第2章 第1話 おでかけしましょ その4
「疲れた顔をしているな」
「任務のことで、少し」
本部にある研究所の一室で、
部屋には深月の他にもう一人、白衣を纏った人物がいる。
「定時報告では問題なかったようだが」
乱雑に資料が積まれた机を背にした白衣の女性は、椅子に座ったまま足を組み、コーヒーを手に取る。
「ここに来るまでになにかあったのかな?」
僅かに湯気が立つコーヒーに口をつけると、切れ長の目を深月へ向けて詳細を話すように促す。
部屋の中心に置かれたソファに座った深月は、僅かに思案したのち、ありのままを話すことにした。
「なるほど。実に彼女らしい」
神無城うてなが護衛対象である安藤龍二を強引に連れ出し、遊びまわっていると聞いた女性は、口元を綻ばせた。
三十代半ばと深月は聞いているが、彼女の見た目はもう少し若く見える。最低限の化粧しかしていないが、凛々しい顔立ちにはそれが絶妙に似合っていた。
組織の中で彼女に逆らえる人物は、ほぼいない。
彼女がいなければ、組織が成り立たないと言ってもいい。
全ての中心にして、全てを仕切る存在が彼女だ。
素性も名前も秘匿された彼女は、あらゆる感情を内包して『博士』と呼ばれている。
彼女がそう呼べと言ったそうだが、真偽は定かではない。
組織の上層部でも彼女と直接かかわりを持つ者は少ない。会話をすることすら恐れている、と言っても良かった。
だが、深月は不思議と彼女を恐ろしいとは感じなかった。
それが理由かはわからないが、こうして直接部屋に呼ばれ、任務や他愛のない会話をすることがある。
「すみません。任務が続いているので、彼女もストレスが溜まっていたのだと思います」
うてなと任務を共にする者として、深月は謝罪する。
「いや、その程度なら問題はない。もとより彼女は協力者だ。あまりこちらのルールで縛るのはよくないだろう」
縛れるとも思わないが、と付け加えて博士はコーヒーに再び口をつける。
それに倣い、深月も博士が用意してくれたコーヒーを手に取った。ミルクや砂糖を入れるべきか、と一瞬考えて手が止まる。
「いつもはブラックで飲んでいたようだが、味覚が変わったのか?」
「いえ。ただ、少し前にブラックで飲むのは女子高生らしくないと言われたもので。偽装の精度を上げるために、使用するべきか考えていました」
深月は意見を求めるように視線を向けるが、博士は好きにしろと言いたげに肩を竦め、小さく首を傾げるだけだった。
「神無城うてな。彼女と仕事をしてみて、どうだ?」
「戦闘能力については、想像以上でした。どれほどの装備であっても、正面から挑むのは得策ではないかと」
そこで一度言葉を区切り、ミルクと砂糖を一つずつコーヒーに混ぜて口に含む。少量のつもりだったが、深月にとっては少し甘すぎた。
「それに、隠密行動にも目を見張るものがありました。データで知ってはいましたが、外から見ている私でさえ、彼女を見失うことが何度か。あれは一体……」
「異邦人は伊達ではない、という事だな」
冗談めかした言い方に、深月はただ黙って頷く。博士がそうするという事は、答える気がないのだと深月は知っている。
「能力的には申し分ないでしょう。パートナーとして、作戦行動を取る際に彼女がいれば心強い。ただ、監視任務や普段の生活を見ると少し……」
「神無城うてなは結局、プロではないからな。それを求めるのは酷と言うものだろう」
「……いいのですか?」
「あぁ。つまらない事を言って、彼女を手放したくはない。万が一にでも敵対されたら面倒になる。プロジェクトにも影響が出るしな」
今は、と続く言葉はコーヒーと共に飲み込まれた。
「一緒に任務をこなした今なら、君にもわかるだろう? 神無城うてなを敵に回すのは、ジャックバウアーを敵に回すようなものだと」
「……すみません。意味が、よく」
会心の例えだと思ったネタが空振りし、博士は半眼になって深月を見る。
微塵もわかっていない深月は、ただ黙って博士の言葉を待つしかなかった。
「いい機会だ。神無城うてなと一緒に、君も映画やドラマをもう少し見ておけ。偽装の精度が上がる」
「わかりました。そうします」
そこでようやく、娯楽にまつわる例え話だったのだと理解した。
件のジャック何某は、それほどの手練れということだろう。
うてなの話題はそこまでで、体調について検査結果を眺めながら、深月はいくつか質問を受けた。
誘拐事件で受けた怪我はすでに完治している。後遺症も、おそらくないだろう。
うてなのようなインチキじみた治癒力はなくとも、この施設には最先端の医療技術がある。
医療だけではない。あらゆる分野の最先端技術が、ここにはある。
