56話 ウイング 愛を叫べ

「アハハハッ! 遂に、遂にやりましたよ我が主! 我らベルゼリアンに刃向かい続けた逆賊、青龍を討ち取りました!」


 見上げれば蒼天、見下げれば大海。見渡す限り青しか無い空で、オキュペテが勝利の雄叫びを上げながら飛び回る。数々のベルゼリアンを倒し続け、いつにかベルゼリアンの宿敵と化した青龍を海の底に叩き込んだオキュペテは、自らが崇拝する主を心に思うのだった。




 一方島に残された愛は、海の方向をただじっと見つめていた。先ほどまでは波の音すらかき消すような戦闘の音に、荒れ狂う波が激戦を予想させていたのに対し、今は波も風も穏やかになっている。戦いの終わりを告げる静寂は不気味さを醸し出し、不安を掻き立てる。愛からは見えぬ大空に飛び去り、命を懸けて戦った二人、果たして勝者としてここに戻ってくるのはどちらなのか。


 止んだはずの風がもう一度愛の頬に触れた。海から来るその風はこの島に何者かを運んできたようで。


「……来る」


 水平線の向こうに見える人影は、空を飛んでこちらに向かってきている。青龍に空を飛ぶ能力がない事を、もちろん愛も知っていた。戦いに勝ち、戻ってきているのは……敵であるオキュペテだ。


「ホントは殺す必要なんてないのだけど……ここまで来て、デザートだけ食べ残すのも癪ってものよねぇ」


 舌なめずりをしながら近づいてくるオキュペテ、青龍を倒すという目的を果たした今、愛を狙う理由は

ただの余興に過ぎない。善悪の区別がまだついていない子供が無邪気さが有り余って虫を殺すかのように、人の命を脅かす。それがベルゼリアンなのだ。


「い、いや……逃げなきゃ……っ!」


 オキュペテがここに来たという事は、龍二が殺されたかもしれないという事。今度の戦いは、死ぬかもしれないと龍二に言われていたとはいえ、到底受け入れられない現実が愛の頭の中に入り込んでくる。余りにも残酷すぎるその事実に、悲しみで涙が溢れそうになるが、そうしている時間すら相手は与えてくれない。命を奪いに来る残虐な殺戮者から逃れようと、愛は島の中央にある木々の間に隠れようと走り出した。




 体の芯まで冷やす、つめたい感覚が龍二を覆っている。混濁する意識の中で、今までの戦いで火照った体を冷やされるのはとても心地よく、このまま目を閉じて深く、底まで沈んでしまいたくなるほど全てが浄化でもされるかのように気持ちが良い。


 戦いに敗れた龍二は体を動かす力もなく、ゆっくりと深い海の底に沈み続けていた。このままでは溺死は避けられないが、それすらも受け入れてしまいそうな脱力感。水面越しに見える日の光は次第に見えなくなっていき、視界が黒く染まっていった。


 閉じた瞼の裏に浮かんでくるのは今までの記憶。走馬灯など実在したのかと思いながらただ浮かんだ光景をぼんやりと眺める。


すべてが始まった地下研究所で襲われていた愛達を助けた事、皆で行った夏祭りに、緊張でしどろもどろだった初めてのデート……死に際すら頭の中が愛の事ばかりなのかと自分自身を笑いながら、やれることはやったのだと悔いがない事を納得しながら沈んでいく龍二。この世の全てに別れを告げ、静かに消えていくはず……だった。


 全てを覚悟した龍二の脳裏に浮かんだのは、またも愛の姿だった。またかと思いながら見てみると、そこに映った愛の顔は恐怖に引きつり、しきりに後ろを気にして追ってくる何者かから逃れようとしているようだった。今まで怖い目に合わせてしまったことは何度かあるも、これほどに苦しい表情の愛は見たことが無かった。走馬灯と言う物は今まであった事を映すのではないのか。


 逃げる愛は息を切らしながら逃げ場もない孤島で、何とか捕まる物かと懸命に走る。龍二にはこの景色には見覚えがあった。愛が逃げ回るこの島は、今まで二人で過ごしてきた無人島だ。そうであれば追手の正体も検討が付く。龍二を倒したオキュペテが、残った愛を喰らおうとしているのだ。ならば、今見ているのは死に際に見る走馬灯でも、趣味の悪い悪夢でもない。理屈はわからないが、今実際に起きている事実が今ここに映っているのだ!


