完璧な計画はない

「警察騎士のゲイルだ」


 部屋に入ってくるなり、精悍な顔つきの男はそう名乗った。髪は茶色で、首筋には傷跡が刻まれている。ブノワを見下ろす両眼はとても威圧的だ。


(こいつ、俺のことを疑ってやがる)


 ブノワは内心たじろいだ。しかし冷静に考えてみれば、疑われるのが早すぎるような気もする。現場を軽く見ただけで、ブノワが犯人だと分かるはずがない。


 さらに不自然なのは、ゲイルが扉の外で発した一言だ。


『右足を切断されて入院中のグールの病室はどこですか?』


 まるで、最初からブノワのことを知っていたような口ぶりだ。もやもやした疑問を抱えつつ、ブノワは応対した。


「何の用? 俺、見ての通り重傷なんだよね。長話はやめて欲しいんだけど」


「我々は右足連続切断事件の調査をしている。被害者のあなたに話を伺いたい」


(なんだ、そういうことか)


 昨夜から今朝にかけて、被害者の右足を切る事件が二件も起きている。警察騎士が事件に連続性を見出し、被害者に事情を聞くのは当然の成り行きだ。


(怪我人の俺を疑うわけないよな)


 ブノワは胸をなでおろし、陽気な口調に切り替えた。


「顔はよく見えなかったが、犯人は人間の女だったよ。かなり小柄だったな」


 もちろん真っ赤な嘘である。ブノワは哀れな被害者を演じながら、そんな自分に酔いしれた。ああ、俺はなんて口がうまいんだ、と。


 しかし、これが裏目に出た。


「変だな。もう一人の被害者の証言では、背の高い魔物の男という話だったが」


 ゴーン。ブノワの頭の中で、鐘の音が響き渡る。その意味するところは絶望。


(や、やっちまった。嘘をつくのに気を取られて、バロムのことをすっかり忘れていた……!)


 ゲイルは鋭い視線で、ブノワの顔をじっと見据えている。その表情から思考を読み取ることはできない。


 ゲイルが口を開く。


「とはいえ、証言の食い違いは珍しいことではない。襲われて気が動転していたんだろう」


「そ、そうだよな! 記憶が曖昧でも仕方ねえよな! 言われてみれば、俺を襲ったのは魔物の男だったような気もするよ」


「そうか………………ところで話は変わるが、つい先ほど、この病院の関係者が殺された。何か知らないか?」


「へえ、それは初耳だ! タムタムの奴、刺されちまったのか。可哀そうになあ」


「俺は被害者の名も死因も、一切口にしていないが?」


 ゴーンゴーン。ブノワの頭の中で、再び鐘の音が鳴り響く。その意味するところは、さらに深き絶望。


(マズイ……何とか誤魔化さねえと……)


 ブノワは貧弱な知恵を絞り、やっとのことで言い訳を口にする。


「聞いたんだよ! 『タムタムが短剣で殺された』って、誰かが喋ってるのをさ。扉が薄いから外の会話がよく聞こえるんだ」


「タムタムが死んだのは、初耳なんだろ?」


 ゴーンゴーンゴーン。もはや何を言っても矛盾が生まれる。ブノワは黙秘することに決めた。


 静まり返る室内。返事が途絶えたからだろう。ゲイルは別の角度から質問を投げかけた。


「『扉が薄いから外の会話がよく聞こえる』と言ったな。タムタムを殺した犯人は、この病室の前を通って裏庭に出た。我々はそう考えている。何か聞いていないか?」


 この問いにどう答えるべきか。ブノワは熟考の末、別の誰かを犯人に仕立てあげることにした。


「そういや、足音が二回聞こえたな。直後に、裏庭の扉を開ける音もね。一回目がタムタムで、二回目が犯人って考えれば、辻褄が合うな」


「それはおかしい。近くの廊下に立っていた患者は、裏庭にはタムタムしか行かなかったと証言している」


「…………」


 ブノワによる苦し紛れの一言。


「なら、その患者が犯人だ!」


「患者は二人いたんだが」


(は、はめられた……!」


 ブノワの顔から余裕が消えていく。自分が疑われているという現状を、完全に理解したのだ。


 ゲイルの追及はなおも続く。


「二人の患者の立ち位置は、廊下の突き当たりを曲がってすぐのところだ。従って、この病室の扉は見えていない。俺の言いたいことが分かるか?」


 警察騎士の挑発。ブノワは温厚な態度をかなぐり捨て、戦闘態勢に入った。


「俺が犯人だって言うつもりか!? 馬鹿め、俺には鉄壁のアリバイがあるんだ! 右足がない人間が、歩けるわけねえだろ!」


「お前はグールだろ。『魔物大全』という本で知ったのだが、グールは人間の死体を食べると、四肢が回復するらしいな。身体の断片でもいいとか」


「それが何だ!」


「あらかじめ死体を用意しておけば、右足を蘇生できる。裏庭に行って、タムタムを殺すことは不可能ではない。それに、犯人のものと思われる足跡には、右足を引きずったような形跡があった。生えたばかりの右足が体になじんでいなかった、と考えれば筋が通る」


