第40話 殺戮の理由

 離れすぎず追いつかれることもなくヒメカを森の奥へ奥へと誘い出す。

 迫りくる黒い炎を回避するのは、かなり困難だったが、今の俺には不可能ではない。

 闇の炎は魔法とは違う気がする。魔法が向かってくれば、魔力を感じ取れるのだが、まるで元の世界に居た時の魔力を知らなかった頃のようにアレはただの炎でしかない。

 炎が突然現れて、音もなく熱もなく近づいてくる。恐怖でしかないのだが、まだ黒い炎は軌跡を残しながら接近するので目で見てから避けることもできる。なら、普通に炎を避けるようにして、向かってきたのを左右に逃げるようにするしかないのだ。


 今はあの黒い炎よりもヒメカの手に入れた”消滅”の魔法が大きな課題だ。

 頭の中のジルドルの知識が告げている、魔法陣も無しに空間を消滅させる魔法なんて既に魔法の域を超えてしまっているのだと。

 岩山を登る時に二度三度だけ足を止めた。その時、ヒメカは足を止めた場所を消滅させてきた。どれも間一髪で避けることに成功したが、考えられるのはあの消滅の魔法とやらは足を止めないと使えない魔法らしい。

 だからといって足を止めて使うことは弱点ではない、単なる条件だ。魔法の撃ちあいになった時に例の黒い炎の力と消滅の魔法を相手にしながら戦うのは、悔しいが結果の見えている戦いだ。接近して戦うにしても、今のヒメカは未知数が多すぎる。


 そうこうしている内に、俺はとある洞窟に飛び込んだ。


 「はっ――! お兄ちゃんてば、暗闇なら私を倒せると思ったの! おかしくておかしくて、お腹が痛くなってきちゃう! きゃははははっ!」


 言葉とは裏腹に声は全く笑っていない声色のヒメカも俺に誘われるがままに洞窟に飛び込んできたようだ。

 正直、これは賭けだった。洞窟内に逃げ込んだ俺にヒメカが洞窟の内部まで攻撃できるような魔法を使われてしまえば、手も足もでないまま生き埋めになっていたことだろう。

 幸いにもそれをしてこなかったということは、ヒメカとしても俺を目の前で殺したいという欲求に忠実なだけだったらしい。もしも最初に復讐心を抱えていた俺のままなら、おそらくヒメカと同じく目の前で殺す道を選ぶだろう。

 感情のままで戦っているなら、まだチャンスはある。


 「来い、来い、来い、来い……俺はここにいる! ヒメカ、お前とはこの洞窟の奥で決着だ!」


 「きゃはははっ! いいよ、逃げ場を失ったお兄ちゃんがどうするか見届けてあげるよ! 燃えるお兄ちゃんを焚火代わりに、この洞窟を照らしてあげる! これって、萌えるぅって言うよね!?」


 俺とヒメカの声は洞窟内が喉のようにはっきりと響き耳に届く。そして、あえて大きな声で場所を伝えてヒメカを真っすぐに洞窟の奥までおびき寄せる。

 洞窟の奥に到着した俺は、突き出した結晶の一つに触れた。


 「きゃははは! 待ってよ、おにぃ――……なにここ?」


 最奥に到達したヒメカは顔をしかめた。今は、彼女の顔がはっきりと見える。

 ヒメカを誘い出した洞窟とは、トマスに案内してもらい連れてきてもらった大量のマナジストの結晶に囲まれた洞窟だった。

 開けた空間はライトブルーに照らされ、さすがのヒメカも初めて目にする光景なのか訝しそうに周囲を見回している。


 「ここが、俺とヒメカの決着をつける場所だ」


 「てっきり、魔族の観光地にでも案内されたかと思ったよ。こんなにも綺麗な場所知っているなんて、デートスポットにメモしておこうかな~」


 おどけて言うヒメカだが、すぐに攻撃をしないところを見ると何か感じ取っているのかもしれない。

 ヒメカの心配は正解だが、ここにやってきた時点で俺はヒメカに負けることはなくなった。


 「この世界の人達を殺すことしか知らないようだから、教えてやるよ。この結晶はマナジストて言ってな、強い魔力を秘めている。生活に便利な道具に形を変えたり……兵器に利用されることもある。――爆薬代わりに使われたりな」