 頭の中の霧が一瞬で晴れた。やれることはやったなどと甘えた事を考えていた自分が嫌になる。今まで何のために戦い続けていたのだ、その力を誰の為に使っていたのだ。その答えは一つしかない。全て愛の為だ。愛の命を、その笑顔を守るために今までやってきたはずだ。ならばまだ愛が苦しんで、恐怖に震えていると言うのに、満足して眠れるものか。


 たとえ無茶でも体を動かす。血反吐を吐こうとも、その身が砕け散ろうとも、好きな人の為に戦うと決めたのなら、無理を通してでも戦い抜くべきだ!


 体をもう一度動かして、上に行こうともがく。口の中に空気は残ってないし、そもそも暗くて今向かっているのが上なのかすらわからない。それでも愛が助けを待っているのだ、全てを出してやりきるしかない。


 そう決意した時、龍二の体に痺れが走る。口先から広がった痺れは、全身を駆け巡り、背中の辺りに集まって熱を生み出す。痺れから焼けつくような痛みに変わったそれを堪えていると、自身の体に異変が起き始めたことに龍二は気づいた。


 その痛みは何かを作り出している。鋭い牙に鱗、人とは既にかけ離れた姿をした青龍に、更に何かを授けようとしているのだ。絶望的な状況を気合だけで乗り切ろうとしていた龍二は、痛みが生み出す何かに全てを賭け、身を任す。なんでもいい、この状況をひっくり返せるような力を手に入れられるならば、それで!


 覚悟の直後に走った今までとは違う強烈な痛みと共に、龍二は生み出された『何か』を新たに作られた神経の感覚で理解した。それは、翼だ。絶望の淵で生み出された最後の小さな希望の翼。龍二はそれを海中で大きく羽ばたかせ、海上へ一気に浮上する。今までの不調が嘘の様に思えるほど全身に力が漲る。翼で生み出した風と推進力で海は二つに割れ、愛の待つ島までの道筋を作り出した。


「待っていろ愛、今助け出すッ!」


 その速度は音速を超えて、翼は一筋の光となり空を駆けた。最早龍を止められる者は誰も居ない。ただ愛の為に全ての力を振り絞る。




「鬼ごっこはそろそろ終わりにしましょう? 次はあなたが痛みに苦しむ姿を見たいの。四肢の何処からもぎ取ってほしい? 選択権はあなたにあげるわ」


「ふ、ふざけた事言わないでよ、鳥人間! アンタなんか手羽先にして食ってやるんだから!」


 無人島にある岩石海岸、岩に囲まれたこの場所で、逃げ場の無くなった愛がオキュペテと真正面から対峙する。


「へぇ、まだ強がるのね。でも、足が震えてるわよ? もしかしてそこから引きちぎってほしいのかしら?」


 絶体絶命の状況に置いて、未だに強がる愛。そしてその怯えを即座に見破るオキュペテ。即座には殺さずに苦しむ姿を楽しもうと、加虐の限りを尽くさんとするオキュペテの前で、心細いながらも愛は必死に恐怖に耐えていた。


「ふふふ……怖いのね、辛いのね。わかるわ、死ぬのなんて誰しも経験が無いんだもの。 でもあなたの男も先に地獄へ送り込んできたから安心して? 今頃死体が海の底で鮫の餌にでもなってるわよ」


