第35話 魔を壊す魔

 交渉をするのに必要になるマナジストや金品を持ってトマスが村を出発して一週間が経過していた。

 兵士達は日に日に村に近づいてきている。本来ならまともな魔力を持たない人間達が森に侵入する場合、魔力に惑わされて村に近づくことは不可能だ。勘の鋭い人間が居たとしても、せいぜい入り口に戻れるぐらいだろう。

 そのはずだが、兵士達は地図でも持っているかのように一直線に進んできている。

 村人は口にしないように努めているが、部屋の隅の埃のように不安は積み重なっていた。

 張りつめたような空気の中の村をジルドルは見て回り、一週間前よりも緊張感のぐっと高まった村長の家に集まっていた。


 「帰ってきたかい、ジルドル」


 「はい、ただいま戻ってまいりました」


 簡単な挨拶を済ませれば、村長の周囲にはいずれも深刻そうな表情の男達が数名居た。きっと、自分も似たような顔をしているのだろうとジルドルは思った。


 「奴らをを監視していましたが、完全に魔物を飼い犬のように操っております。私達が設置した罠を魔物達はすぐに察知して兵士達に報告し解除した後、罠の残り香すら手掛かりにして臭いを嗅ぐようにこの村に歩みを進めています。ただの魔物ではないでしょう、既に魔獣と呼んでもいいかもしれません」


 現在の兵士達の居場所把握していた。兵士達の場所から村までは道順さえ知っていれば、一日もあれば到着するような距離だ。兵士と村までの距離が近すぎて、逃げ出すこともこちらから攻撃に出ることもできやしない。

 定期連絡では誰もが似たり寄ったりの報告になるのか落胆はしていても、驚きはなさそうだ。

 おもむろにタニアが口を開く。


 「……ところで、客人はどうなっておる?」


 ここ一週間で変化がない出来事が一つだけある。


 「タスクは――」


                  ※


 「うあああああぁぁぁぁぁ――!!!」


 眠りかけたところで両手足を引きちぎられそうな痛みに目を覚ました。

 あれからずっとこの激痛に耐えながら、俺は魔導具を作り上げようとしている。

 夜が明ける頃、一回だけジルドルが様子を窺いに来る。まともに会話なんてできずに立ち去ってくが、ジルドルの顔を見たことで生きて一日を終えることができたのだという実感が出るのも事実だ。


 周囲の木々は竜巻でも通り過ぎたかのように薙ぎ倒され、大地は巨大なスコップで掘り返されたように抉られていた。魔力による暴走のせいで下手に植物に触れてしまえば燃やすか命を吸収してしまうこともあり、これが村のみんなや人間だと思うとぞっとしてしまう。


 何故、一週間も飲まず食わずでいられたのかというと、大気中の魔力が勝手に吸収され、力尽き気絶しても自然回復した魔力で覚醒し、そして、また気絶をするというのを繰り返している。昔、戦争映画で見た水に顔を押し付けて目覚めさせる拷問のシーンをつい思い出してしまう。

 今では気絶する瞬間だけが、本気で体を休めることができるという錯覚に陥っている。


 ――来た。

 再び魔力が内側から溢れ出ようとする。前進の血液が沸騰し、自分がミンチになってしまうようなおかしな妄想。今度こそはと魔力を捻り出そうとすれば、発動しようとした魔力は暴走して地表を破壊する。

 いつ終わるか分からない拷問を受けているような気分に陥りながら、さらに強烈な魔力の波動と共に咆哮した。

 こんな有様で、本当に大切な人達を守ることができるのか。

 こんな無様な状態で、自分の力をコントロールすることなんてできるのか。

 ああそうこうしていると、また――。


 ――来た。



                 ※



 ジルドルは今朝見て来たばかりのタスクのことを説明し終えた。

 タニアは杖を握る二本の手とは別の二本の手で頭を抱えた。


 「客人は……恐ろしいほどの魔力を秘めてはおるが、このままでは間に合わんのう。いざ素材が出てきたとしても魔導具の形にするまでには時間が足らん」


 「ただ、あそこまでの拒否反応は初めてです。もしかしたら、タスクは体内で魔導具を形成しているのかもしれませんね」


 普通の魔族なら魔導具の素材を生み出すとしても、半日も痛みに耐えれば出て来るものだ。魔導具を体内で生成しているとなると、痛みも時間も想像を超えてくることだろう。

 事実、タニアも体内で魔導具を生み出した生き証人なのだが、その時も三日三晩苦しんだと耳にしている。


 「何もかも例外で、奴は異質だからのう。……どうなるかわしにも想像できんな……」


 「……しかし、タスクは信用できる男だと思います」


 「ほう、その根拠は?」


 「タスクは魔力に振り回されながらも、俺が来ると心配かけまいと笑おうとするのです。それはどこからどう見ても笑顔には見えず、俺から見ても恐怖に引きつった男の顔でしかない。……タスクは、俺達魔族のことを同じ仲間として守るものとして見ているのだと思うんです」