「俺の右足を見てみろ! ざっくり切れてるだろうが!」


「病室に戻ってから、切り直せばいい」


 患者の体を覆っていた掛け布を、ゲイルはいきなりめくった。敷き布にこびりついた赤茶色の染みが露出する。


「この染みは、お前の血だな?」


「傷口が開いただけだ! だいたいなあ、てめえの推理は矛盾だらけなんだよ。足を切り直した? なら、切断に使った道具と足本体は、どこに消えちまったんだ? 部屋中を探してみろよ!」


「足を切る以上、隠し場所はベッドから手の届く範囲に限られる。ニック、あの革袋を調べてくれ」


「了解です!」


 それまで横に控えていた金髪短髪の若い男が、ブノワの革袋を覗き見る。


「あれ、おかしいなー。血の跡は残ってるけど、中身は空っぽですよ」


「ほら見ろ! お前の推理は妄想だ!」


 ゲイルは動じる様子もなく、ブノワの右足を指差した。


「その包帯を外してみろ」


「なっ……いや、それは……」


「足はともかく、刃物ぐらいなら隠せそうだな」


 有無を言わさず、ゲイルはブノワの右足に巻かれた包帯を引きはがした。あらわになる切断面と血で汚れた短剣。ゲイルはそれを掴むと、刀身をあらためた。


「赤茶色の血……明らかにグールのものだ。これでもまだ言い訳はあるか?」


 全身から力が抜けたように、ブノワの体がベッドに崩れ落ちる。完璧だったはずの計画を見破られ、心に押し寄せる敗北感。彼にはもう一つ反論の材料が残っていたのだが、それを使う気すら失せてしまった。


「どうして、俺だと分かった」


 ブノワが弱々しい声で尋ねる。計画のどこにミスがあったのか、知りたくなったのだ。


「この病院を訪れたのは、元々お前を尋問するためだった。バロムの右足を切った容疑者としてな」


(そういや言ってたな。背の高い魔物の男がどうこうって)


「道理で、到着が早かったわけだ。バロムに姿を見られたのは不覚だったぜ」


「いや、バロムはお前の姿を見ていない」


「えっ?」


「あの証言は、お前をゆさぶるために俺がでっちあげた嘘だ。暗闇で姿が見えるわけないだろう。バロムが覚えていたのは、襲撃者の体が異常に臭かったことだけ。それで浮浪者か魔物だろうと見当はついたがな」


「じゃあ、どうして俺が犯人だと…………そうか、二人の患者の証言だな! 裏庭に行ったのはタムタムだけっていう」


「あの証言も嘘だ。そんな患者はいなかった」


(な、なんだとおおおお!)


 ブノワの頭に混乱が押し寄せる。ゲイルの話を聞く限り、自分に疑いが向くような要素は一つもなかったはずだ。それなのにどうして。


「お前達が病院に来たのは、俺が右足切断犯だと思ったからなんだろ!? けど、バロムの証言『臭かった』だけじゃ、犯人を絞りこむのは不可能なはずだ。タムタム殺しにしても、他に容疑者はいくらでもいる。どうして俺だと分かったんだ!?」


 ゲイルは冷めた声で、つまらなそうに答えた。


「四肢を回復できるグールが、右足を切られたんだぞ。しかも二人目の被害者としてな。おまけに『臭かった』という証言まである。当然怪しむだろ。病院に着いてみれば、病室は事件現場のすぐ側だし、右足を引きずったような足跡まで残されていた。むしろ、他に誰を疑えと?」


 パリン。当たり前のことを当たり前のように指摘され、ブノワの心は砕け散った。完璧な計画なんて最初から存在しなかったのだ。


 こうして、クズによるクズを狙ったクズのような事件は解決するに至った。話は以上でおしまいだが、疑問が一つ残されている。それはつまり……、


「あれ? 短剣は見つかったけど、切れた右足はどこに行ったんだろ?」


 ニックの問いに対し、ゲイルは事も無げに答えた。


「食ったんだよ。自分の足を自分の口でな。グールの四肢は人間の死体でしか再生しない。他の動物の体なら、いくら食べても平気だからな」

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