第九章 哀れな生き物

再会

 捻りがなかろうが、面白みがなかろうが、情報収集のためにまず向かうのは酒場だ。人は酒精が入ると大なり小なり迂闊になって、思いもよらないことを口を滑らせて教えてくれる。賭け事もあると、興奮のあまりたがが外れやすくなるので、なお良い。レンは未成年なのでなかなか仲間に入れさせてもらえないのだが、一度入り込むことができると、多くは友だちであるかのように喋ってくれるので、それはもういろいろと聞き出すことができる。

 ただ、ラスティを連れてくれば良かった、とレンは後した。技術がないレンが賭け事に興じても、金銭的な利がないのだ。投資と割り切って臨んだとはいえ、少なくなった財布の中身に溜め息は禁じ得ない。

 少し冷静になろう、と一度賭博で盛り上がっているテーブルから身を引いた。熱気でくらくらする店内を歩き、途中で給仕を捕まえて、果汁飲料を頼む。空いているテーブルに着くと、黒っぽい液体がすぐに届けられた。酸味の強い果汁に顔を顰めつつ、ここまで仕入れた話を整理した。

 アリシエウスの民衆は、今のところ以前とほとんど変わらぬ生活をしていること。ただし、今はもっぱらクレール侵攻時の後始末に追われてはいるようだ。クレールの役人が街を回るようになってきたのが気になるようだが、少なくとも今は不自由はしていないらしい。

 クレールの兵が、城下に少しずつ増え始めていること。東に戦を仕掛けるためだ、と考えられている。リヴィアデールが対クレールのために〈木の塔トゥール・ダルブル〉から戦力を引っ張り出そうとしていたあたり、その推測は当たりだろう。

 だが、レンにとって肝心なことは、何も分かっていなかった。

 ラスティには少し悪いが、レンはアリシエウスの国情にはあまり興味がない。気にしているのは、合成獣キメラのことだ。

 今回の戦で合成獣の噂があった、と魔族の集落でアーヴェントが言っていた。アリシエウスとクレール、どちらが関係していたにしても、何かしらの情報が得られないか、とこうして街に出たのだが……今のところそれらしき話は拾えていない。あの鴉人間の流言デマだったのではないか、とさえ思えてくる。

 クレールが禁書を求めていたことからしても、あの泥棒コンビがクレールに逃げたことからしても、クレールがアリシエウス侵攻に使ったのではないかと思ったのだけれども。

 ――いや、それだと時系列がちょっとおかしいか。

 フォンとカルがクレールに逃げたのは、アリシエウス侵攻が始まったのとほぼ同じ頃。仮に直後にクレールが〈手記〉を手に入れたとしても、そんなにすぐに合成獣が作れるはずがない。

 ――やっぱり、合成獣の話のほうが嘘……。

 どうしたものか、と果汁を口にする。酸っぱくて甘い物は、頭の働きが良くなるような気がする。それで何か閃けば良いのだが。

 アリシアの剣を手に入れられなかったレンの今の目的は、合成獣が作られるのを阻止することだ。ラスティのことも気になりはするが、それだけで自分のしたいことを先延ばしにするほど、レンはお人好しではない。神剣を持つ彼の傍にいるのが都合が良いのは、否定しないが。

 空になったグラスを置いて、溜め息を吐く。また一人客が店に入ってきたようで、視界の端で扉が開いた。なんとなく入口のほうに目をやって、瞠目した。

「アーヴェント!?」

 思わず立ち上がる。店内の人間が何人かこちらに注目するが、レンは恥ずかしがるどころではなかった。黒に近い赤色の髪と瞳。そんな珍しい特徴を持つ者は、レンの知るところでは他にいない。

「おお、奇遇だな」

 奇遇どころの話ではない。シャナイゼとアリシエウスは、そんな偶然が簡単に起こる距離ではない。

 しかしアーヴェントは、そんなことを気にした様子もなく、当然のように彼の隣の席へと腰掛けて、給仕に料理を頼んだ。服装はそこらの町民と変わりないが、その背には彼の一番の特徴と言える黒い翼がなかった。シャナイゼの酒場でもそうだが、どうやってあの大きなものを隠しているのだろうか。

「あなた、いったいどうして……」

 ようやく声を出せたところで、早くも寛ぎだしたアーヴェントはレンを見上げた。

「とりあえず座っちゃどうだ?」

 言われるがままにレンは腰を下ろした。ひとつ呼吸を置いたところで、堪らず身を乗り出した。

「どうしてここにいるんですか?」

 東の果てにいると思っていた男が、こんな西のほうに現れて、レンは驚きを禁じ得ない。旅程やアリシエウスの滞在時間を考えると、アーヴェントがあちらを旅立ったのは、レンたちとほぼ同じ頃だろう。森の集落で別れてからの短期間で、いったい何があったのか。

「前に合成獣の噂があったって言ったろ? それを確かめに来たんだよ」

 それは奇しくもレンと同じ動機だった。

「シャナイゼから、ここまで?」

「わざわざ足を延ばしてきたってわけ。意外?」

 意外だ。だって、魔族の集落の長である彼は、シャナイゼの地域を離れないと思っていたから。アーヴェントを除く集落の魔族たちは、人間に慣れていない様子だった。グラムたちも頼れない今、彼らを置いて遠くへ出掛けるのは躊躇われるように思えるのだが。

「魔物が多いという点を除けば、シャナイゼは平和なんだ。人間はもちろん、俺たち魔族にとってもな」

 確かに、シャナイゼの西にある沙漠は、南北に長く伸びて容易に人を寄せ付けない。北は山脈が聳え、南の道は狭く、東には人は住まない。ここらのように戦の心配はなさそうだ。

