episode12 大衆食堂たまきの親子丼

第18話

 帰省きせい二日目の昼下がりは、天気がくもりだった。果澄は、スマホで道を調べながら、故郷の町を歩いていた。さほど迷うことなく住宅街を進み、目的地の手前で立ち止まる。

いた……」

 目当めあての店舗てんぽは、マンションの一階に位置していた。隣には、ケーキ屋や不動産屋のテナントがのきつらねていて、一列に店舗が並ぶ眺めは、東京の『波打ち際』に雰囲気が似ている。『大衆たいしゅう食堂たまき』の暖簾のれんを見つめた果澄は、深夜の会話を回想した。

 ――『鮎川あゆかわ先輩の実家は、飲食店をやってるんだよ。『大衆食堂たまき』って店』

 弟のとおるによってもたらされた新事実は、果澄にとって寝耳ねみみに水だった。驚きを隠せないでいる姉を、弟はあきれの目で眺めてから、赤い唐揚げを蓮華れんげすくっている。

 ――『場所は、俺たちの家から徒歩十五分くらいかな。マンションの一階に入ってる店の一つで、メニューが豊富ほうふ美味うまいって評判だけど……姉貴って、マジで知らなかったんだな』

 決まりが悪くなった果澄が『仕方ないでしょ。当時は、そんなに翠子と話さなかったんだから』と言い訳すると、『鮎川先輩と同じ中学校に通ってたのに、『たまき』のことを知らない人間のほうが、少数派だと思うけど。姉貴の友達だって、知ってたくらいだし』と言い返された。それから、やれやれと言いたげな顔で付け足してくる。

 ――『気になるなら、行ってみれば?』

 ――『え?』

 きょとんとする果澄に、透は炒飯チャーハンを食べながら続けた。

 ――『鮎川先輩の両親の店に。『たまき』のことが気になるんだろ?』

 ――『あ、えっと……うん』

 透に言われた通りなので、果澄は頷いた。翠子の両親がいとなむ飲食店は、どんな場所なのだろう。気になっていると、透が『あー、そんな話をしてたら、俺も久しぶりに行きたくなったなー』と言って、楽しそうに笑っていた。

 ――『前に食べた親子丼、すごく美味うまかったから』


     *


 そんなやりとりをて、現在にいたる。本当は午前中に『大衆食堂たまき』をたずねたかったが、想定外そうていがい夜更よふかしをしたことで、今朝は盛大せいだい寝坊ねぼうをしてしまった。

 ドキドキしながらお店に近づくと、ちょうど引き戸がガラリと開いて、中から家族連れの客が出てきた。両親と幼い子どもの三人連れは、満足げな顔で談笑だんしょうしながら、マンションの裏手に位置する駐車場のほうへ歩いていく。果澄は、微笑ましい気持ちで見送ってから、いざ『たまき』に入ろうとして、尻込しりごみした。眼前がんぜんの飲食店の経営者が、同級生の親なのだと思うと、なんとなく緊張する。ここまで来ておきながら帰るという選択肢はないものの、なかなか一歩がみ出せず、引き戸の隣の窓から店内の様子をうかがった。ほとんどの窓はブラインドが下ろされていたが、一つだけ開いていた。

 店内は和風わふうで、広さは『波打ち際』と同程度だろうか。四人掛けと二人掛けのテーブル席が窓際に並んでいて、厨房を囲むようなL字型の木製もくせいカウンターがえられている。食事中の客は三組ほどで、エプロンをつけた女性店員が、お盆にせた料理をテキパキとテーブル席に運んでいた。機敏きびんな動きに合わせて、焦げ茶色のショートヘアが揺れる。

 ――翠子の母だと、一目で分かった。翠子よりもつり目で、少し気が強そうな顔立ちだが、客に向ける笑みの明るさにはパワーがあり、整った容貌ようぼうもそっくりだ。何より、客への眼差まなざしの温かさが、翠子と同じだった。

 配膳はいぜんを終えた翠子の母を、自然と目で追いかけた果澄は、ハッとする。厨房には、翠子の父と思しき黒い作務衣さむえ姿の料理人が、柔和な表情で調理をしていて――隣には、同級生の妊婦にんぷの姿があった。

