第1章 第2話 信頼 その2

「もう最悪。週末ならのんびりできると思ったのに」

 帰宅した深月を出迎える第一声は、うてなの愚痴だった。

 龍二を無事自宅に送り届けてきた深月は、制服のリボンを外し、胸元を緩める。

「仕方がないでしょう。彼がそうしたいと言うのだから」

「狙われてる自覚ってもんが足りないよー」

「実感は薄いでしょうね」

 護衛について数日経つが、襲撃があったのは初日だけだ。

 小規模な襲撃では手に負えないと理解したのか、うてなが撃退して以降、それらしい動きは見られない。

 狙われている自覚をしっかり持てと言われても、難しいだろう。うてなもそれはわかっているが、後手に回るしかない今の状況は、彼女の苦手とするものだった。

「情報部も情報部。未だになにも掴めないって、やる気あるのかって話よ」

 任務に対するやる気の有無をうてなには言われたくないだろうと、深月は思っても口にはしない。

 だが、彼女の意見そのものには深月も同感だった。

 ここまで敵の正体が掴めないのは、完全に想定外だ。

 合法非合法を問わず、情報を探っているはずなのに、その片鱗すら見えてこない。

 深月も少なからず、焦りを感じ始めていた。

「なんで許可するかなー、外出なんて」

 アイスを片手に座るうてなは、椅子を半分ほど回して深月を見る。

「まさか、餌?」

「相手が動かないならこちらが動く。承認は得ているわ」

「私としちゃあその方が楽だけどさ。龍二君、かわいそ」

 うてなの声は、微塵もそう思っていなさそうなほどに軽い。

 手段として褒められたものではないが、作戦としてありかなしかで言えば、ありと判断したのだろう。

「あれ? 出かけるのって何時?」

「午前中は家事の手伝いがあるそうだから、午後からになるわね」

「へー、やるじゃん。って、ちょっと待った。それじゃあ私、その前に起きなきゃいけないって事?」

「いつもより少し睡眠時間が減るけど、構わないでしょう?」

「構うし! なにさらっと言ってくれちゃってんの? 特別手当もなしに睡眠時間削るとかありえないから」

「はぁ……いいわ。交代の時間を早めましょう。その代わり、今日は早めに休ませて貰うわよ」

「オッケー。それなら良し」

 自身の権利が守られるのなら問題はないと、うてなは満足げに頷く。

 共に任務をこなすようになって数日だが、深月はうてなの性格をよく把握し、上手に扱えるようになっていた。

「それじゃあ、シャワーを浴びてくるから」

「はーい。あ、そうそう。今日は出前、頼んじゃおうと思うんだけどさ。なにがいい?」

「……任せるわ」

「んー、じゃあお寿司でも頼もっかなー」

 好きにしなさい、とため息を漏らして深月はリビングを出る。

 なんだかんだ言いつつも、この奇妙な生活をうてなは楽しんでいる節がある。

 小言の一つも言いたくなるが、彼女の境遇を知っている深月としては、判断を甘くしてしまう。

 それは龍二に対してもそうだった。

 おとり作戦に使えるとは言え、本来ならば危険に晒すような事は極力避けるべきだ。

 それでも彼の外出を認めたのは、情に絆されたとしか言いようがない。

 安藤奏へのプレゼントを買うために、どうしてもと頼まれて、強く言えなかった。

 誕生日は来月という話だが、なぜそこまで急ぐのかは、あえて聞かなかった。

 対象に深入りしすぎるのは良くないと自身に言い聞かせながら、深月は浴室のドアを開けた。


 翌日の午後、龍二と深月は予定通りモールにやって来ていた。

「目的の物は手に入った?」

「おかげさまで。付き合ってくれてありがとう」

「任務だから気にしないで」

 二人きりという事もあり、今の深月は元カノ設定をなかった事にしている。

 エージェントとしてのスイッチが入っている深月は、近づき難い雰囲気を微かに纏っていた。

 着飾れば周囲の目を惹く容姿をしているが、常に警戒している双眸は鋭い。

 動きやすさを重視したようなシンプルな服装も相まって、綺麗や可愛らしいといった言葉よりも、凛々しいと言った方がしっくり来る。

「こちらとしては、すんなりと買い物を済ませてくれて助かっているわ。てっきり、ウダウダ悩むものだと思っていたから」

「昨日のうちに決めてたからね」

 ちくりと刺さる深月の言葉に複雑な笑みを浮かべながら、龍二はプレゼントの袋を鞄に入れる。

 宝物を手に入れた少年のように目を輝かせる龍二から、深月はそっと目を逸らす。

 龍二と行動を共にするようになってから、時折、その無垢な姿が深月の胸に小さな痛みをもたらしていた。

「ちなみに、何を買ったの?」

「え? なんで?」

「理由が必要?」

「そんな事はないけど……興味があるとは思わなくて」

 そう言われて深月はハッとする。確かに、彼が何をプレゼントとして選んだかなど、任務には関係ない。

 深く考えずそう口にしていた自分に、深月は驚きを隠せなかった。

 とは言え、ただの一般人である龍二がその機微に気付けるはずもない。

「まぁ、隠す必要もないけどさ。えっと、髪留め、みたいなやつだよ。手首につけたりもできる、シュシュって言うんだけど。ほら、最近は姉さん、よく料理するから。いつも髪を結いあげたりしてるの見てて、丁度いいかなって。微妙かな?」

