第7話 入部
「それで、まぁ色々聞きたいことはあるんですが……」
目の前に出された冷たいお茶。真也はそれを一口含むと私服姿の普通の高校生にしか見えなくなってしまった日常部の二人に向けて質問をすることにした。
「俺がそのイレイザーの力を身につけたのって最近なんですよね」
長机を二つ並べ、エイルと真也、杏里と部長は対面するように座っている。
「まぁ、その宇宙生物のことしか記憶にないんだったらそうなんでしょうね」
「それはつまりイレイザーという存在はこれまでもエイルやあの蜘蛛のような普通じゃないモノを消去する活動を人前で堂々と行ってきた。でも過去の俺を含めたほとんどの人間はその記憶を失ってしまっていると」
「うん、その通りだよ。イレイザーは世界中にいて、大昔からカオスとの戦いを続けている。宇宙や異世界からの侵略者、悪魔、怨霊、呪い、吸血鬼、魔女、ゾンビ、超能力者、危険でいきすぎた科学技術……そんなものを消してきたんだ。イレイザーがいなければ一体どんな世界なのか想像もつかない。まさにカオスな世界になっていただろうね」
「……そうですか」
それらはまさに真也が求めているものたちだった。それを消すなんて日常部はなんてもったいないことをしているのだろう。それが真也の持った率直な感想だった。
「でも、それって何かおかしくないですか」
「え……?」
「消去してきたならそういう伝説の生き物とかってなんで伝承とかがあったりするんですか」
なかったことになるならそういう記録も残らないはずだが。
「あぁそれは、そういう伝承はイレイザーが伝えてきたものだからさ」
「え……?」
「たとえば……ヴォイニッチ写本なんてものがあるけど。知っているかい?」
「あぁ、それならもちろん知っています」
ヴォイニッチ写本とは十五世紀頃に作成された未知の言語で記されたもので、実在しない植物などの絵がたくさん描かれている本だ。オカルトマニアの中では結構有名なものである。
「あれなんかは典型的だな。もともとそこに描かれていたものは存在していたが、有害だと判断されて消去されてしまった。しかし記録だけには残しておこうと当時のイレイザーが書き残したものだ」
「そ、そんなことが……」
「イレイザーが国、いや大陸ごと消滅させた話なんかもある」
「大陸ごと……?」
「アトランティスのことだ。強大な軍事力を持っていて、あの国が存在し続ければ世界が滅んだんだそうだ」
部長は大真面目な顔をしてそんな話をする。
あの宇宙生物とその母艦を一夜にしてなかったことにしたことを考えればそれも不可能ではないのだろうか。
「それで、イレイザーの概要を大体知ってもらったところで改めて聞くけど、桐嶋君、この日常部、入る気はないかしら? もしあなたが入ってくれるなら非常に助かるんだけれど」
「え、えぇ……っと……」
「まぁ、イレイザーの中にはその能力を持ちながら何もせず暮らしている者もいる。危険な戦いもあることだし、無理にとは言わないけどね」
二人の言葉に真也は少しの間考えるように俯き口元を手で覆った。そして他の者に見えないように一瞬にぃと口角を上げる。それから机の上に両手をつき、身を乗り出すように言った。
「いえ、よろしくお願いします。ぜひ日常部に入らせてください!」
「ほんとに?」
「えぇ、俺は知ってしまった。この何でもないと思っていた日常があなたたちにイレイザーに守られているものだったのだと。それを知っておきながら何もしないなんて、俺にはそんなこと出来ない!」
すると部長が「ほぉ」と関心するように声を上げた。
「俺はあの宇宙生物に自分の住む街が壊され、人々が殺されていくのを見て感じたんです。絶対にあんなこと起こってはいけない。この平和な日常を守らなくてはならないと……!」
ペラペラと真也の口から出てくる言葉。それは真也の真意ではなかった。本当の目的は日常部の思想とはむしろ相反するもので、このつまらない日常をぶち壊すことにあるのだから。
それなのになぜ真也はこの部活に入ろうとしているのか、それはこの日常部に入れば普通の人間では知ることもないカオスというものに遭遇することが出来るから、ただそれだけだった。
「そうか、それは素晴らしい心がけだ。僕も君と同じでこの日常を愛している。それを脅かすカオスが現れたら確実に排除しなければならないだろう」
「……そうですね」
すると部長が席を立ち手を差し伸べてきた。
「君を同志として迎えよう。これからよろしくね」
「はい」
真也も席を立ち二人は笑顔でお互いの手を握り合った。
こうして真也の日常部への入部が決まったのだった。
「しかし……それはいいんですけど、彼女一体どうすればいいでしょう」
真也は部長から手を放しエイルに目を向ける。
「お前は確か、この世界にいる魔族に会うまでは元の世界には帰らないんだったよな」
「あぁ、その通りだ。そのためにこの世界にやってきたのだからな」
どういう理由か知らないが、エイルの目には強い覚悟が感じられた。
「まぁ彼女についてはさっき屋上でも言った通り基本桐嶋君に任せることにするよ。彼女のカオス値を抑えることも日常部の活動の一環だと思ってくれ。とは言ってもサポートはするさ」
部長は席につき、笑顔を二人に向ける。
真也は「はぁ……」と曖昧に返事をした。そんなことを言われても、これから彼女をどうやってこの世界で生活させていけばいいのか、真也にはまったく見当がつかなかった。
「まぁしかしその話については明日にでもすることにしよう。今日はもう夜遅いからね」
確かに部屋の壁に掛かっていた時計で時間を確認すると時刻は二十三時を過ぎたころだった。
「そうだな、しかしとりあえずお金が必要だろう。桐嶋君、持ち合わせはあるかい?」
