第29話
果澄は、目を見開いた。話の腰を折りたくなかったので、静かに
「出来のいい兄を意識していた僕は、誰かと自分が比べられることに、昔から強いコンプレックスがあったんでしょうね。翠子は、優れた料理人です。僕には『波打ち際』の味を作ることはできますが、技術面でも、センスの面でも、翠子には
「……私。小海さんは、翠子と張り合って焦ってただけじゃない……と、思います」
何の気休めにもならないと知りながら、果澄は言った。内面を包み隠さず明かした小海も、本当は果澄のように気が動転していたのかもしれない。今も翠子との復縁を考えていて、本当に翠子が大切なら、強く心配していて当然だ。
「私にも、優秀な弟がいて、両親に可愛がられていて……小海さんと、境遇が少し近いのかもしれません。家が居心地のいい場所じゃないって感じたことも、ありました。でも、それは弟の所為ではありませんし、むしろ、私が
何が言いたいのか、分からなくなってきた。もどかしさと恥ずかしさで目が回りそうになりながら、伝えたい答えを見失わないように、果澄は言葉を繋いでいく。
「たとえ小海さんが焦ってたんだとしても、何かを提案して、元々ある形を変えていくことって、すごく大変で、勇気がいることだと思います。それでも挑戦しようって思ったのは、お店のためだったり、お客様のためだったり、翠子のためだったりするんじゃないかなって……私は、思いました。……まあ、だからといって、それは浮気をしていいって理由には、全然ならないと思いますけど」
最後に文句もキッチリ添えつつ言い終えると、小海は不意を
「翠子が、あなたを特別な存在だと思っている理由が、僕にも分かった気がします」
「……そういうふうに言えば、私が困ると思って、楽しんでませんか?」
「そういうふうに見えますか?」
「問いかけに問いかけを返して、答えを誤魔化そうとするのは、ずるいと思います」
「手厳しいですね」
ふっと微笑みかけてきた小海は、やはり天性の人たらしだと思う。やりにくさを感じた果澄が、つい
透明な器には、小海から聞いていた通り、バニラとチョコレートのアイスクリームが二段重ねで盛られていて、乳白色とココア色の雪だるまのような
「熱いので、お気をつけて」
「は、はい」
指をいったん引っ込めてから、慎重にエスプレッソのカップを持って、店内の照明を照り返すカクテルグラスに、漆黒と見紛うカフェインの熱を注いでいく。冷たいアイスクリームがじわりと溶けて、色彩が闇に取り込まれ、ビターなチョコレート色を拡げながら、次第にマーブル模様を描いていく。柔らかくなったアイスクリームをスプーンで
「苦くて、甘い……」
熱い苦みと、冷たい甘みが奏でる対比は、翠子と十三年ぶりに再会した日に振る舞われたライムジュースを想起させた。また涙腺が緩みそうになったから、スプーンを動かせないでいる間に、みるみる溶けていくアイスクリームが、少しずつエスプレッソに呑み込まれていく過程を、なすすべもなく見送ってしまった。
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