 贈り物をするのに慣れていない龍二は、自分の選択肢にあまり自信が持てず、照れくさそうにしていた。

「日常的に使える物のようだし、いいんじゃないかしら?」

「そ、そうかな?」

「私の意見が参考になるかはわからないけど」

 贈り物に関して自信がないのは、深月も同じだ。

 この会話を聴いているであろううてなも、二人と同様だろう。

 くのりならどう思うだろうか、と龍二は考えるが、連絡はしない。

 距離を置いた方が安全だという深月の忠告が、ブレーキをかけていた。

「用が済んだのなら、帰りましょう」

「あ、良かったらカフェでも行かない? 付き合ってくれたお礼に、さ」

 プレゼントを購入しても、まだ財布の中には多少の余力がある。

 いつもくのりにしているように、龍二は深月を誘った。

「必要ないわ。外にいるだけでリスクを負っているという事、忘れないで」

「……はい」

 距離が近づいたと思えば、一瞬で断絶するような感覚は、もう何度目になるかわからない。

 目の前の少女がつい、普通の女の子だと錯覚してしまう。

 一瞬のうちにエージェントとしての顔になる深月に、龍二は数日経っても上手く対応できずにいた。

 学習した事と言えば、エージェントとしてスイッチが入っている時は、素直に従うのが無難であるという事だ。

 取り付く島もないような態度も、龍二の安全を思えばこそなのだと、さすがに理解できていた。

「あ、でもその、トイレ寄って行ってもいい?」

「我慢して、とは言えないわね」

「助かるよ。すぐ済ませてくるから」

 一階にあるトイレへと駆けこんでいく龍二を近くで見送り、深月は小声で通信機越しのうてなに話しかける。

「狙われるとすれば、今よ。発信器から目を離さないで」

『わかってるって。感度良好。聞きたくない音までバッチリ聞こえるから』

 うてなの返事に小さくため息を吐き、深月は壁にもたれかかって端末を手にする。

 トイレの入り口を警戒する素振りを忘れず、些細な隙を意図的に作る。

 道中から買い物の最中を含め、今この瞬間が最大のチャンスだ。

 以前からトイレの中までは同行しないというデータを、相手は持っているだろう。

 たとえすぐに気づかれるとしても、龍二が一人きりになるのは間違いない。

 男子トイレの中で待ち伏せしている可能性は高くはないが、やりようはあるはずだ。

 このまま何事もなければ良し。

 もし相手が動くとすれば、その時は――。

『動いた。たぶん、口を塞がれて……あっ』

 通信機の向こうでうてなが声を上げるより僅かに早く、深月も気づく。

 トイレの中で何かが爆発するような音が鳴った。


 モールに響く音がなんなのかわからずどよめく客の間を縫うように、深月は駆ける。

 男子トイレの入り口から、微かに煙と粉塵が流れてくるが、深月は迷わずに突入した。

 爆発物の威力は極力抑えられていたのだろう。室内の損傷は少なく、ピンポイントで壁に穴が開いていた。

 龍二の姿はなく、彼の鞄だけがその場に残されていた。

 壁に空いた穴から龍二が連れ去られたのは明白だった。

 人が通れる程度の穴の向こうは、従業員用の通路に繋がっていた。幸い、この場に居合わせた従業員は見当たらない。

「私はこのまま追う。そっちは別のルートで」

『了解』

 爆発物で逃走ルートを作るのも想定内だ。可能性は低いと思っていたのは確かだが、まだ追いつける。

 端末に表示されたモールのマップと、龍二の腕時計に仕込まれた信号を照らし合わせ、追跡に入る。

「このままなら、駐車場へ行くわね」

『そっちの方が先に着くと思う。任せた』

「一秒遅れるごとに、減額するから」