世間には公表されていない、公表できないような技術なども、多くある。
「さて、最後の質問だ」
空になったカップを指で弾き、博士は足を組みなおす。
穏やかだった空気が、少し冷えたように深月は感じた。
博士の目が、鋭く深月を射貫く。
「――逢沢くのりを、どう思った?」
予想していた質問だった。博士なら、それを訊くるだろうと。
だからずっと考えていた。いや、質問されるかどうかは関係なくとも、考えただろう。
彼女は一体、何者だったのか、と。
同じ組織に属するエージェントであることは、間違いない。
組織の内部でも、特に秘匿性の高い部隊に所属していた彼女に関するデータは、ほぼ公開されていない。
本名も素性も、なにもわからない。
考えれば考えるほど、不快感のようなものを覚えてしまう。
正体のわからない感覚に、深月は目を閉じる。
「難しく考える必要はない。彼女と接して、どう感じた? 学校では、どうだった?」
考えあぐねる深月に対し、博士は静かな声で具体的な質問をする。
「学校では、普通でした。おそらく、ですが。ああいうのがきっと、普通の女子高生というものなのではないかと。偽装と考えれば、完璧でした」
だからこそ、深月もうてなも疑うことはなかった。
逢沢くのりはただの女子高生で、安藤龍二にとっては特別な女子だと。
人質として利用されかねない存在という認識でしかなかった。
結果としてうてなは油断し、傷を負った。
「それほどまで自然に見えたと? 任務であれば殺人すら厭わないエージェントである彼女が」
「……はい。別の人格を備えていたと言われたら、信じられるくらいには」
そうであれば良かったと、思わずにはいられない。
あの時の、安藤龍二の姿と叫びが脳裏に焼き付いてはなれない。
「面白い話だが、それはない。彼女は肉体的にも精神的にも、問題はなかった」
椅子に深く背を預け、博士は僅かに視線を上へ向ける。
「逢沢くのりは、完璧といっても差し支えのない個体だった。本当に、素晴らしかった」
まるで思いを馳せるように、声が艶を持つ。
「私はね、彼女を特別視していたんだ。だからこそ、逢沢くのりという個体名も与えた。名前の由来なんてものは、まぁ冗談みたいなものだけどね。名を与えるに足る個体というのは、なかなかいなくてね。そういう意味でも、実に惜しい結果だ。この先、あれほど興味深い観察対象はなかなか現れないだろう」
饒舌になっていく博士の言葉を、深月は静かに聞いていた。
冷め切ったコーヒーに口をつける気には、なれない。
「研究者の中には、彼女を一つの完成系という者もいた。確かに、一理ある。あれほどの性能と安定性を備えた個体は、過去例がない」
自然と口元が綻ぶ博士の声は、どんどん熱を帯びていく。
「逢沢くのりはそれほどの完成度でありながら、殺人すら容易くこなしてしまえる精神性を持っていた。わかるかい? 彼女はね、一般社会で生まれる普通の人間とかわらない理性を持ちながら、任務という一言で殺人すら実行できたんだ。僅かな躊躇もなく、だ。殺さなければならない必要性を語るまでもなかった。疑問を一切抱かなかったのは、今のところ彼女ただ一人さ。この先、彼女と同じスペックを持つ個体を作り出せたとしても、同じようにできるかどうか。実に、興味深い」
静かに吐息を漏らす博士の頬は、上気していた。
語る内容に対して、決して適切とは言えないその様子にも、深月は眉一つ動かさない。
博士はそういう女性なのだと、よく知っているからだ。
「それほど忠実だった逢沢くのりが任務を放棄し、組織から離反した。それだけでも驚きだと言うのに……」
熱っぽく語る博士の目は、すでに深月を見てはいない。
「恋をした? 安藤龍二を好きになった? だから裏切った? 殺人すら厭わない、あの逢沢くのりが、そんな理由で?」
顔を引きつらせて笑いを堪える博士を、深月は黙して見据える。
ここまで狂気を孕んだ博士の姿を見るのは、深月も初めてだった。
大きく見開かれた博士の目が、深月を捉える。
「君も、現場で聞いたのだろう?」
「……はい。自分のために生き、彼のために死ぬ。それが、愛し方だと」
傑作だ、と哄笑が響く。
恐怖すら感じるその声は、もちろん博士の口から発せられているものだ。
これほど大きな声を出せる人だったのかと、深月はどこか冷めた気持ちで見る。
ひとしきり笑い満足した博士は、淡い微笑を浮かべて手を組む。
「彼女の変化には気づいていたよ。ほんの僅かではあったが、監視対象である安藤龍二と、必要以上にかかわりを持っていたからね。だがまさか、そんな理由だったとは想定外だった」
「見過ごしていたのですか?」
