第2章 第2話 黄昏から来た少女 その2

「僕が言うのもなんだけど、ここで良かったの?」

「いいのいいの。こういう時でもないと、なかなか食べる機会ないし」

 マンションから出たうてなは、そのまま近くのファストフード店へと龍二を連れて来た。

 夕方まで付き合わされるとは思っていなかったうてなは、すぐにでも腹を満たさなければ気が済まなかったらしい。

 数人分はあろうかというハンバーガーとポテトの山に、龍二は苦笑するしかなかった。

「勝手なイメージだけど、うてなは食事にはこだわるタイプだと思ってた」

「別に高けりゃ美味いってもんでもないでしょ。食べたい時に食べたい物を食べるのが一番美味しいの」

 その言葉を体現するように、楽しげな表情でハンバーガーを次々に平らげていく。

 どちらかと言えば華奢な体格で豪快に食べる姿は、周囲から不要な注目を集めそうなものだが、うてなの食べっぷりに特別注目するような様子はない。

 龍二は意外に思いつつ、自分で買ったハンバーガーを頬張る。

「こういうの、久良屋は付き合ってくれなくてさぁ。栄養補給ができればいいって、どうかと思わない?」

「あぁ、言いそう。でも、健康に気を遣うっていうのは大事なんじゃないの? ほら、エージェント的に」

「いや別に? 久良屋が気にしすぎなだけだって。だってほら、私、なんともないし」

 確かに深月は気にしすぎかもしれないが、うてなはうてなで気にしなさすぎではないかと龍二は思う。

 二人を合わせて半分にすれば、丁度良さそうだ。

「って言うか、ホントよく食べるよね。大丈夫なの? 女子ってほら、色々と気になるものでしょ?」

「あー、平気平気。私、太らないから」

 得意げな顔で鼻を鳴らし、また新しいハンバーガーにかぶりつく姿は、体重計との戦いに日々苦悩している奏と大違いだ。

 龍二が一つ食べ終える間に、うてなの前に積まれていたハンバーガーは半分以上消えていた。

 本気を出せば、一口で丸のみにできそうな勢いだ。

「そう言えば、特上寿司がどうとかって言ってなかったっけ?」

 ふと、出かける際にうてなが言っていた事を思い出す。

 確か、特上寿司を条件に買収されたはずだ。

「あれはまた今度」

「そっか」

 さぞ凄まじい光景になるのだろうと想像し、苦笑する。

 果たして、本気でうてなが特上寿司を食べまくったら、どれほどの料金になるのだろうか。

「なにニヤニヤしてんの?」

「いや、なんでも」

 下手なことは言わず、龍二は誤魔化した。

 うてなも追及はせず、残りのハンバーガーとポテトを全て胃袋に収める。

 追加で買ったバニラシェイクをうてなが飲み干したところで、二人は店を出た。

 あれほどの量を食べたばかりだというのに、苦しそうな様子は一切ない。

 それどころか、今にも次はあの店へ行く、などと言い出しそうな雰囲気だった。

 そんな龍二の心配をよそに、うてなは駅の方へと歩き出す。帰りは電車を使うつもりらしい。

 状況が一変したのは、特に会話もなく、駅へ向かっている途中だった。

 じきに日が沈む頃合い。

 うてなは昨夜感じたものと同等の……いや、それ以上に明確な殺気を孕んだ魔力を感知した。

 ただならぬうてなの表情と、纏わりつくような違和感を覚えて、龍二もなにかを察する。

「うてな、これって……」

「昨日のやつだ。今度は、やる気っぽい」

 龍二を背中にかばうようにして、うてなは周囲へ視線を走らせる。

 強すぎる魔力の波動が、四方から肌に突き刺さる。

 気が付けば、周囲に人影はない。

 あらかじめ二人の居場所を把握し、人払いの結界でも張っていたのだろう。

 それに気づかなかった自身の迂闊さと、相手の巧妙さにうてなは舌打ちする。

 久しぶりのジャンクフードが美味しくて注意を怠った、などと深月に報告したら、小言では済まないだろう。

「まったく。昨日の今日で油断してた」

 まさか、こうもすぐに行動を起こすとは考えていなかった。

 魔力を持つ敵の存在は、まだ深月に報告すらしていない。

 こっちの都合を考えろ、というのは無理な話だが、悪態の一つも吐きたくなる。

「ここじゃ、マズいか」

 相手の正体は不明だが、この魔力量だ。

 下手な銃器を持つ敵よりもはるかに厄介な相手であり、相応の激しい戦いになる。

 当然、うてなも手加減などせず全力を出す必要がある。

 となれば、ここは戦う場所として適切ではない。

 相手は周囲への被害などお構いなしかもしれないが、うてなの立場的にはそうもいかない。

 街中で派手な戦闘などを繰り広げては、隠蔽工作にも支障が出る。

 さすがにうてなとしても、無用な被害を出したくはない。

「走るよ」

 返事を待つことなく龍二の手を引き、うてなは走り出す。

 突然のことに戸惑いつつも、龍二はうてなに従う。

 裏路地へ駆け込んだ二人の足元が、突如として弾ける。

