ほぼタイムラグがない。

 この状況で防御を弱めるという選択を、うてなはできない。

「戦う理由があるのは、そっちだけでしょ」

 自身の不甲斐なさを呪いながら、それを悟られないようにうてなは答える。

「でも、さすがに無茶しすぎなんじゃない? そんなデタラメな魔力の使い方してたら、朝が辛くなるよ」

 そう言って鼻を鳴らすうてなに、ヒジリは無表情で答える。

「朝なんて、来ない。私はずっと、夜に生きている。お前が奪ったんだ。忘れたのか?」

「……さてね」

「そうか、やはりその程度か……」

 煮え切らないうてなの言葉に、ヒジリの中で燻っていた狂気が蠢き出す。

 危ういバランスで均衡を保っていた理性が、ひび割れていく。

 憎悪に彩られた瞳でうてなを見据え、口元には笑みを浮かべている。

 今にも笑い出しそうであり、泣き出しそうでもあった。

「私たちのことなんて、気に留める価値もないって言うのね。さすがは稀代の侵略者。傲慢にして不遜……いいね、実にいい。それでこそ、殺し甲斐がある」

 銀色の髪が鈍く輝き、風をまとって漂う。

 憎悪が形を成して空へのぼるように、漆黒の炎がヒジリの背後に現れる。

 その炎はうてなではなく、ヒジリの身体に巻きつく。

「そうでしょ? ねぇ、神無城うてな」

 囁く声は、うてなの耳元で生まれた。

 一瞬で間合いを詰めたヒジリは、うてなを背後から抱きしめるように腕を広げる。

 辛うじて反応できたうてなは、直感だけで前に転がってその腕から逃れた。

 振り向いた先には、もうヒジリの姿はない。

「こっち」

 クスリと笑う声が聞こえた瞬間、うてなの身体は宙を舞っていた。

 これでもかと背中を強打された、それだけはわかった。

 先ほどまで見せていた魔術とは全く異なるものだと、地面に叩きつけられながらうてなは理解する。

 無様に倒れ伏したうてなは、すぐに飛び起きる。

 ほんの僅かではあるが、追撃されていたらなすすべはなかっただろう。

 距離を取ってヒジリを見据える。

 漆黒の炎はおそらく、身体機能を飛躍的に向上させる魔術の類なのだろう。

 その纏っている魔力量だけでも、並の魔術とは一線を画している。

 それすら無詠唱で行使できる、というのは完全に誤算だった。

「伊達じゃないってことか……」

 背中に受けた一撃は、下手をすれば骨を砕かれてもおかしくはなかった。

 魔力を防御に傾けていなければ、致命傷になっていたかもしれない。

 うてなのこめかみを、冷や汗が伝う。

 負い目だとか理由がないとか、そんな甘いことを言っている場合ではなさそうだ。

 やらなければ、やられる。

 そう思わざるを得ないだけの力が、ヒジリカナウにはある。

 それでもまだ捨てきれない感情が、うてなに致命的な後手を踏ませた。

 強打された背中に違和感を覚える。

「――――なっ!」

 気づいた時には手遅れだった。

 背中に覚えた違和感が、一気に膨れ上がって覆い被さってくる。

 打撃を受けた際に付与された黒い炎が一気に広がり、うてなの全身に絡みついた。

 漆黒の炎はうてなの身体を拘束し、その場に固定する。

 魔力で打ち消そうとするが、できない。

 それどころか、その炎はうてなの魔力を吸い上げてより強固な術式へと成長していく。

 もがけばもがくほどに絡みつき、抜け出せなくなる。

「捕まえた」

 ヒジリは微笑みながらゆっくりと近づいていく。

 魔力を吸い尽くされないよう、うてなは抵抗せずヒジリを睨みつける。

 完全に吸い尽くされなければ、抜け出すチャンスはあるはずだ。

 甘い目算とわかってはいるが、今はそれに賭けるしかない。

「あなたはきっと、人生を楽しんでいるんでしょうね。だから甘さがある。だからこうなる」

 うてなの頬に手を添え、僅かに流れる血に触れる。血の付いた指をうてなの唇に塗り、ヒジリは低く笑う。

 あからさまな嘲弄に、うてなは沈黙を返す。

「大切に保護されてきたんでしょ? 私たちがどうなったかなんて知らずに、蝶よ花よと……数千の魔術師を死に追いやったあなたが」

 うてなの顎をなぞるヒジリの双眸は、暗い激情を宿して深みを増していく。纏った黒炎が、溢れる憎悪と共に音を立てて爆ぜる。

 今、恨みを募らせてきた対象であるうてなの命は、ヒジリが握っている。

 その事実に、感情が激しく渦を巻く。

「絶望した魔術師たちが、どうやって死んでいったか、その身に思い知らせてあげたい。あらゆる苦痛と屈辱を与えてあげるのもいい。簡単に殺してはつまらない。でも、あぁ……やっぱり、今すぐ殺してやるわ」

 黒い炎がヒジリの右手に収束していく。高密度の魔力を纏った彼女の腕は、容易くうてなの心臓を貫くことができる。

 魔力による防御も回復も封じられた状態では、うてなも普通の人間と変わらない。ただの一撃で絶命する。

 逃れようのない死を前にして、うてなの感情は不思議なほど静かだった。

 死を恐れる感情はある。

 生への渇望もある。

 だが、これで終わるのならそれはそれで楽になれるかもしれない、という冷めた感情も僅かにあった。

 ヒジリの言葉に間違いはない。

 神無城うてなという存在は、この世界にいた数千の魔術師を死に追いやった。

 その償うすべなどない罪から解放されるのなら、と考えてしまう。

 忘れた日など、一日としてない。

 常に思考の片隅には、その罪があった。

 目を逸らしても、瞼の裏に映る罪は消えない。

 神無城うてなという存在に刻まれた傷痕なのだ。

 後ろ向きな感情が広がっていく。

 ――もういいか。

 うてなの唇から漏れた諦めの吐息に、ヒジリの表情が険しくなる。

 抗いもせず受け入れようとするその姿に、行き場を求めた激情が猛る。

 振りかぶった腕が、うてなの心臓を狙う。

「ま、待って!」

 そこに飛び出してきた少年の姿に、うてなは目を見開く。

 うてなの胸を穿つ直前でヒジリは止まり、ゆっくりと声の主に目を向ける。

 見られただけで呼吸が止まりそうな恐怖に震えている少年――安藤龍二に。

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