 膨大過ぎる魔力に精神を蝕まれているタスクが気遣いをみえるその姿に、ジルドルはタスクの本質を目撃した気がしていた。

 トマスがタスクに村の秘密を打ち明けたのは、単なる直感だったのかもしれないが紛れもなく彼を仲間にしたのは正しい選択だったと今のジルドルは胸を張って言えた。

 その時、村中に雷が落ちたような音が響き渡った。


 「な、なんじゃ――」


 手にした杖を落っことしそうになりながらタニアは声を荒げた。

 その場に居た他の者達がタニアの声に応じようとする前に、何かを察知したタニアは表情を引き締めて言葉を続けた。


 「――急げ、村の結界が破られそうじゃ」


            ※


 村の外では、既に惨状が広がっていた。

 村の結界を破ろうとする魔物を止める為に監視していた者や戦士達が挑んだが、準備の出来ていないままに詠唱もせずに放った魔法はただ目の前にある障害を喰らう為のケダモノには通用することはなかった。

 僅か数秒の時間稼ぎしかできないまま結界を守ろうとした魔族の男達は噛み砕かれて潰された。


 この時、村へと魔族達が見誤っていたのは兵士達の進行スピードではない、魔物達の成長スピードだった。

 魔物達は前進するごとに魔力を喰らいながら肥え、濃度の濃い魔力を喰らえば喰らうほどレーダーを伸ばすように感覚を増幅し、進めば進むほどに成長は促され能力が著しく強化される。

 数分数秒ごとに強大になる魔物を相手に準備不足の魔族達が勝てる訳もなく、瞬く間に蹂躙されるしかなかった。


 トマスを襲った時よりもずっと大きくなったナマズ型の魔物の一匹が、傍らから見れば何もない空間に臭いを嗅ぐようにして、体を伸ばしたり縮めたりした。そして、唐突に結界に頭を叩き付けると雷が大木に落ちたような炸裂音が周囲に響き渡った。

 まだそこでは結界は完全に崩壊した訳ではなく、まだ綻びが発生した程度に過ぎない。ただし、綻びというのはどのような状況下でも近い内に崩壊を呼ぶ。


                ※


 その時、村の方では既に異変が起き始めていた。村長の家に居た面々も、その異変を目の当たりにすることとなる。

 独特な色彩をしていた魔族の村は結界の崩れた場所から変色を始め、隔絶された空間に変化が起きていく。

 子供達や女性陣が真っ先に悲鳴を上げたのは、村の門のすぐ真上に顔を半分突っ込んだナマズ型の魔物が空間を突き破りびっしりと鋭い牙を生やしたその口を何度も動かした。下から見た村人はまるでそれを食事前の舌なめずりのように思えた。しかし、すぐにナマズ型の魔物が引っ込んだかと思えば、村中に炸裂音が轟いた。


 「何をしているんだい、ジルドル! それに、アンタ達も!」


 タニアに叱られてジルドルを含めて呆然としていた者達も慌てて行動を開始する。

 狼狽する女子供を数名の男達が率先して避難させ、他の男達はその場で足を止めて魔物を迎え撃つ為に魔法陣の詠唱を始める。急ごしらえではない、相手を圧倒するような強い一撃を放つ為に。

 ジルドルも魔法陣を用意する一人だったが、杖を握ったまま崩れていく結界を凝視するタニアが気になり声を掛ける。


 「タニア様! 早くお逃げください!」


 「馬鹿なことを……。村の長としてここから退く訳にはいくまい。じゃがなぁ……村長として何もできずに倒れるつもりはないわい。――愚かな人間達に、魔族の村を襲うことがどういう意味になるか教えてやろうぞ!」


 声が震えている者も自信のある者も半ば諦めかけている者も、その時ばかりは声を一つにして応答した。

 平和な村に魔物足音が聞こえた――。


 (タスク……トマス……。俺は二人の事を信じているぞ……)


 心の中でジルドルは今なお戦っているであろう二人のの姿を思い浮かべて、忌むべき敵と相対した。 

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