旧知の誰か (3)
「ただいまー!」
明梨が元気よくドアを開けて家に入っていく。
「おかえりー」
由希も帰っていたようだ。昼食を作っていたようで台所から、カレーのにおいが漂ってきた。
「お帰りなさい」
修二に向けてほほ笑んでくれた。
「ええ……」
やはり、ただいまとは言いたくなかった。
「……少し待ってて今、ご飯作っちゃうから」
「……なにかすることあります?」
世話になってばかりはいられない。
「今はいいから、休んでて」
「……はい」
と言われても、この家でくつろげる場所などない。
あの部屋、少し調べてみるか。
自分が三日前、目を覚ましたあの寝室に行こうと思ったその時、電話が鳴った。この家の備え付けのものだろう。
「あ、あの……出てもいいですか……!」
両親からではと、とっさに判断した。
「ええ、お願い」
受話器を取る。
「もしもし由希ちゃん」
「母さん……?」
「ああ、修二か。ちょうどいい、奥山先生見つかったよ」
「ほ、ほんと⁉」
大声を出したせいで、由希と明梨の注目を引いてしまった。
「ああ、さっき電話があってね、あんたがちょっと大変だって説明したら明日会ってくれるってさ」
「あ、ああ……!」
ようやく展望が開けてきた気がする。あの事件を調べるには、当時の学校関係者の協力が不可欠だろう。
「先生、今は早期退職して、学習塾を経営なさってるみたい」
「へ、へぇ……」
一瞬、ドキリとした。さすがにあの件とは無関係だと思いたい。
「ともかく明日の十四時にここに来れるかい」
「わかった」
そう言うと受話器を置いた。
あの逢坂先生か……。ちゃんと対応してくれたんだな。
彼に心中で感謝しつつ、気が抜けたようにソファにどっと座り込んだ。
「なにかあったの?」
由希が皿をテーブルに並べ始める。
「え、ええ……、明日、午後に俺の家に……行ってきますから」
「……うん、わかった」
一瞬、彼女の顔に憂いが浮かんだように見えた。俺の家、はまずかったかもしれない。
「それと今日、後で楓ちゃん……その、私の友達が来るんだけど」
「え? その人って……」
一昨日話したあの女性と思い至った。
「修二さんのことも知ってる。高校の時から、私の同級生だったから」
「わかりました、俺はしばらく出てますので」
「あの、それが……修二さんと話がしたいみたいで……」
「……? なんでです?」なにか不審がられるような事を言っただろうか。
「さぁ……、あの、どうする……?」
俺を知っている誰か……。
高校から会った人間、下手に説明しても相手を混乱させるだけだろう。
「適当に……やり過ごします。話すことなんてこっちにはないし……」
語尾に苛立ちが混じってしまった。
「うん……」
食事を終えると持ってきた過去の写真のファイルや卒業アルバムを見る。
これが高校時代の俺……。
中学のそれとは対照的に、顔写真はずいぶん楽しそうな笑顔だった。由希とのツーショットも何枚かある。卒業間際のものだろう。
たぶんあの人が人生で最初の彼女だったんだろうな……。すっかり浮かれてるみたいでなんかみっともない。そういえば……。
「あ、あの……」
居間で明梨と遊んでいる由希に呼びかけた。
「はい」
「由希さん、旧姓はなんと……?」
「ああ……、新村です」
彼女の名前を探しかけたが、
あ、あの人は一つ下だったんだ。卒業アルバムの方にはないだろう……。
個人アルバムのファイル方に目をやると、中を開いた。
え……。
至るページに由希の写真が貼りつけられている。どこかの遊園地、海、山、二人だけで、かどうかは知らないが彼女と色々なところに遊びに行った記録がそこには溢れていた。
「……」
なんとなく心が痛んだ。自分が知らないうちにここまで彼女の人生に関わっていたという現実に重責と怯懦の念が浮かぶ。
ほんとにこの人と、恋人やってたんだ……。
写真に写る由希の笑顔が妙に眩しい。ファイルを閉じて、二階に向かった。
そういえばあの部屋は……。
二階の奥にある部屋が気になり、近づく。多少のためらいはあったが、思い切って開いてみた。
「なんだこれ……」
そこは、なにかの製図室のように見えた。見たことのない計算機ややたら長い定規、建物の模型が置かれている。おそらく、由希の父親の書斎と推察する。
北海道で猟師をやってるって聞いたけど、これは一体……。
額縁にはなにかの資格証明書や表彰状が飾られている。
「新村建設……」
そう書かれている。
その時、インターフォンが鳴った。件の来客だろう。
……どう対応するか……。まあ、あの人の友達だし。でも俺に用ってなんだろ……?
表情を整えて、一階に向かった。
「きゃー、明梨ちゃーん元気にしてまちたかー」
露骨な作り声が階下から聞こえる。ややためらったが降りていくことにした。
「ああ、修二さん。楓ちゃんが……」
「……こんにちは」
とりあえず礼をする。
「あら、こんにちは」
女性の目が、少し鋭さを増したように形を変えた。
「……俺、出かけて来ますんで、ごゆっくり」
「待ちなさい」
ピシャリとした声。
「はい?」
「どうしたのかしら? なにか不自然ね」
探るような声音、この来客はなにか自分に言いたいことがあってきたらしいことを先ほどの会話から思い出した。
「……なにかって、なにがです?」
「なんなのよ、さっきから……その口の聞き方は?」
なにか不調法でもあっただろうか。女性の声が怒気を帯びたように感じた。
「あ、あのね楓ちゃん、修二さんは今……」
「由希は黙って。……明梨ちゃん、ちょっと二階で遊んでてね」
明梨が頷くと、この女性にもらったものだろうかお菓子を持って、修二の脇を抜けて二階に行ってしまった。
「早馬くん、ちょっといいかしら?」
「はぁ……」
リビングに行くことになった。
「さっきうちの事務所で由希が働き口を探してることを聞いたわ」
「ああ、そうなんですか?」
由希を見る。困惑しているような様子。
「……? どういうこと、明梨ちゃんが小学校に入るまではあなたが一人で支えるんじゃなかったの?」
「なんで俺が……」
思わず口に出していた。
「あんた……! やっぱりそうなのね⁉」
「は、はい?」
楓なる女性がいきなり怒り出した。思わずのけぞった。
「愛情はもう冷めた⁉ 自分のお金を女房や子どもに使うのは惜しい⁉ ここは由希の家なのよ⁉ そこに住まわせてもらっていながら……!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて……」
女性が詰め寄ってくる。
「ぶっきらぼうでも由希の事だけは大事にしてくれると思っていたのに!」
「楓ちゃん!」
由希が外にまで聞こえるほどの大声で叫んだ。
「ご、ごめん由希……。でも私、どうしてもあなたのことが心配で……」
急に女性が萎れる。事情は全く呑み込めないがどうも、原因が自分にあるらしい、ことは修二も把握できた。
「由希さん、この方は一体……?」
女性が再びこちらに振り向く、訝しむような表情になると今度は眉をつり上げた。
階段からは小さな足音。母親の金切り声を聞いて明梨が降りてきたのだろう。
由希がこちらの顔を苦し気に窺う。今の状況を、この楓と言う人に話していいか、眼で訊ねているのだろう。嘆息すると同時に頷いた。
「楓ちゃん、聞いてくれる……?」
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