第三十三話
しばらくしてソイが思い出したように口を開いた。
「ところでサヤ。どうしてこんなところから入って来たの? まだこの時間帯なら玄関開いてるんじゃないの?」
ヴェルも「そういえば」と、窺うように沙耶の顔を覗き込んだ。どうやら管理棟一階で何が行われているのか知らないらしい。
「うん、玄関は今ちょっとごたごたしていて。あたしが見つかるといろいろマズいから」
「あ、それ」
ヴェルが沙耶の小指に気付いた。
「ソイが作った指輪?」
「うん、そう。ちゃんとここまで辿り着けるように、お守り代わりにつけて来た。二人に会えて良かった」
「ちゃんと持っててくれたんだね」
「当たり前じゃない。婚約指輪なんだから」
ソイの嬉しそうな顔が沙耶にじんわり沁み込んでくる。この笑顔に会いたかったのだ。ここ最近ずっと。
だがヴェルの方はもう少し現実的だ。
「もしかして、玄関でごたごたしてるのって、ニグの事?」
「うん。だから来たの。ケニャンとメラのことも聞いてるよ」
「博士が怪我した原因も知ってる?」
「うん、ケニャンでしょ。何があったのかは大体知ってる。今ね、お父さんが来ているの」
「入院してたんじゃないの?」
「うん、そうなんだけど、新聞記者とかテレビのキャスターとかいろいろ来てて、お父さんが説明してるの」
「どうして?」
沙耶は、ニグの不自然な死によってマスコミが騒ぎ出したこと、研究所は記者会見を開いて説明しないといけないこと、それが現在管理棟一階の会議室で行われていること、それを知って急いでここにやってきたこと、途中でノンフィクション作家の車に拾って貰った事などをかいつまんで説明した。
「待って、今見せる」
沙耶はポケットから出したスマートフォンをテーブルの上に置くと、記者会見のライブ放送に合わせようとしたが、スマホが繋がらない。
「妨害電波出してるんだわ。ねえ、パソコンある?」
「これが使える」
ヴェルがノートを開く。ノートではあるがデスクトップとして使われているようだ。どう見てもLANケーブルで他の機器と繋がっている。
「これで記者会見が見られるはず。報道各社の通信は遮断されてるけど、会議室のカメラを研究所内の回線で見たらいいのよ」
ヴェルとソイがくっついて椅子に座り、沙耶はすぐ後ろに立って二人の上から画面に穴が開くほど凝視した。
『警察の発表では、ムワイ・ンゲンギさんは普段着のような恰好で素足にサンダル履きで外へ出られたという事ですが、普段着とはどんなものでしょうか』
『普通の木綿のシャツですよ。彼はケニアの人ですから。研究所内ではサンダルというかサボを履いていましたね』
ヴェルが沙耶の方へ振り返る。
「ムワイ・ンゲンギって誰?」
「ニグの事。警察がニグのことをケニア出身の科学者だって発表したの。この研究所の職員ってことになってる」
「どうして?」
「ここで育ったことが知られたくないんだと思う。何か秘密にしておきたいことがあるんだよ、きっと」
「あ、ヴェル、博士だ」
ソイの声に、ヴェルと沙耶は再び画面に視線を戻す。
『彼は、ニグと呼ばれていました。愛称だと思っていただければ結構です』
『それで、発見者にニグと名乗ったという事でしょうか』
『そうだと思います』
「博士はニグのことをちゃんとニグって呼んでくれてる」
「当たり前だよ、ニグはニグだもん。お父さんは嘘はつけない」
話している間にも会見はどんどん進んでいる。
話の流れが嫌な感じになって来た。危ないものを作っているのではないかという質問になってきている。
『生物兵器などという物騒なものは頼まれても作りません。私が拒否します』
『それをムワイ・ンゲンギ氏が作っていて心を病んだという事はありませんか』
『彼はそんなものは作らない』
「なんでこんな質問してるんだろう」
「ニグが研究者で、生物兵器を作れって所長に言われて、作りたくなくて、心を病んだ……って言いたいのかしら。ねえ、サヤ?」
「そういう事だと思う。この流れだと」
「なんだか喧嘩してるみたいだね」
「喧嘩してるのよ。質問している人たちは、なんとかしてお父さんを悪者にしたいんだ。だからお父さんは戦ってるの」
所長が答えたらいいのに、なぜかこの人たちは父に話させたがる、父が正直なのを見抜いているんだ――沙耶はマスコミに少し苛立っていた。
『物理的な交尾によるものではありませんから。そこは遺伝子の組み換えですから、ある意味どんな種であっても可能です』
『博士』
父の言葉を遮ろうとした遠藤の顔に、沙耶は焦りの色を見た。
物理的な交尾に頼らず、遺伝子の組み換えだから。沙耶にとっては自然な発想だった。が、目の前にいる二人を見て『まさか』という思いが一瞬よぎった。
『その気になれば哺乳類同士でなくても?』
『理論上は可能です』
『実験としてやってみたことは?」
『あります』
『大豆生田君――』
沙耶は目を見開いた。今、父は何と言ったか。哺乳類同士でない生き物で実験をしたと?
『成功した個体はありますか』
『あります』
『大豆生田君!』
所長が制止した。強い制止だった。大豆生田がハッとしたように口を噤むのを、三人はじっと見守った。
『その個体は危険ですか?』
『一部に……危険なものもあります』
『今までそれが原因で事故などは起こらなかったのですか』
『博士の怪我はその時のものでは?』
ソイとヴェルが顔を見合わせた。その答えは沙耶が音声化した。「ケニャン?」と。
「待って、それじゃケニャンが人間と別の生き物のミックスみたいじゃないか」
「だけど……わたしたちも後から何かの要素を追加されたような気がしない? だってわたしたち双子なんだよ? なのに、全然似ていない。確かに見た目は似ているかもしれないけど、性質が全然違うよね」
「待って、静かに!」
『単刀直入に聞きますが。ムワイ・ンゲンギさんはここの職員だったのですか?』
『それは――』
『本当はここで作られたヒトだったのではありませんか?』
三人は呼吸を忘れたかの如く、息を詰めた。大豆生田は決定的に嘘がつけない。ここで何を言うのか、絶対に聞き漏らすわけにはいかない。呼吸音さえ邪魔なのだ。
『ニグは……私が作りました』
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