第22話 幸福なる結末と幸福なる凡ミス

◆◇◆ 














「おい。その腕、血が出てるけど大丈夫か! デイズ」




 リクオは戻ってきたデイズを見るなり駆け寄って、心配そうに彼女を見つめた。




「ええ、単なるかすり……いやかすりチェーンソー傷です。おかまいなく」




「いや、チェーンソーなのかよ! 全然、かすり傷になってないよ! とりあえずタオルで止血したほうがいい。これ、アルコール消毒液とタオルだ。使え」




 青年は自分の荷物からアルコール消毒液とタオルを取り出してデイズに手渡す。




「ありがとう」




 彼女はそれらを使って傷口を止血して、ふぅーっとため息をついた。


 そんなデイズにリクオは尋ねる。




「で、バルザックは?」




「ええ。しぶとく生きていたので、わたしがとどめを刺しました。これで、マリスへの弔いは済みましたよ」




 デイズはどこか寂しそうな声で答える。




「ふむ。よかったな。これで天国のマリスも、うかばれるだろう」


 リクオも悲しそうな顔で頷く。






 と、そんな二人の背後から。




「いや、ボクは生きてるから。勝手に殺すなーっ!」




 緊急処置を終えたマリス本人が突っ込んでいた。






「……マリス……なかなかしぶとい」


 傍らでグリモワルスは、ぼそっと毒舌を吐いた。




「いや、看病したのはきみだろっ! でも、ありがとう。きみの必死な看病のおかげで生死の境から復活。一命を取り留めたのだよ」




「……てれてれ」


 グリモワルスの頬がみるみるうちに紅潮していく。




 さて、そんな全体のやりとりを楽しんだ後、リクオは静かな口調で言った。




「マリスやグリモワルスも無事みたいで何よりだよ。ともあれ、これは本当に大団円かもしれんな」


「はい。ただし。最後にとっておきの仕事がひとつ残っていますけどね」


 デイズは苦笑する。




「そうだな」




 青年も、それには同意せざるを得ない。




 彼は聖典へと視線を向けた。




 ようやく、そのときがきたらしい。












 ◆◇◆










「では、念願かなっていただくとしますか。これらの伝説を」




 祭壇へとゆっくりと近づいたデイズは感慨深そうに祭壇の中に並んでいる五冊の音読聖典をじーっと見つめた。その瞳にはいつぞやの喜びや寂しさや思い出が入り混じっている。




「………うむ」




 そのうち、彼女の細い手は吸い込まれるように祭壇の中へと伸びて、そこから五冊の伝説を次々に取り上げていった。




「本当に感動です。長い道のりでした」




 いつの間にかデイズは大粒の涙をぽろぽろと流していた。それだけではない。感動のあまり、彼女の身体はブルブルと震えているではないか。




 そして。


「では。この五冊の校閲を頼むのです! くれぐれも慎重に」




「おう」




 リクオの心強い返事を聞いて、安心したのだろう。




 デイズは五冊の聖典をドサドサッと、彼に手渡した。




「おも」




 ズッシリとした重量がリクオの手に支えられる。


 と、そのとき。








 カチッ。








 何かの前触れのように軽い音がした。




「あっ、待ってくれたまえ!」




 突如として、マリスが叫んでいた。




「ん!?」




 ぽかんとして、そんな彼女を見つめる残りの三人。


 すると、残り三人にむかってマリスは切迫した声を張り上げた。




「音読聖典には、防犯用の強制移動装置が付けられたままだ! くれぐれも慎重に扱って……って、おい」






 しかし、それは少しだけ遅かったようだ。




 リクオの手中で。




 カチッ、カチッ、カチッ、カチッ。




 連鎖するように残り四冊のスイッチが入る。




「おい、バカアーーーーーーーーッ!」




 マリスの絶叫。




 同時に、リクオの手の中の五冊がきらきらと輝きはじめていた。


 次の瞬間、それらはすさまじい勢いで神殿の屋根を軽々と突き抜け、光の速さで世界のどこかに飛散していく。




 音読聖典の抜け出した穴からは、夜空の星が照らしていた。




「や、やっちまったのです……。これでまた、いちから音読聖典を探さなければならなくなりました。あわわ」




 デイズはその言葉を最後に、がっくりとその場に崩れ落ちた。


 リクオとマリスの目は完全に点になっている。


 そう、たったひとつの手はずの失敗。




 このおかげで今までの努力はすべて水の泡となり、音読聖典をめぐる旅はそれ自体が振り出しに戻ったのだった。




 さて、グリモワルスはというと相変わらずのポーカーフェイスでキセルを吹いている。










 ――――ぷかぷかと無慈悲に宙を舞うシャボン玉。








 それが全てはじける頃。


「まぁ、こういうこともある……よね。次はこういうミスをしなければいいさ。勉強だよ、勉強」


 リクオは何気ない口調ながら、デイズをなぐさめる。




「……うう」




 しかし、少女は顔を伏せたままだ。未だに落ち込んでいるらしい。


 ひっくひくと、しゃくり上げる声が続く。




 すると、リクオはそんな彼女の隣にきて言った。




「まぁ、そう落ち込むな。気持ちはわかるけど前向きに考えようぜ。それに僕たちはまた旅を続けられる。それは喜ばしいことだ」




「…………」




 すると突然、デイズの泣き声がぴたっと止まる。そして彼女は拍子抜けしたような表情でリクオのほうを見つめていた。




 一瞬の沈黙。




 やがて、デイズは彼に真面目な口調で尋ねていた。




「では、おまえはずっとわたしのそばにいてくれますか?」




 これを聞いたリクオは微笑する。




 そして彼女の瞳をまっすぐに見据えて言った。




「当然だとも」




「じゃあ、これは嬉し涙ということにしておきますっ!」


 デイズはそう言い終わらぬうちに、恥ずかしさで顔を伏せる。










「……大団円」










 傍らのグリモワルスは、いつもよりほんのり嬉しそうな声でそうつぶやいていた。

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