第三十七話

 記者席が一斉にざわついた。

「この沙耶が。コーカソイド九号です」

 ヴェルとソイが顔を上げた。が、そちらには目もくれず、娘は父に迫った。

「は? 何言ってるの? お父さん、ホント大丈夫?」

「沙耶、済まない。お前に私の遺伝子はほんの僅かも含まれていないんだ。お前はコーカソイド個体の純粋コピーなんだよ」

「待って、どういうこと? 意味がわかんない」

「お前はヒトクローンなんだ」

 眩暈がした。何か鈍器のようなもので頭を殴られたような衝撃があった。気力と惰性だけで立っていると言って良かった。

 その時、沙耶の頭の中に宇佐美の声が蘇って来た。「よく似てるなって思ったもんだから」と。

「まさか、ジェニファー・グリーン博士?」

 育ての父は静かに頷いた。

「そうだ。お前はジェニファーの純粋コピーだ。他のものは一切混じっていない」

 記者席は水を打ったように静まり返っていた。

 直前まで親子だと信じていた少女は、大勢の見ている前で「我が子ではない」と宣言され、あまつさえ「ヒトクローンである」と宣言されてしまったのだ。ここでフラッシュ音を立てられるほどの図太い神経の持ち主はさすがにいなかった。

「所長さん……冗談でしょ?」

 沙耶に助けを求められ、小豆澤は静かに目を開けた。組んでいた腕をゆっくりとほどくと、改めて姿勢を正した。

「じゃあ、なぜ君はジェニファーだと思ったんだい?」

「それは――」

 そこまで言って、彼女は宇佐美の姿を探した。彼と目が合うと、敢えて視線を外して「ホームページの研究者の中に一人だけコーカソイドの女の人がいたから」と答えた。似ていると宇佐美に言われたことをわざわざこの場で発表して、彼を巻き込むことに意義を見出せなかったのだ。

「あたしは、お父さんの子供ではないんですか」

「大豆生田君の遺伝子は入っていないよ。百パーセントジェニファーだ。僕が保証する」

 そんなことを保証されたくなかった。今まで父だと信じていた人間の血が一滴も混じっていない、それどころか、会ったことすらない女性のコピー。娘ですらないのだ。

 沙耶はもう立っていることもままならなかった。気力だけで踏ん張っていられる限界を超えたのだ。

 自分がクローンであったことを知らされたソイの痛みが、今頃になって自分を襲ってきた。ましてソイは純粋なクローンではなかった。昆虫が組み込まれていたなどと聞かされた彼の気持ちを想うと、自分の痛みなど痛みのうちに入らないだろう。ヴェルに至っては植物ではないか。

 ぺたんと座り込んだ彼女は、自分の体を見た、手を、脚を、髪を、視界に入る自分の体を確認した。コーカソイドの普通の人間にしか見えなかった。ソイやヴェルのようなミックスではないのに、オリジナルのヒトとどこが違うのか。

 いや、そう考えること自体が、ミックスと純粋クローンを差別しているのではないか、それはオリジナルとクローンを差別するのと同じ事ではないのか。

 だとすれば自分は今、明らかに博士と自分、自分とソイたちを階層差別したことになる。

 自分は何をやっているのか。父から本当のことを聞きだし、ソイを救い、幸せになりたかっただけなのに。こんなところまで来て、なぜ父を追い詰め、ソイとヴェルを差別し、自分の出生の秘密を知り、こんなにも自分に打ちのめされているのか。

 大豆生田司という人間はなんという非人道的な行為を科学の名の下に行ったのだろうか。自分は父の背中を追って、父のような科学者になることを夢見て、今日の今日まで勉強してきた。それが今のこの瞬間、全て裏切られたような気がした。自分はこんなことをするために科学者になろうとしていたのか。

 呆然と会議室の床にへたり込んだ娘に、大豆生田は静かに声をかけた。

「ジェニファーは所長と同い年でね、クローン技術の大先輩だった。私は遺伝子組み換え技術が専門だったから、彼女と一緒に組んで研究をしていたんだ。我々は恋人同士だった。十六歳も年の離れた恋人だ。結婚の約束をした翌日、彼女は死んだ」

 沙耶のハッと息を飲む音が響いた。ヴェルの緑色の長い髪に隠れた顔も、一瞬ビクッと反応した。

「この研究所に来る途中の山道で、ハンドル操作を誤って川に転落した」

 父がいつも「あの道は気を付けろ」と口やかましく言っていた理由を、沙耶はようやく理解した。婚約者があの道で事故で亡くなったということだったのだ。

 彼女のクローンである沙耶を、彼女と同じ原因で失うわけにはいかなかったのだろう。

「だからって――」

 記者席から沙耶の耳に馴染んだ声が聞こえて来た。宇佐美だった。

「恋人のクローンを作って自分の娘として育てますか。俺にはそれが理解できない。むしろ理解したくない。沙耶ちゃんが今どんな気持ちでいるか。あんた父親としてよくもそんなことが言えるな」

「あなたは?」

「さっき国道で沙耶ちゃんを拾ってここまで連れて来た単なる通りすがりだよ。俺はここに来るまで沙耶ちゃんからいろいろ話を聞いたんだ。彼女とソイ君がどれだけ強い絆で結ばれているか。ようやくわかったよ。博士のコピーであるソイ君とジェニファーさんのコピーである沙耶ちゃんが惹かれ合うのは当然だよな。博士とジェニファーが恋人同士だったんだもんな」

「ソイとそんな前から?」

 大豆生田が今初めて気づいたというようにソイと沙耶を見た。

「そんなバカな。二人ともクローンだぞ」

「クローンだって恋愛くらいするさ。科学者同士が恋愛するようにな。沙耶ちゃんの小指に気付いていないのか」

 大豆生田は娘の小指に白と青のモールを見つけた。

 数年前のことが蘇って来た。夕食の時に「見て見て」と得意気に薬指に付けた指輪を見せた娘の笑顔。「ソイがくれたの。サファイアなんだよ」そう言っていたはずだった。

 あれが娘の初恋の予兆だったとは。いや、既にその時は恋に落ちていたのかもしれない。研究に明け暮れて、自分の作ったクローンたちの心の動きにまで気が向いていなかったツケがここへ来て表面化したのか。

「せめてソイ君たちを自由にはしてやれないのか?」

「とんでもない! そんなことはできない!」

「なぜできないんだ、沙耶ちゃんだっていままで何も知らずに生きて来られた。クローンもオリジナルと同じように生活できるじゃないか」

「ソイは沙耶とは違うんだ。ミックスだと言っただろう!」

 科学者の顔に明らかな焦りが見えた。

「ミックスでも問題が無ければいいんじゃないのか」

「問題があるから言ってるんだ。ソイを外に出すと大変なことになる!」

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