「い、いえ……学校に来ただけなんで、全然お金は持ってきてないです」
「そっか、なら渡しておこう」
部長は席を立ち部屋の端に置いてある金庫らしきものへと向かった。お金の工面をしてくれるらしい。それは真也にとって救いだった。例え家に帰ったところで大した金額など用意出来ないのだから。
金庫を開けこちらを向いた部長の手には分厚い封筒が握られていた。
「じゃあとりあえずこれだけ渡しておこう」
そういって部長はその封筒から三万円を抜き出し真也へと手渡した。
「え……こんなに……いいんですか?」
「もちろんだよ。とりあえず彼女には泊まる場所すらないんだろ?」
「ありがとうございます。必ずお返しするので……!」
「いやいや、返す必要はないよ。これは日常を守るための必要経費というやつだから。僕のポケットマネーから出ているわけじゃないしね」
「そ、そうですか」
「それがこの世界の紙幣か……? 随分と精巧に作られているな」
エイルが横からその様子を覗き込んできた。エイルのためのお金ではあるが彼女に今渡してもまともに使えるかすら怪しそうだ。
「じゃ、僕たちはそろそろ家に帰ることにするよ。明日学校の日常部の部室に……そうだな朝十時に集まることにしよう」
「え……あ、はい。しかし休みの日にこの部室開けれるんですか」
「うん、大丈夫だよ」
「あぁ、それとこれ、渡しておくわ」
「ん……?」
杏里が真也に手渡してきたのは、薄いスマートフォンのようなものだった。一面が画面でその裏にはカメラのレンズがついている。
「あとこれが充電器」
「なんですかこれ」
「それはスマホのように見えるけどカオス値の測定器よ。そのカメラで映したモノのカオス値を見ることが出来る。たまに彼女のこと見てチェックしておいてね。100を超えちゃうとまた今日みたいなことになりかねないから」
「……分かりました」
「さっそく使ってみるといい。側面に電源ボタンがある。それを押すだけだよ」
言われた通りボタンを押してみると真っ暗だった液晶にカメラからの映像が映し出された。
カメラをエイルへと向けてみると画面上のエイルの頭の上に引き出し線のようなものが現れその上に数値が表示された。その値は92となっている。どうやら先ほどより下がっているようだ。だが、安心はできない数値のように思える。エイルの顔を見ると何だか不思議そうな顔をして頭を傾げていた。たぶん何をしているのかよく分かっていないのだろう。
次に部長と杏里にカメラを向けてみる。すると引き出し線も何も表示されなかった。
「僕たちには出ないはずだよ」
「えっと……人間だからってことですか」
一通り試した真也は測定器の電源を落とした。
「いや、場合によっては人もカオスになりうる。むしろ逆にカオス値が0のものなんて存在しないんだけど、それじゃあ画面がごちゃごちゃになっちゃうから10以下は表示されない設定になってるんだ」
「なるほど……」
「エイルさんはこの世の常識がまるで分かっていないようだからね。彼女が常識の範囲内の行動をとっているとは思っていても僕たちから見ればそれは日常を壊すような行動に値するかもしれない。そしてそんな行動をとれば彼女のカオス値は上昇してしまうかもしれない。しばらくは彼女から目を離さないほうがいいかもね」
「そうですね……」
「ちなみに僕の眼鏡も測定器なんだよ」
部長は自身の眼鏡をくいと上げてそんな事を言い出した。
「え……そうだったんですか?」
「あぁ、普段からカオスを見逃さないために掛けてるんだ。本当は目なんて悪くないんだよ」
「どうりで……戦闘中に眼鏡を外してるなんておかしいとは思いましたよ」
「それと私が被っていたヘルメットにもその機能がついてるわ」
と杏里の言葉。
「戦闘中は部長の代わりに私が測定してる感じね」
「へぇ……」
真也はエイルの姿を改めて見てみた。甲冑に剣。その中世のヨーロッパからタイムスリップしてきたかのような風貌は完全に日常からかけ離れていると言える。
エイルのカオス値が高いのはこの恰好のせいもあるのではないか。
「えっと……じゃあまずエイル、その剣のことなんだけど」
「ん? この剣がどうした」
「そんなものを持って出歩くことはこの国では禁じられているんだ」
「そ、そうなのか?」
最悪それ以外はコスプレで済まされるかもしれないが剣はマズイだろう。模造刀なんかじゃないし、下手すれば世界一切れ味がいいかもしれない。警察に声を掛けられた時点でアウトだ。
「し、しかしこの剣は由緒ある聖剣であって、決して折れることはなく、最高の切れ味を持ち続け、汚れも付きにくくてだな、光を放つから夜道でも重宝するのだぞ!」
なんだかエイルは通販番組のように聖剣の解説を始めた。
「だったら尚更だな。そんな普通じゃない武器を人に見せるわけにはいかない」
そこからしばらく時間が掛かったが「……そうか……分かった」とエイルは渋々要求に応えてくれた。そこにはかなりこだわりがあったようだがちゃんと言うことを聞いてくれるらしい。
「そういう武器は隣の部屋で保管するといいわ。そこならセキュリティはバッチリだから」
杏里へと剣が渡され彼女は隠し部屋の中へと入っていった。
「それと桐嶋君はもう日常部の部員だから。ここの鍵を渡しておこう」
そのあと真也は部長にそう言われて鍵を手渡された。
「この部室は自由に使うといい。泊まるところが確保出来なければ彼女をここに泊まらせてもかまわない。まぁ、風呂もベッドもないからオススメは出来ないけど」
「わかりました。ありがとうございます」
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