第十七話

 メラが一歳の誕生日を迎えるころ、N7とC9を作った。もちろん他にもたくさん作っていた。だがこの二つの個体だけ特記したのには訳がある。N7とC9はその後長生きすることになるからだ。

 この二個体は人間として誕生した。つまり、培養槽からめでたく出ることができたのだ。これから培養槽を出た個体には名前を与えよう、そう決めた。

 N7はバカの遺伝子を持つ個体、即ちメラの弟にあたる。メラ同様、ネグロイドに関連する名前がいいと思った。メラがギリシャ語ならN7はスペイン語で『黒い』を意味する『ニグロ』、『ニグ』と名付けよう。メラとニグ、黒い兄弟だ。

 そういえば『黒い兄弟』という名作があった。煙突掃除の少年たちの友情を描いた作品だったと思う。最近読書をする暇もないことに気づいた。

 C9はコーカソイドでジェニファーのコピーだ。この赤ん坊は四十二年後にはジェニファーそっくりになっているのだろうか。その頃私は七十一歳になるんだな。

 この子には何と名付けようか。ジェニファーに似た名前では苦しくなるだけだ。

 その時、所長が来たのだ。彼はいつも思いがけない時に思いがけないことを言う。それはいつだって私にとっては天啓のようなものなのだ。神なんかより余程私の人生を左右してきた、もちろんいい意味で。

「大豆生田君、僕と君だけの秘密を持つ気はないか?」

「秘密? ですか?」

「そう。お上は勿論、研究所の誰にも知られてはならない秘密だ」

 私は気乗りがしなかった。なぜなら、私は致命的に嘘がつけない。秘密を持つなんてことはとてもできる性格ではないのだ。そのお陰で随分人生を損しているとは思うが。

「いや、わかっているよ、君が嘘をつけないことは。だから事実にしてしまうんだ」

「何を仰ってるんですか?」

「C9だよ。ジェニファーのコピーを君の娘にしないか?」

 なんだって? C9を? クローンを? ジェニファーのコピーを私の娘に?

「もちろん、君の心一つだ。君が首を横に振ればこの話は無かったことにして終わりだ。だが、君が首を縦に振れば、C9を君の娘として育てることは可能だ」

「どうやって?」

「科学技術省だよ。彼らは、我々のやっていることを知っている。向こうから持って来た研究だからね。つまりお上と我々は運命共同体なんだ。一人分の戸籍など、どうにでもなる」

 つまり、戸籍を『作る』ということか。

「公文書偽造じゃないですか」

「そう、だが偽造するのは我々じゃない。科学技術省だ。彼らは我々の要求を断れない、僕がお上を脅す文句を持っているからね。そしてこの要求を呑んで偽造したとなれば、我々は更なる弱みを握ることになる。彼らとはフェアな立場でやっていないとね。こちらばかりが苦しい思いをすることになるからね」

 フェアな立場。確かに我々は立場が弱い。資金提供が無ければ研究はできない、研究が出来なければ我々科学者はお払い箱だ。その弱みに付け込んで、法に触れるような研究を回してくる。

 だが、公文書を偽造したとなれば共犯だ。対等な立場に立てる。

 何よりも。あのジェニファーと……いや、ジェニファーのコピーだが、完全なクローンを自分の手で我が子として育てる。しかも愛した女性のクローンだ。

 後悔するかもしれない。死ぬまでその倫理観に苦しむことになるかもしれない。だが、ジェニファーのコピーとこれからの人生を生きることを天秤にかけたら、どちらに傾くのだろう。

「ゆっくり考えても構わないんだよ」

 先程まで『小豆澤博士』の顔で話していた男が『所長』の顔で言った。

 私の中で何かが弾けた。

「C9を私の娘に……ください」

「我々には墓場まで持って行く秘密ができたな」

 C9は『沙耶』と名付けられた。所長が考えてくれた名前だ。『大豆生田』の娘だから『サヤ』なのだそうだ。

 もちろん私一人でこんな小さな赤ん坊を育てることなどできない。研究所には保育スタッフがいて、無事に培養槽から生まれたクローンたちの面倒を見ることになっているので、彼らに任せることにした。

 今のところ、二歳のメラ、新生児のニグと沙耶の三人だ。この子たちは姉弟のように育てられるのだろう。

 そして私は彼らの弟たちを作る。次はアルビノにクロロフィルを持たせたA13と、アルビノとホタルの遺伝子を掛け合わせたA14だ。A13は性染色体も加工してメスの個体を作った。

 彼らのオリジナルはモンゴロイド、つまり私だ。だが、彼らは私のコピーではない。私と植物の交配、そして私と昆虫の交配だ。私は完全に禁忌を犯した、どうやっても言い逃れはできない。

 もう私に人間の倫理など通用しなくなっていた。そんなものはとうに捨てていた。神に宣戦布告をしたあの日、私は科学技術の進歩の名のもとに悪魔に魂を売ったのだ。

 私はこの先、自分の作ったこの子たちと共に生きると決めたのだ。ここに骨を埋めるしかない。二十代にして、自分の終の棲家が決定したも同然だった。

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