「龍二君を……やったの!?」


 オキュペテがここに戻ってきた時点で、薄々はわかっていたことを、改めて突き付けられる。龍二は、この女に負けたのだ。もう愛の傍には戻ってこない。その重い現実が愛の心を苦しめる。


「見苦しかったわよ?みっともなく食らい付いて、弱いくせに往生際が悪いったらありゃしない。最後は惨めに溺れて死んだわ。お似合いの最後よねぇ?」


 愛の身も心も支えていた龍二が死んだことを煽るように愛に伝えるオキュペテ。逃げ回っている間は胸の奥にしまい込んでいた、龍二を失った悲しさが無理矢理引っ張り出される。この怪物は体だけではなく心までもを木っ端微塵に砕こうとしているのだ。


「許せない……必死で戦ってくれた龍二君を、そんな言い方!」


「馬鹿言いなさいな、戦いの場では結局生き残った方が正義。死んだ奴はゴミでしかないわ。それは、私の妹も同じ……」


「自分の妹にまで!」


「あんたもその仲間入りするのよ!」


 突如、轟音と共にオキュペテが愛に飛び掛かる。愛は咄嗟に目を閉じ、しゃがみ込んで防御態勢を取った。強力なベルゼリアンの攻撃に対しては何の意味もないものだが、反射的にせずにはいられなかったのだ。愛はその状態から全く動かない。動くことができない。恐怖で固まった体に、伝わってくるのは何かがぶつかり合う音。


 想定していた痛みは無く、自分の体が無事なのを感じると、ゆっくりと目を開ける。こんな経験が前にもあった気がした。たしか、青龍と初めて遭遇した時の……


「龍二君!」


 目を開けた愛の前に居たのは、翼の生えた青龍。空を飛んで向かってきていた龍二が、オキュペテの攻撃を寸前の所で防いだのだ。


「助けに来た、愛。怪我は無いか?」


 表情が分かり辛い青龍の顔からでもにじみ出る様な優しさの笑顔で、そっと愛に問いかける龍二。その顔には最早今までの苦悩した表情は無く、覚悟があるのみ。


「うん、大丈夫。やっぱり龍二君は、ピンチに駆けつけてくれるヒーローだ!」


 龍二の笑顔に愛も同じくとびっきりの笑顔で答える。思い人の帰還を心の底から喜びながら。


「死にぞこないが……これじゃ主に報告ができないじゃないの……!」


 一度は首を取ったと思っていた龍二が生きていたことに苛立ちが隠せないオキュペテ。加虐を楽しむ余裕の表情は消え、戦いの顔に変わっていく。


「悪いが、愛の危機の前に寝ている訳にはいかなくてな、それに……」


 戦闘態勢を取ったオキュペテに答えるように、龍二も構えを取る。そして、新たに生み出した武器は、翼による空中戦闘を考慮した、様々な角度に対応できる剣。柄の両端に刃が付いている両剣を生み出した。両手でそれを振り回し、大きく啖呵を切る。


「俺はまだ、愛していると言ってくれた愛に返事をしちゃいない!」


「ほざけぇぇぇ!!」


 先に仕掛けてきたのはオキュペテだ。足先に生えた巨大な爪を突き刺すために超高速で飛び、キックを仕掛けてくる。しかしその攻撃は今の龍二に通用しない。両剣で軽く蹴りを弾き飛ばすと、体勢を立て直そうと上空に飛んだオキュペテに追撃を仕掛ける。


「これが俺の新たな力だ! お前にはもう負けはしない!」


「新たな力……? 飛べるようになっただけじゃまだ同じ土俵に立っただけに過ぎないのよ! 私は主への愛の為に戦っている、負けることは許されない!」


「貴様が誰の為に戦っていようと、俺の愛を愛する気持ちには勝てはしないッ!」


 体勢を崩した相手に追撃をすれば勝利は目前だと思っていた龍二だが、そう甘くはない。空中戦には慣れているオキュペテは、空中でクルリと一回転するとしなやかな身のこなしで体勢を立て直し、龍二の剣を爪で受け止める。剣と爪、互いの武器をぶつけあう両者だが、最早龍二にとってオキュペテは眼中にない。


