第四十一話
沙耶は階段を降り、例の胎児たちの横をすり抜けた。
隠れるように壁の影から見ると、新聞社などのロケバスから火が上がっていて今でも断続的に爆発を繰り返していた。最初の爆発で車のガソリンタンクに次々と燃え移っているのかもしれない。
記者の姿は一人も見えなかった。ロケバスの近くにカメラやマイクなどが半分吹っ飛んだりとけたりした状態で散乱していた。
そして恐ろしいことに、ロケバスの中から人の足や手が無造作にだらりと下がっていた。
さっきまで見えていた警察機動隊は完全にいなくなっていた。あのガマガエルみたいな新保とか言う科学技術省のオッサンもだ。
父は? 所長は? 遠藤さんは? 慌てて一階フロアを探そうとすると、すぐに「沙耶」と声がかかった。彼女はすぐに父に駆け寄り、車いすと自分の視線の高さを合わせた。
「お父さん、みんなどうなっちゃったの? 何が起こったの?」
「お前が生きていてくれてよかった。本当に良かった」
博士は沙耶を抱きしめると何度も背中をさすった。だが、この男の遺伝子を持っていないことを彼女は微妙な気分で受け止めていた。
「ソイもヴェルも無事よ。避難させてたから。それよりさっきの人達はどうなったの?」
「それが……」
遠藤が大豆生田の車いすの後ろでボソリと言った。
「ソイが興奮すると放射線を出すという話になった瞬間、記者たちは使い物にならなくなったカメラやマイクをほっぽりだして、我先にとここから脱出しようとしたんだ。その時になぜか爆発が起きて、どんどん引火してこの通りだ」
「警察機動隊は?」
「新保とか言うのが小豆澤所長に『研究の続きをよろしく頼むよ』って言って、機動隊のバスに乗ってさっさと帰ってしまった。まだその辺で監視してるかもしれない。新潟県警にはここでの爆発は明日報告しておくって。行ったはずの記者が戻らないんじゃ問題だからね、どれかの車の整備不良で爆発、引火したってことにするんだろうな。県警の前に公安が片づけてしまうんだろうが。しかし、あれだけのことが闇に葬られるんだからお上は怖いな」
沙耶は父を睨んだ。
「さあね。ペンは剣より強いのよ」
「ペン?」
「博士、そろそろ病院に戻られた方が」
「そうだな。沙耶も」
「あたしは今日はソイとヴェルと一緒にいる。落ち着かないはずだから」
本当の理由を隠して彼女はそう言った。
「わかった。じゃあ、大豆生田君はそのまま病院へ。私はここで警察の対応をしよう。遠藤君は明日でいいよ、今日は帰って休みなさい、その分明日働いて貰う」
「わかりました」
「じゃあ、おやすみ、パパ」
「まだパパと呼んでくれるんだね」
そんな大豆生田に沙耶は冷たい視線を投げた。
「パパはパパという識別番号だからね。あたしがC9だったように」
寂しそうにする大豆生田を残してスーパー個体居住棟に戻った沙耶は「大至急、宇佐美さんは帰って」と言った。
「今パパが遠藤さんに送って貰って病院へ戻るの。今を逃したら県警が現場検証に来る。だから大急ぎで帰って。車はすみっこの方に停めたおかげで無事だったわ。急いで。パパより先に出ればテイルランプなら機動隊のバスだと遠藤さんが勘違いするかもしれない」
「わかった」
宇佐美は余計なことは一切しない。言われたらすぐに動く。
幸い遠藤が正面玄関に車を持って来るところだった。今なら気づかれないだろう。
宇佐美は静かにドアを閉め(実際には半ドアのまま)車をスタートさせ、だいぶ進んでからきちんとドアを閉めた。あの音は響くので厄介なのだ。
宇佐美が出て行き、父が出て行ったのを居住棟のベランダから確認した沙耶は、やっと一息ついた。ちょっと父に酷いことを言い過ぎただろうかと胸の奥がチクリと痛んだ。
「ベランダ、寒いのね。わたしずっと知らなかった」
「僕も」
「今が寒い季節だからだよ。夏はものすごく暑いわ」
「ずっと来なかったね、寂しかったよ」
「ごめんね、あたし二人の病気を治したくて医者になるための勉強をしていたの。でもまさか意図を持って作られたクローンだったなんてね。そんなの勉強したって治せない。しかもあたしも純正クローンなのよ、笑っちゃう」
ヴェルが沙耶を抱きしめた。そっとそっと壊れ物を扱うように。
「泣いていいの。無理して笑うことはないよ。ずっとお父さんだと思っていた人が全くの赤の他人でほんのちょっとも血が混じっていなかったんだもの、無理して笑わなくたっていい。わたしたちが博士のコピーだっていうのも私は今でも信じられない」
三人はしばらく抱き合って泣いた。泣くのにも気を使って興奮しすぎないようにしないといけない。沙耶と違ってヴェルとソイは泣くのさえも簡単な事ではないのだ。
ふと、ヴェルが顔を上げた。
「ねえ、わたしいいこと思いついた。ソイ、サヤにモールの指輪作ってあげてよ。前に作ったの小指にしてるじゃない。ちゃんと薬指で作るの」
「あたしもうこんなに成長したんだから」
「ソイは自分の分もお揃いで作るのよ」
「前のはプラチナにサファイヤだったね、今度はどうする?」
「ゴールドにエメラルド。ヴェルの色」
言いながら、沙耶はまだ涙がこぼれて来た。この三人でこうして会えるのはあと何回なのだろう。
「はい、できたよ」
「できたよじゃないわよ、これからソイとサヤの結婚式をするの。だから自分の分も作って。十二歳と十三歳だけどそんなの関係ないわ。わたしたちは戸籍にない人間なんだから」
ヴェルの緑色の髪が楽しげに波打っている。そうなのだ、三人がこうして楽しめる時間はもう少ない。楽しめる時に楽しまないと後悔するのだ。
「結婚式ってわからないから適当にやるね。ソイは……」
ソイの後ろに所長がなんとも形容し難い表情で立っていた。
「私がやってもいいかい」
この男が。この大好きだった男があたしたちを作ることを承諾した。そしてその研究に携わった。だけど、三人にとっては大好きな所長でしかなかった。
「うん。ちゃんとやって」
所長は部屋の隅にあった造花の花束を沙耶に持たせた。
「ソイ、君は健やかなるときも病める時も、死が二人を分かつまでこの沙耶を妻として愛することを誓いますか」
「はい、誓います」
「沙耶、君は健やかなるときも病める時も、死が二人を分かつまでこのソイを夫として愛することを誓いますか」
「誓います」
「じゃあ、指輪を」
作ったばかりのモールの指輪はふわふわと指に収まった。
「沙耶ちゃん、ブーケトスだ。その花束を投げてヴェルが受け取るんだよ。そうすると次に結婚するのがヴェルになるんだ」
「それまで生きてるといいな」
結婚式なのに、悲壮感しかなかった。それでもやらないよりは良かった。
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