 発言の意味にヒメカはすぐに気づいたようで、ここで初めて俺から後ずさった。


 「ああそう、そういうことなの……便利な物みたいだけど、お兄ちゃんからしたら私をたくさんの爆弾の中に閉じ込めたってことだね! でも、そんなことをしたらお兄ちゃんだってただでは――」


 ヒメカ、お前にもまだ最低限の死生観があったんだな。そして、断言した。


 「――構わない。お前を止められるなら、この命はもういらない」


 「ぐ……お兄ちゃん……」


 顔をしかめたヒメカが忌々しそうに舌打ちをした。このヒメカの表情を見れただけでも、一矢報いることができたということなのだろう。

 もう一度結晶に触れれば、ライトブルーは強い青色に濃度を変える。良かった、どうやら俺の気持ちは落ち着いているようだ。

 おもむろに俺は仮面を外した。


 「なあ、ヒメカ……少し話をしないか?」


 「はあ!? 何を言ってんの! 前に戦った時みたいなギラギラしたお兄ちゃんはどうしたの!? 本当に意味が分からないよっ! 一人だけ悟ったような顔しちゃってさ! そもそも、お兄ちゃんと私は同じような生き物なんじゃないの!? 殺すことを怯えながらも殺すことを求めていたのはお兄ちゃんじゃなかった!?」


 「あえてその言葉は否定しないよ。よく聞いてくれ……俺達の魔力はルキフィアロードの魔導書から力を受けている。ここのマナジストを全て爆発させたら、さすがの俺達も生きてはいないだろうよ。……どうせ俺もヒメカも死ぬなら、最後に話ぐらいしてもいいだろ?」


 そう告げる俺は全身に満ちていた肉体強化の魔法を解除していた。ヒメカにも、俺が戦うつもりが無いことを分かったのか、渋々だが頷いた。


 「いいよ、でもお喋り後悔しないでね。後で先生もやってくるんだから、そうなったらお兄ちゃんが自爆してもどうしようもないよ」


 「……分かった」


 先生とやらの生存に少し気落ちするが、今はこの機会を失いたくはない。


 「……じゃあ、話をしよう。少し座れよ」


 警戒心なんて微塵も感じさせない様子で洞窟の壁を背に腰かける。

 敵意を隠さないヒメカは促されて座ることなく、腕を組んで壁にもたれかかった。

 これでいい、少なくとも戦わなくても良くなったのだから。


 「……で、わざわざ話をしたいて言ったからには、何か言いたいことがあるんだよね?」


 ぶっきらぼうな言い方に、昔喧嘩した時のことを思い出して苦笑する。


 「なに……。人を馬鹿にするつもりでこんな真似したなら、話なんてするつもりはないよ」


 「悪かった。つい懐かしい気持ちになってな。実は、どうしてヒメカが両親を殺してまでこの世界に来たのか、ずっと考えていた……」


 「あらそう、お兄ちゃんには答えは分かった?」


 こちらの感情を煽るようなヒメカの言い方に、今の俺は怒りすら感じない。むしろ、彼女にとっては当然の権利なのだ。


 「普通に聞いても、どうせはぐらかすんだろ。なら、俺は俺の考えた通りの意見を言わせてもらう」


 「ふーん……。お兄ちゃんがどこまで考えたのか見ものだね」


 目を閉じれば、ランドセルから通学用の鞄が似合うようになってきた頃のヒメカの姿が浮かぶ。


 「ヒメカ、中学の時にいじめを受けていたよな……?」


 僅かにヒメカの眉がぴくりと動いた気がした。だが、ヒメカは冷静を装うように目線だけは遠くを捉えている。

 離し終わった時にはどうなっているのか分からないまま、俺はヒメカに話を続けた。


 「あの時、俺はそれに気づいていながら助けてやれなかった。だって、その時の俺とお前は仲が悪かった。志望校に落ちた俺は両親にもヒメカにも八つ当たりをして、滑り止めの学校に上がっても周りを馬鹿にして過ごしていたせいで友達らしい友達も居なかった。……今さらだけど、あの時の俺は本当に子供だった。もっと真っすぐに他人と関わっていたら、まだ俺も家族も笑顔の多い日々を送れたのかもしれない……僅かでも変わることができていたら、こんな未来待っていなかったのかもしれなかったのに……分かっているよ、全てが……かもしれない、もしもの話だってことは……」