「観察とは、そういうものだよ」
彼女が言った『観察』する対象がどちらなのか、あるいはどちらも含まれているのか、深月は判断しかねた。
「どちらにせよ、私個人としては彼女と話してみたい」
「博士は、生きていると考えているのですか?」
「そう願っているよ。死体から得られるデータに、興味はないからね」
そう言って肩を竦めた博士は立ち上がり、新たにコーヒーを淹れ始める。
まだ僅かに中身が残っているカップに視線を落とし、深月は訊くべきか迷っていた言葉を投げかけた。
「安藤龍二は、何者なのですか?」
「君は、どう思う?」
深月の言葉を背中で受けた博士は、振り向くことなく訊き返す。
「普通だと、思っていました。ですが、なにかあるはずです」
「なにか、とは?」
「神無城うてな。彼女の魔力を回復させ得るなにかが、彼にはある。彼は一体――」
顔を上げた深月は、そこで言葉を失った。
感情の読めない博士の目に、言葉を奪われた。
今まで見てきたどんな目よりも冷たく、底の見えない暗闇のような瞳が、そこにある。
「知る必要があると?」
その言葉は、龍二に対して深月が何度となく口にしたものだった。
当たり前のことだ。
一介のエージェントである自分が、全てを知る必要はない。
彼女の役目は、彼を守ること。ただそれだけなのだから。
「……いえ」
小さく答えた深月に、博士はもう興味を示さなかった。
話はこれで終わりだと、無言の空気が告げている。
「失礼します」
コーヒーを淹れてデスクに戻る博士に一礼し、深月は廊下に出た。
人気のない無機質な廊下を、一定の速度で歩く。
走り出したい衝動を抑え、呼吸を止めていた。
体内に渦巻く数多の言葉は、行き場を求めて脳内を駆け巡る。
――知る必要がない。
その言葉に疑問を抱いたのは、それが初めてだった。
作戦基地である地下に戻ったうてなは、コンビニで買ってきたサンドイッチを手にしたまま、モニターを眺めていた。
久しぶりに食事を満喫できただけに、普段なら美味しく感じられるコンビニのそれも、今一つに思えてしまう。
物思いに耽ったままサンドイッチをかじり、椅子に背を預ける。
深月が見ていたら小言の一つもあるだろうが、今は一人だ。
モニターの映像は視界に捉えているが、脳には届いていなかった。
うてなの思考は、帰り際に感知した魔力に全て注がれている。
間違いや気のせいなどでは、断じてない。
うてなが持つものと性質は違うが、あれは間違いなくこの世界で魔力と呼ばれているものだ。
どれほど距離があったのか定かではないが、肌で感じられるほどに強い魔力だった。
「いや、あれは質っていうより、量か」
なんとなく、としか言いようのない感覚だが、うてなにはそう感じられた。
どちらにせよ、魔力を持つ存在がいたことは確かだ。
この世界にはもう、存在するはずのない魔力を持つ者。
それは、魔術師と呼ばれていた。
ここ数年でその存在を確認されたという話は、聞いたことがない。
組織が把握していたとすれば、まず間違いなくうてなに話が来ていたはずだ。
「ま、隠してたっていう線もあるけど」
可能性としては、半々といったところだろう。
あくまで協力者という立場であるうてなに、全ての情報を開示するとは思えない。
だが、あれほどの魔力を持つ者がいるのなら、嫌でもわかるはずだ。
それこそ今日のように。
深くため息をつき、うてなは残ったサンドイッチを胃袋に収める。
デザートとして買っておいたプリンの一つ目を開け、スプーンで掬って口に放り込む。
疑問に思うことは、すでにあった。
安藤龍二という存在が、そもそもイレギュラーだ。
彼の唾液や血液を摂取することで、彼女の魔力が回復する。
その理由に、心当たりなどない。
彼と自分の間にある関係をどう説明するのか。
組織に訊いたところで、答えは決まっている。お決まりのセリフが返ってくるだけだ。
なら、自分で調べるしかない。
幸い、隠密行動には絶対的な自信がある。施設への侵入など容易い。
が、コンピューターが相手となるとそうはいかない。ハッキングの技術など、うてなは持ち合わせていないのだ。
「研究員をひっ捕まえて脅す……は、最後の手段かなぁ」
事情に詳しそうな研究者には、心当たりがある。
いざとなれば、なにをしてでも聞き出す覚悟だ。
とは言え、まだその時ではない。
組織の庇護から脱しても、その先がない。
「とにもかくにも、こいつの問題が解決しないと……」
うてなはデスクに頬杖をつき、家族の団欒が写るモニターを、ひとり眺めていた。
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