『ちょっ、それなし!』

 通信機越しに叫ぶうてなは無視し、深月は従業員用の通路を走る。

 数人の従業員とすれ違うが構わない。

 多少の目撃者がいようと、あとでどうとでもなる。

 誘拐犯が彼らを傷つけ、時間稼ぎをしようとしていたら面倒な事にはなったが、今回の相手はその手段を選ばなかったようだ。

 爆発物も逃走経路のためにしか用いず、陽動として別の場所で爆発させる事もしなかった。

 この状況でもまだ、極力大事にはしたくないのか、もしくは不慣れなのだろう。

 それなら、龍二が連れ去られる前に奪還する事は難しくない。

 駐車場へ続く扉を勢いよく蹴破り、素早く周囲を確認する。

「見つけた」

 今まさに車の中に押し込まれようとしている龍二の姿を視界に捉える。

 車はすでにエンジンが始動していて、すぐにでも発進できる状態だ。

 状況はうてなに伝わっているという前提で、深月は一気に加速する。

 相手を呼び止めたり忠告したりはしない。

 人並外れた速度で近づいて来る深月に誘拐犯が気づいたのは、龍二の身体を車に押し込め、ドアを閉じようとした時だった。

 誘拐犯は二人組。実行犯である男と、運転席で待機している男だけだ。

 地面を這うように迫る深月を迎え撃とうと、実行犯の男が腰の後ろに手を回す。

 その手が掴んだのは警棒だ。

 伸縮するタイプの警棒を取り出し、深月を打ち据えようとする。

 このタイミングなら攻撃が間に合うと、男は思っていた。

 だが、深月は男の眼前で更に加速し、男が振りかぶって打ち下ろすよりも早く、速度を乗せた肘を腹部に叩き込んでいた。

 深月は間髪入れず、目を見開いて苦悶する男の顎を掌底で打ち上げる。強烈な一撃に、男の意識が遠のく。

 そのまま気を失う方が、いっそ楽だろう。

 不運にも踏み止まってしまった男は、反撃する意思を完全に失っていた。

 転がるように車の後部座席へと飛び込み、運転手に叫ぶ。

 後部座席のドアは開いたままだが、深月の戦闘力を目の当たりにした運転手は、構わず車を発進させようとアクセルを踏み込む。

 急発進する車に、深月は迷わず手を掛けようとする。が、車の前方にその姿を捉えたことで、それ以上の無茶はやめた。

 一気に加速して走り出した車に、正面からぶつかっていく影がひとつ。

 無謀極まりない行為を恐れず実行するのは、遅れて駆け付けた神無城うてなだ。

 運転手には何が起こったのか、わからなかっただろう。

 走り出した車に、前方から挑んで来る少女がいるなどとは、夢にも思うまい。

 深月とうてな、二人の少女に恐怖した運転手の男は、ブレーキを踏まず、代わりにアクセルを更に踏み込む。

 すでに、軽々と人を跳ね飛ばせる速度に達している。

 うてなは一切怯まず、迫りくる殺意の塊のような車へ、正面から跳び蹴りを叩き込む。

 正気の沙汰ではない。

 人間を相手に圧倒して見せたうてなと言えど、加速している車の前では、ただの少女に過ぎない。

 無謀の代償は、その命で支払う事になる、はずだった。

 うてなは跳ね飛ばされる事も、足を粉砕される事もなかった。

 逆に車のフロントがひしゃげ、激しい衝撃が車体を襲う。

 うてなの飛び蹴りでフロント部分が破壊され、運転席のエアバッグが起動する。

 急制動を掛けられた衝撃とエアバッグをもろに受け、運転手は一瞬で気絶した。

 後部座席にいた男も、その衝撃で背中を強く打ち、気を失いかける。

 男が半ば覆い被さっていた結果、龍二は悲鳴を上げるだけの余裕を残していた。

 その悲鳴が、失われかけていた男の思考を回転させる。