「翠子?」

 思わずらした声が聞こえたわけでないはずだが、調理にいそしんでいた翠子も、果澄に気づき、手を止めた。窓ガラスしに目が合って、果澄はあわてる。

 目を見開いた翠子が、隣の料理人に声を掛けて、厨房を出た。そして、あっという間に引き戸を開けて、驚き顔で果澄を出迎でむかえてくれた。

「果澄? どうしたの?」

「えっと……ごめん、突然押しかけて」

「なんで謝るの? というか、うちの店のこと、知ってたんだ」

 翠子は、不思議そうな顔をしている。果澄としても、翠子が『うちの店』と言う場所が、『波打ち際』以外にも存在したことを、とおると話すまで知らなかったから、なんとなく不思議な気分になる。果澄は「知ったのは、昨日で……弟に教えてもらったの。それで、食事に来たいなと思って……」と正直に伝えた。

 透に『たまき』を知らない地元民は少ない、と言われていた手前、翠子が気を悪くしないか心配だったが、杞憂きゆうだったらしい。翠子は、ぱあっと表情をほころばせた。

「それで、来てくれたの? わあっ、嬉しい!」

 そのとき、店内から「翠子、お友達?」と女性の声が掛かり、先ほどの店員が近づいてきた。振り返った翠子が、明るい口調で「果澄だよ。『波打ち際』の」と伝えると、女性は目をみはって「ああ」と言った。果澄は、自分のあずかり知らぬところで、自分が話題になっていることに、やはり不思議な気分になりつつも、緊張の面持おももちで頭を下げた。

「こんにちは。初めまして、乙井果澄と申します」

「いらっしゃい。翠子の母です。今日は、来てくれてありがとう」

 翠子の母が、破顔はがんした。同性でもドキッとするほど魅力的みりょくてきな笑みだった。「どうぞ、中に入って」と促されて店内に入るときに、翠子が悪戯いたずらっぽく「お母さんの名前は、珠季たまきなんだよ。お店の名前の由来なんだ」と教えてくれた。

 果澄が「そうなんだ」と相槌を打っていると、翠子の母――珠季たまきは、「翠子、開いてる席にご案内して」と言ってから、厨房に入り、料理人の男性に「青磁せいじさん。あちらのお客さん、果澄ちゃんだよ。わざわざ来てくれたの」と声を掛けた。

 ちゃん付けで呼ばれた果澄は、少し照れてしまう。もう二十八歳の大人だが、翠子の母から見れば、子どものようなものなのだろう。青磁せいじと呼ばれた翠子の父は、厨房から果澄に微笑んで、丁寧に頭を下げてくれた。

「どうも。翠子の父です。娘がいつもお世話になっております」

 声音が優しく、物腰ものごし丁寧ていねいで柔らかな男性だった。果澄が慌てて「こちらこそ……翠子さんからは、いつもたくさんのことを教わっています」と伝えると、珠季が楽しげな笑い声を立てた。

「せっかく食事に来てくれたんだから、堅苦かたくるしいことは抜きにして、ゆっくりしていってね」

「果澄、こちらのテーブル席へどうぞ」

 笑みを輝かせた翠子に、窓際へと案内された。四人掛けのテーブル席だと気づいた果澄は、少し腰が引けてしまった。

「テーブル席なんて、悪いわよ。私、一人で来たのに……」

「いいの、いいの。もうすぐランチタイムが終わるから。それに、あたしも座らせてもらうし。いいでしょ、お母さん」

「もちろん。もう座って休んでなさい。果澄ちゃんと一緒に、お昼ごはんを食べるつもりなんでしょ?」

「うん! ありがとう! 果澄、ちょっと待っててね。エプロンを外してくるから」

 快活に言った翠子は、店内の奥の扉に向かった。一人になった果澄は、先ほどから気になっていた店内の壁を見渡して――圧倒あっとうされた。

 店内の壁には、メニューの短冊たんざくがびっしりと張り巡らされていたからだ。定食のメニューは、ニラ玉、レバニラいため、野菜炒め、豚の生姜しょうが焼き、豚キムチ、唐揚げ、チキンカツ、チキン南蛮なんばん、焼肉、アジフライ。単品では、カレーライス、炒飯チャーハン、キムチ炒飯、あんかけ炒飯、あんかけ焼きそば、ハムエッグ、オムレツ、豆腐とうふチャンプルー、カツ丼……全部でどれだけのメニューがあるのか、とても数えきれそうになかった。

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