 弾丸のような突風が地面を穿ち、アスファルトを砕いた。

「――ちっ」

 着弾したのは一発だが、それで終わるはずがない。

 このまま連続して撃ち込まれれば、うてなはともかく、龍二が無事で済むはずがない。

 そう判断したうてなは、龍二を引き寄せ、その身体を両手で抱え上げる。

「ちょっ! うてな⁉」

「黙って! 舌噛むぞ!」

「って、うわぁ!」

 龍二を俗にいうお姫様だっこしたうてなは、魔力で強化した身体機能を存分に発揮し、一気に跳躍する。

 ビルの壁を次々と蹴り、その最上階へと上り詰める。

 情けない格好で抱き上げられた龍二は、恐怖と羞恥に声も出せない。年頃の男子が女子にされて、これほど情けない気持ちになる瞬間もそうないだろう。

 そんな龍二の心情など一切意に介さず、うてなはビルの屋上を飛び石のように移動する。

 魔術による追撃はないが、気配は確実に追ってきていた。

 龍二を抱えたまま、器用に携帯端末を取り出したうてなは、人工知能に人気のない場所を探させる。

 龍二を連れたままでは、逃げ切ることは不可能だ。

 となれば、やるしかない。多少の無茶をしても許される場所が必要だった。

 人工知能の無機質な機械音声が、手頃な施設を告げる。

「よし、そこだ」

 おあつらえ向きの場所があったことに下唇を舐め、うてなはその場所を目指して加速する。

 下手な絶叫マシンよりもスリリングな跳躍の連続に、龍二は半ば気を失いかけていた。

 時間にして三分ほどで到着したのは、陸上競技場だ。

 近所の学生などが大会や練習で使用する施設だが、今は無人だ。

 中に入れば周囲からは見られる事もなく、それなりの広さもある。魔術師と戦う場所として、申し分なかった。

 悠長に入口から入っている暇などない。うてなは一気に跳躍し、外側から客席へと着地した。

 なにが起きているのかわかっていない龍二をベンチの陰に下ろし、その頬を強めに数度叩く。

 連続する痛みに呆けていた龍二は意識を取り戻し、うてなを見上げる。

「いい? ここでジッとしてて。多分、それが一番安全だから」

「た、戦うの?」

「あっちがやる気みたいだし。でもま、あんたは隠れてるだけで大丈夫。狙いは十中八九、私だし」

「うてなが? どうしてさ? 狙われてるのは僕じゃないの?」

「普通ならね。でも、相手は普通じゃない。魔術師が狙うとすれば、私だよ」

 うてなには確信があった。

 素性はわからないが、魔力を持つ者が相手ならば、ターゲットは自分だと。

 突き刺さるような魔力と殺意は、自分に向けられたものだった。

 そしてなにより、魔術師が自分を狙う理由には、心当たりがある。

「そういうわけだから、今回のあんたはターゲットじゃなくて、巻き込まれたモブってとこ。だから安心していいよ」

「それって、安心していいとこ?」

「あっちが人質を取るような極悪人じゃなければ、ね」

「わ、笑えない……」

 本気とも冗談とも取れないうてなの言葉に、龍二は複雑な表情を浮かべる。

 何度も誘拐された龍二としては当然だった。

「久良屋には連絡しといたから。間に合うかはわかんないけど。あと、腕時計の緊急用アラーム、いつでも鳴らせるようにしとくこと。いい?」

「わかった」

 腕時計に手を添え、龍二は声が震えそうになるのをどうにか耐えて頷く。

「よし。それじゃ、大人しくしててよ」

 そう言い残すと、うてなは競技場の中心へ跳んだ。

 客席の陰から覗き込むようにして、龍二はその姿を見守る。

 競技場に降り立ったうてなは、気持ちを切り替えるように深呼吸をする。

 全身を巡る魔力が活性化していく。

 研ぎ澄まされていく感覚が、その魔力を捉える。

 相手が、近づいて来る。

 ありがたい事に、周辺一帯に人払いの魔術を使っているようだ。

 そんな繊細な魔術をうてなは使えないので、正直ありがたくもある。

 うてなの魔力が影響を及ぼすことができるものは全て、己の身体に限られる。

 この相手のように、世界への干渉はできない。

 それは魔力の質と系統が全く異なるからだ。

 自己で完結するうてなと、世界へ干渉する魔術師。

 ――異なる魔を操る二人が、邂逅する。

 うてなの視線は、競技場の一角へと注がれる。

 沈みゆく夕陽を背にした姿は、さながら黄昏から現れた魔術師だ。

「神無城、うてな」

 決して大きくはないその声は、距離を無視したようにうてなの耳に届いた。

 うてなはなにも答えず、相手を見上げる。

 黒を基調とした姿に、銀色の髪。うてなとはそう変わらない年頃の少女だ。

 見覚えなど、あるはずがない。

 だが、一つだけわかっている確かなことがある。

 その死神のような少女は、神無城うてなにとって、間違いなく敵だった。

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