 今思い返しても、あの時の俺は情けなかった。

 人付き合いが苦手で勉強ばかりしていた俺にとって唯一の目標や夢というものの一つが高校受験だった。自分が望んだ高校に入学できれば、気の合う者同士きっと楽しい毎日が待っていると思っていた。今の場所は自分の場所ではない、そんな風に考えて逃げ出すための一歩だったはずのそこから無様に転がり落ちたのだ。

 そして、全てを周囲のせいにして、全てに罵声を浴びせた。両親やヒメカ以外にも傷つけた人も居たのだろう。

 両親を親じゃないと罵り、妹も妹じゃないと罵った。

 よくよく考えたら、俺には最初からヒメカを糾弾する資格は何一つ無いのかもしれないという考えに至った。


 ヒメカの何倍も両親には死にも等しい辛い言葉をぶつけてきたのは俺だし、俺が妹に向かって口にした数々の暴言は生きることを否定していた。

 家に居ても苦しく辛く、学校ではいじめを受けたヒメカの精神が崩れていくのは想像が難くない。

 閉じた瞼を開ける。――顔の前にヒメカが居た。それこそ、鼻先が触れてしまいそうなほど近くに。


 「ヒメ――」


 「――今さら遅いんだよっ!」


 魔力も何も宿っていないただの右ストレートが俺の顔面に直撃した。

 横たわる俺にヒメカは馬乗りなると拳を振り上げて、二発、三発と鼻血を流す俺の顔面を殴りつけた。


 「ずっと、ずっと、ずっと! 助けてほしいて言っていた! 何度も叫んでいた! 苦しいよ! 辛いよってさ! でも、お父さんもお母さんもお兄ちゃんのことばかり! 気付いていなかったの、お兄ちゃん! 二人が甘やかしていたから、お兄ちゃんは存分に腐ることもできたんだ! ねえ、聞いてくれる? 私はね、ボロボロになった勉強道具に靴も盗まれて服も破かれて家に帰った! 傷ついて汚れた私をお兄ちゃんは酷い言葉で罵った! 助けてくれそうな二人は、いつもいつもお兄ちゃんのことばかり! ああそうだよね、お兄ちゃんは腐っても頭は良かった勉強はできた! ずっと、劣等感を感じていたんだよ! 嫉妬し、嫌悪し、憎悪していた! お兄ちゃんには、助けてほしいと訴え続けた私の気持ちが分かる!? 救ってもらう方法すらも教えてもらえなかった私の心はどこにいったの!?」


 言葉の間もずっとヒメカは俺を殴り続けた。この世界に来て、何度も傷ついてきた俺だったが、今日受けた拳が他の何よりも痛かった。

 自然と涙がでてきていた、ふと、涙の滴が自分だけではないと気づく。

 ヒメカも泣いていた。ありのままの感情をぶつけながら、強く強く泣いていた。

 何度か失敗しながら、ようやくヒメカの拳を受け止めた。彼女の拳は俺の血で染まっていた。


 「なに……お兄ちゃん……」


 肩で息をするヒメカに、切れた唇の痛みに耐えながら語り掛ける。


 「ごめんな、ヒメカ……本当にごめん……。昔は、二人で仲良くしていたよな。約束していた遊園地に行こうて言ってたの、何年前だっけかな……。元の世界に二人で帰って、遊園地行こうぜ……いじめっ子達にだって……一緒に立ち向かってやるから、さ……。思い出していた……ずっと……森の中を何日も彷徨っている内に……本当に悪いのは俺だったんだよな……。でも、もう……安心してくれ……俺は二度とヒメカを一人になんてさせないから……」


 「うぅ――ああぁぁぁ――!」


 ようやく受け止めていた俺の手をヒメカは払いのけると、力いっぱい振り上げた拳で俺の顔面に叩き付けた。

 拳が眼前まで迫ってくるその刹那――大量の涙を流しているにも関わらず、少しだけ嬉しそうに口角を上げたヒメカの姿が映った。


 ――そして、俺の意識は闇に落ちていった。

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