第12話 願い事

scene3.願い事


「サロニカちゃん、だめ。考え直して」

 イサドラが懇願しながらサロニカの腕を叩く。けれど、サロニカは小さく首を振った。腕にぎゅっと力をこめ、ぼそっと吐き出すように訴える。

「邪神の子に負けて、生きていられるとは思えない……。だけど、あなたまで死んだらアンジュー様が悲しむじゃない」

 その声と言葉に、イサドラは小さく息を飲んだ。つかの間ためらうように目を伏せると、サロニカはぽつぽつと話し始める。

「私、ずっとイサドラさんに嫉妬してた。アンジュー様の寵児で、みんなに優しくて、愛されて。だけどアンジュー様は、イサドラさんじゃなく私を代行者に選んだ。それが……私にとっては、とても特別なことだったの」

 感情が昂ったのか、サロニカの瞳がじわりと涙で曇る。

「邪神を倒すんだって。アンジュー様がそう命じたって……それならイサドラさんに勝てるって、そう思った。……なのに、こんなにあっさり負けちゃうなんてね」

 かっこ悪、とサロニカは下手くそに笑ってみせた。頬を透明な滴が伝う。

 身勝手だ。愛されたいと、寵児より上に立ちたいと、それだけの理由でサロニカは武器を取った。あまりにも身勝手な……けれど、どこか哀しい願い。座り込んだままのサロニカは、ただ愛を求めて泣く幼子だった。アイラの中に確かにあったはずの怒りが小さく萎んでいく。

「本当に、好きにしていいのね」

 尋ねるアイラにサロニカはひとつ頷いた。イサドラが顔を強張らせ、必死にサロニカを庇おうとする。

「やめて――!」

 悲鳴のようなイサドラの懇願を聞きながら、アイラはゆっくりと銃を持ち上げ――


「……殺さないよ。あなたも、その人も」


 元の、茄子紺のクリスタルに戻すと抱き締めた。

「……え?」

 イサドラが気の抜けたような声をあげる。サロニカに至っては大きく目を見開いたまま口をはくはくさせている。しっかりと抱き合ったままの二人の女性に、アイラは要求を突きつけた。

「ただ、私たちがここで暴れたことは黙っててほしいな。あと、この村から安全に出たい」

 次の瞬間、サロニカは苦虫を噛み潰したような表情になった。先程までの諦めの滲んだ顔ではなく、今を生きる人間らしい表情。

「あなた、性格悪いわね……。私にそれをさせるの?」

 さっきの独白を聞くだけでも、それがどれだけつらい事かは想像がつく。けれど、アイラは目的のために騒ぎを起こさずミョーを離れなければならないのだ。

 それに。

「トロンも、それなら納得してくれるでしょ?」

 アイラが問いかけた瞬間、ふつりと音が途切れた。ずっと警戒音が鳴っていたことにようやく気づいたのか、サロニカが顔を青ざめさせる。

「ザイロを大切に思うのは私だけじゃないの。だから、これ以上妥協はできない」

 断言するアイラに、ずっと黙っていたジェナもこくっと頷いた。しばらく見つめあった後、サロニカはため息をついて両手をあげる。

「わかったわよ。……好きにしていいって、言っちゃったものね」

 それを聞くと、イサドラはゆっくりとサロニカから体を離した。それからアイラとサロニカを見比べ、安堵したように息をつく。

「良かった……。じゃあ私は誰か来る前にここをお掃除しちゃうわね」

「あ、僕も手伝います」

 立ち去ろうとするイサドラに、ジェナが素早く続いた。アイラも慌てて踏み出す。

「私も……」

 元はといえばアイラとサロニカの戦いだ。その後始末をジェナとイサドラだけにさせるわけにはいかない。けれど、ジェナは首を振るとアイラの背後を指差した。

「アイラはついててあげて」

 その動きにつられて、アイラはくるりと後ろを振り向いた。そこには目を見開いて呆然と立ち尽くすザイロ。アイラが手を差し伸べると、ザイロは目に涙を浮かべて弾丸のように飛び込んできた。

『アイラ……!なんで!勝てたからいいけど……!』

 叫びながらぐりぐり頭を押しつけてくる。そのあまりの勢いに、アイラは思わず数歩よろめいた。普段ならそこで止まるザイロが今日はさらに迫ってくる。

『無茶しないでよ!戦うのも初めてなのに……何かあったらどうするのさ……!』

「!」

 叩きつけるように叫ばれた一言。その言葉に、アイラは頭を殴られたような衝撃を受けて息を飲んだ。

「そっか……」

 サロニカが襲ってきたその時からずっと震えていたザイロ。それは酷い怪我を負わされたあの時のことを思い出すからだと思っていた。それも、間違いではないのだろう。けれど……ザイロはずっと、アイラの身を案じてもいたのだ。

「ごめんね、心配かけたね」

 言いながらぎゅっと抱き締めれば、ザイロはさっきより少し遠慮がちに頭をすり寄せてきた。くぐもった声が呟く。

『怖かった。ボクのせいでアイラまで怪我をするって思った。それなのに……アイラが怒ってくれて、嬉しかった』

 嬉しかったの。もう一度そう繰り返して、ザイロはアイラの肩に顔をうずめた。そんなザイロを優しく見つめてトロンが何かを念送する。しばらく無言でやりとりした後、ザイロはゆるゆると顔をあげた。

『アイラ、ありがと』

 そう告げたザイロはどこかすっきりした顔をしている。トロンがふふんと誇らしげな表情をした。箒を手にしたジェナが、それを見てきょとんと首をかしげる。

「トロンとザイロ、なにお話ししてたの?」

 二人はほぼ同時に顔を見合わせ、こくんと頷きあった。それからザイロはジェナの近くへ飛んでいき、そっと囁く。

『めそめそしない、ってトロン先輩に叱られた』

 ジェナが弾かれたようにトロンを見る。トロンは平然としてひとつ頷いた。ジェナは驚いたように目を見開き、今度はアイラを見上げる。反応に困ったアイラは首をかしげると正直に答えた。

「私は話の中身は聞いてないから……。でも、トロンってお兄ちゃんみたいだよね」

「あ、確かに」

 アイラの言葉にジェナは納得したように頷いた。それから手早く掃除を終え、イサドラに箒を返す。神殿が元の静寂と安寧を取り戻したところで、イサドラは遠慮がちに水筒のようなものを取り出した。

「これを、持っていってください」

 受け取ったそれはずしりと重く、揺らすとかすかにちゃぷちゃぷ水音がする。音を楽しむアイラに、イサドラはふわりと微笑んで告げる。

「旅人には、聖水をお渡しするのがここの習わしなの」

「……でも、私は……!」

 あまりに優しいイサドラに、アイラは思わず異を唱えた。

 アイラは罪人だ。邪神に連なり、世界樹を壊そうとしている反逆者だ。他の旅人たちとは違う。騒ぎを起こしたくないとは言ったが、こんな風に祝福されていい存在ではない。温かい眼差しに耐えきれず、アイラはうつむいて唇を噛み締める。

けれど、イサドラは微笑みを崩さない。

「そうね。……それでもいいの。私たちを見逃してくれたあなたを、私は信じたいの」

 それはあまりに重い枷。これから先も、きっとアイラは多くの人を傷つける。与えられた赦しが、それを裏切る未来が、アイラの背にのしかかる。それでも……今更この足を止めて、滅びに怯えながら眠ろうとは思えない。

「……ありがとう、ございます」

 ごめんなさい。そう言いたいのをこらえて、アイラは深く頭を下げた。


 流れる水の音が、やけに耳についた。





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