「終わりだ、鳥人間! 俺は皆の待つ場所へ、愛と共に帰るんだぁぁッ!」


 ぶつかり合っていた爪を剣で弾く。すかさずオキュペテはもう一方の足で攻撃を仕掛けてくるが、龍二も両剣の特性を活かし、もう一端にある刃でその攻撃を防ぎ、羽根を羽ばたかせ強風を起こす。相手を吹き飛ばし、トドメの一撃を放つための距離を取った。


 口の前に構えられた龍二の両手の中に、蒼い炎が貯められていく。圧縮された炎は全てを焼き尽くす火の玉となり、必殺技がその手から放たれる!


「ドラゴニックレック――ッ!」


 龍二の手から離れた火の玉は、まっすぐオキュペテに目掛けて飛んでいく。翼でカーテンのように壁を作り防ごうとするが、極限まで圧縮された火球は翼を貫き、オキュペテの心臓を貫いた。


「う、嘘……私が……負ける、なんて……」


 飛ぶことができなくなったオキュペテは、地面に向かって真っ逆さまに墜落していく。そのまま地面に激突し、目から光が失われて、もう動くことは無かった。


「やった……龍二君が勝ったんだーっ!」


 地上から戦いの様子を見ていた愛が、上空に佇む龍二に手を振る。それに気づいた龍二はゆっくりと地上に降り、愛の傍に近寄った。


「愛、すまなかったな。また怖い思いをさせてしまった」


「大丈夫! ヒーローとしてはタイミングばっちりだったし!」


「いや、だから俺はヒーローなどでは……」


 幾度目かも忘れた、同じやり取りを交わす二人。龍二は頭を掻きながら恥ずかしそうに答える。しかし、この恥ずかしさなどこれからの事に比べれば序の口なことを彼はまだ知らない。


「そんな事より聞きたいのは返事だよ、お・へ・ん・じ!」


「あ、ああ……」


 愛の待つ返事に龍二は覚えが一つ。戦いの直前に勢いで切ってしまった啖呵の事だろう。龍二は今この場で、愛しているの返事をしなくてはならなくなった。


 意識した瞬間に戦いの最中とは比にならないほどに鼓動が高鳴る。面と向かって好意を伝えるのがこれほどに難しいとは龍二は思ってもいなかった。しかし、ここまできたのならと覚悟を決め、青龍の姿から人の姿に変わると、まっすぐと愛の瞳を見つめて口を開く。


「愛、俺は……君と出会い、君に心を救われた。その恩を返すために君と、その周りの人々を守るために戦ってきた。でもそんなことはもう綺麗事だ。俺は君に心を惹かれている。君の笑顔を守るだけじゃない、俺の物にしたいんだ、俺も君を愛している!」


 今まで言えなかった素直な気持ちを思い切りぶつける。まじまじと見つめてくる龍二に対し、愛は言わせた側なのに恥ずかしくなってしまっていた。それでも愛はその気持ちをしっかりと受け止める。


「もう、普段は恥ずかしがるのに、こういう時だけど直球なんだから……笑顔だけなんかじゃなくて、私の全部あなたの物。その代わり、あなたの全部私の物ね!」


 恥ずかしさを振り切って、愛の顔に浮かぶのは満面の笑顔。この顔を見ると龍二は戦いが終わり、いつもの日常に戻れると心が安らぐのだ。


「……ありがとう。さぁ、豊金に帰ろう。皆が待っている」


 そういって龍二はそっと愛を抱きしめる。離さないようしっかりと抱きしめ、再び大きな翼が生えた青龍に姿を変える。


「うん、帰ろう! 私たちの街に!」


 翼を広げ大空へ飛んでいく青龍。帰るべき場所に帰るために、愛しき人を抱え空を駆ける。

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