「だから、噂を確かめに来た。本当なら止めなきゃいけないし、助けられる奴は助けないとな」

「……助ける」

 アーヴェントと同じように噂を確かめようとしていたレンには、ない発想だった。忌まわしき所業を止めることだけを考えていた。手遅れのものたちは……手に掛けるつもりでいた。

「だけど、はじめて来た場所だからな。見当がつかなくて」

 アーヴェントも、ここ数日近辺で合成獣の情報を仕入れようとしていたらしい。しかし、思うようにはいかなかったようだ。テーブルの上で肘をつく様から、疲労しているのが見て取れた。

「……僕もです」

 レンは行動したばかりだが、手応えのなさに落ち込みかけていたのは確かだった。

 ふと、アーヴェントが含むように笑いながら、こちらを見ていることに気付く。

「確かめてたんだ? 噂」

 レンの顔が熱くなった。頭の中が煮え滾っているかのように、思考がどろどろになる。

「……別に、僕はっ!」

 ――お前らみたいなのが、存在して良いはずないだろ!

 憎悪を叩きつけたときのことを、レンは忘れていない。不特定多数にとって自分勝手で理不尽な憎悪であると知っても、レン自身に大きな変化はなかった。合成獣なんて、魔物なんて、居て良い存在ではない。

 そうだ。自分は、アーヴェントのように、被害者を助けるために動いていたわけではない。すべて自分勝手な想いエゴイズムによる。だから、アーヴェントと同列には――

 何か明確な理由があるわけではないが、レンの葛藤はそこで途切れた。顔を上げ、酒場の入口のほうに目を向ける。外が騒がしいような気がして。

 酒場の中も賑わっているのだ。気の所為だと思いつつ、意識をそちらに向けていると、助けを求める声が聞こえたような気がした。

 腰を浮かせたレンの前で、同じものを聞いたのか、アーヴェントが颯爽と駆け出した。レンもあとに続く。

 扉を開けて望んだ通り。曇り空を割って薄日が差し込んだ往来の多い道の真ん中で、誰かが地面に這いつくばって叫んでいた。若い男だ。半狂乱で「助けて」と喚き散らして。通りすがりの人たちは、薄気味悪そうな様子で彼を遠巻きに眺めている。

「助けて! なんでも言う、なんでもする! だから――」

 よほどのことがあったのか、彼の呂律は上手く回っていなかった。同情や心配よりも恐怖を抱かせる剣幕の男を、レンは眉を顰めて観察した。顔を視認すると、背中に手を回す。今日はなんとなくハルベルトを持ってきていた。柄を掴み、背中から引き抜きながら、男に歩み寄る。そして斧頭を、這いずって進もうと足掻く男の、ベタベタに汚れた金髪の隣に振り下ろした。

 割れる石畳。反射的に仰け反り、目玉が落ちそうなほどに目を見開いた男の喉から、笛のような高い音が鳴る。

「おいおいおいおい!」

 アーヴェントが何やら慌てているが、無視。

「なんでここにいるんだ、お前」

 尻もちをつき、レンから逃げるように後退していた男が顔を上げる。ルクトールで魔術書を押し付けてレンたちを囮にした忌々しい男の顔が目に入り、レンは不快感を催した。

「……あ、赤眼あかめ……?」

 底意地の悪いニヤけた顔が、純粋な驚愕の色に染まる。己の所業を忘れたフォンの呑気さに腹が立ち、レンはハルベルトを持ち上げて、穂先をフォンの喉元に突きつけた。

「おいこら少年!」

 こちらを叱るアーヴェントに、レンはようやく顔を向けた。

「こいつですよ、〈手記〉泥棒」

「何?」

 足を止め、眉を顰めてフォンを見る。レンたちの短いやりとりに何を感じたのか、フォンは手足をジタバタさせた。

「ま、待ってくれっ!」

 片方の掌をレンに突きつける。神経を相当すり減らしているらしく、彼の叫びはもはや悲鳴の如く高く上擦っていた。

「許してくれっ! 反省してる、あんなものに手を出すんじゃなかった。罰でも何でも受けるから、とにかく助けてくれ! 殺される!」

「殺される……?」

「どういうことだ」

 あまりの慌てぶりに、殺意を収めてレンは訝しんだ。喉元に突きつけていたハルベルトを下ろしたが、それでもフォンの動揺は収まらない。

「話す! 話すから、とにかく――」

 ふとレンは、違和感に気付いた。辺りを見回して彼が一人であることを確認し、尋ねる。

「……カルは、どうしたんです?」

 無口な、だが同じく性根も腐ったフォンの相棒の姿が、見当たらない。

「捕まった。助けようとしたんだ! どうにか檻を開けて……でも、あいつ、俺に襲いかかってきて!」

 仲間割れか。レンは呆れた。

「何したんですか」

「何もしてねぇよぉ!」

 絞り出すような切実な声。レンは眉を顰めた。何だか予想と違う。

「してねぇんだ! そんな暇なかった! 俺とあいつ、別々の檻に入れられて……だから、逃げ出したときに、ついでに助けてやろうとしたのに、あいつ……化け物みたいに、俺に!」

「化け物?」

 レンは顔を上げ、アーヴェントと顔を見合わせた。まだ明確に言葉にできない予感が、胸中を曇らせる。

 温く湿気を帯びた風が、今になって妙に気になった。

「俺に、魔物をけしかけてきて!」

 晴れ空に急に雷が落ちたような、そんな衝撃がレンの中に走る。まさか、としか言葉は浮かばないが、求めつつ恐れていた噂が、真実に限りなく近いものであったと確信した。

 アリシエウスは、合成獣と関係がある。

 正解に辿り着いたレンたちを祝福でもしようというのか。城壁に囲まれた安全な街中で、獣の唸り声がした。

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