 圧倒的な暴力に戦意を失い、わけのわからない方法で逃走手段を潰された男は、その元凶とも言える龍二を拘束し、よろめきながら車から降りる。

 うてなの無茶苦茶な行動に、龍二の身を案じていた深月は、ひとまず無事な姿を見て胸を撫でおろす。

 若干挙動不審になってはいるが、許容範囲だろう。

 ついでにナイフを首に突きつけられているが、この状況ならばどうとでもなる。こちらも許容範囲だった。

 近づくな、とお決まりのセリフを言う余裕すらない男は、車に背中を預ける形で深月とうてなを交互に見やる。その目には、絶望的な状況を嘆いているというより、二人の少女に対する恐怖が浮かんでいた。

 深月が護衛だという事は知っていたのだろう。だが、あれほどの戦闘力を持っているとは思っていなかったようだ。

 そしてそれ以上に、うてなの存在は規格外すぎた。

 男にとっては加速する車に飛び蹴りで挑む思考も、その結果も理解不可能なものだ。

 この状況で唯一同じ感情を共有できたであろう龍二は、うてなの物理法則を無視するような行動を見ていない。

 見たものを信じられないという恐怖は、計り知れないものだ。

 間合いを詰めようとせず、深月は静かに男を凝視する。

 少しでも龍二を傷つけようとすれば即座に動けるように備えていた。

 射貫くような深月の視線に、男は更なる恐怖を覚える。視線を外した瞬間、殺されるような錯覚すら覚えていた。

 だからこそ、深月に視線が固定され、すぐ傍に近づいていたうてなに気づかなかった。

 ナイフを持つ腕を突然掴まれ、気付いた時には捻り上げられていた。

 少女のものとは思えない握力に苦鳴を上げ、ナイフを取り落とす。

 あまりの痛みに、龍二を拘束していた腕が緩む。その隙を逃さず、うてなは龍二を蹴り飛ばして解放する。

 予想外の蹴りを受けた龍二はたたらを踏み、顔面から倒れ込みそうになる。が、すぐに駆け付けた深月が受け止めた。

「け、蹴った! 今、蹴った!」

 さらわれた恐怖や解放された安心感よりも、うてなの蛮行の方が衝撃的だったようだ。

 深月にもたれかかりながら、情けない顔に相応しい声を上げる。

「うっさいなぁ。助かったんだからわめくなっての!」

 鬱陶しそうにうてなはぼやき、黒いグローブに包まれた手を男に押し当て、電流で気絶させる。最初の夜にも使っていた装備だ。

 昏倒した男を車の後部座席に放り込み、勢いよくドアを閉める。

「私もどうかと思うわ。あなた、誰の護衛をしているか忘れたの?」

「説教ならあとにして。ほら、見つかる前に撤収しよ、撤収」

 先ほどの爆発と合わせ、この場に留まるのは賢明ではない。

 幸い、駐車場での一件を目撃していた一般人は皆無だ。

 フロントがひしゃげている車は問題になるだろうが、すぐに回収班が来て処理する事になっている。

 他にも襲撃者がいないとは限らない。

「私は彼を連れて行くから、あなたは周囲の確認をお願い」

「りょーかい」

 そう言うとうてなは、一瞬で目の前から消える。

 まるで幻を見ていたかのようだった。

「え? え? なに?」

「説明している暇はないわ。一人で歩ける?」

「え? あっ!」

 困惑していた龍二は、今更になって自分が深月に抱きついたままだった事に気づいて離れる。

 身体の至る所に残っている生々しい感触と、自身が晒した情けない姿に恥ずかしさが込み上げてきた。

「必要なら、肩を貸すけど」

「い、いや! 必要ない! 歩けるから大丈夫!」

「そう。なら行きましょう」

 涼しい顔で促す深月に連れられ、龍二は駐車場を後にした。

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