第31話 甘すぎる僕のお姉ちゃんへの弟からのエール


「うわあああん~~! 助けてえええ! りくくうううんんッ!」


 部室内に、姉さんの絶叫が木霊する。


 全体重を机に押し付けて必死に留まろうとする姉さんと、がっちりと背中からホールドしながらする波瑠はるさん。


 その激しい死闘は、かれこれ1分以上繰り広げられている。


「そうやって子供みたいにごねないの」


「やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ!」


 いや、もはや子供のごねかたより酷い。


 両者一歩も譲らない攻防に、観戦者である僕たちはただ呆然とその経過を見守っていた。


 しお先輩は、ちょっと慌てた様子で。


 華恋かれんはため息を吐いて頭を抱えながら、だ。


紗愛さらさん……ここまでだったっけ?」


 呆れたようにそう呟いた華恋かれんの疑問に答えたのは、姉さん本人ではなく、波瑠はるさんだった。


「これも弟くんが原因なのよ」


 いや、まぁ……そうだと思いますよ?


 現在進行形で僕の名前を叫んでいるわけだし。


 しかし、波瑠はるさんは少しだけ息を吸い込んだあとに、僕に告げた。


「弟くん。あなたは、自分のお姉さんの変化に気づいていないの?」


「変化、ですか?」


「ええ、そう」


 うわあああん! と、未だに駄々をこねる姉さんを引き剥がしながら、波瑠はるさんが言った。


「あなたのお姉さんは、未だかつてないほどの『弟ロス』を患っているのよ」


「おと……はい?」


 何だ、その聞き慣れない生活習慣病みたいな病名は。


「『弟ロス』はね、弟に甘えてもらえないお姉ちゃんたちが患ってしまう恐ろしい病よ。普通は、もう少し早い段階で初期症状が出るんだけど……」


 キョトンとする僕に、波瑠はるさんは真剣な表情で語り続ける。


「あなたたちの場合は、少し特別な関係だから、その分、この子の弟離れが遅くなっちゃったし、急な出来事に耐えられなかったのよ」


 なるほど、わからん。


「そうだったのね……納得だわ」


 あっ、華恋かれんは納得できるんだ。


「つまり、紗愛さらさんは、あんたとの学園生活を楽しみにしてたのよ。それなのに、あんたは自分で部活に入って、紗愛さらさんとは違う道を歩んでいったのよ。あたしも、ちょっとそうだったし……」


「あたしも?」


「なっ!? 今は紗愛さらさんの話でしょ!?」


 いや、自分で振ったんじゃないの?


『あれか……これも一種の愛情って訳だな』


「   」


 しかし、僕以外は、この場にいる全員が姉さんの行動の真相にたどり着いたようだった。


 なんで僕だけ仲間外れ?


「かくゆう私も、弟くんとの交流を楽しみにしていたのに、残念だったわ」


 ふふっ、と僕を見ながら妖艶に微笑む波瑠はるさん。


「……やっぱり、あの人もりくのこと……」


華恋かれん?」


 ジトッとした目で、華恋かれん波瑠はるさんを見つめる。


「ふふっ、私はそういう顔した華恋かれんちゃんも好きだわ。いつかまた、お相手してね」


「ひっ!」


 華恋かれんは喉が引き攣ったような声を出すと、僕の背中に隠れてしまった。


「何なのよ、あの人は……ううっ……」


 まるで、飼い猫が知らない人間の訪問を怯えているような感じだった。


 ちょっとその様子が、普段とギャップがあって可愛らしいと思ってしまったのだが、口に出したら怒られそうなので黙っておくことにした。


 僕だって、昨日のことからちゃんと学習する人間なのだ。


りくくん~! やだやだ! りくくんが足りないよぉ~!」


 そんな波瑠はるさんと華恋かれんのやりとりがあった中でも、未だに姉さんの駄々は継続していた。


 もう諦めたのか、波瑠はるさんもいつの間にか姉さんから手を離していた。


 それでも、姉さんはまるでそれが家宝であるかのように、机をがっしりとホールドしていた。


「これは私じゃなんとかなりそうにないわね……」


 ふむ、と相槌を打った波瑠はるさんは、にっこりと微笑んだまま、僕のことをじっと見つめる。


「でも、このままじゃあ本当に生徒会を辞めてまでここに残るとか言い出しそうなのよね……だから、ちょっとこっちに来てもらえる、弟くん」


 そして、ゆっくりと手招きして、呼び寄せる。


 僕は背中に隠れる華恋かれんに一言告げて(物凄く嫌な顔をされたけど、ちゃんと手を離してくれた)引き寄せられるようにして、波瑠さんの元へと向かう。


「弟くんにやってほしいことがあるんだけど……」


 と、僕の耳元で波瑠さんはボソボソと呟く。


 波瑠さんから漏れる吐息が、耳を刺激してくすぐったい。


「あのね……弟くんには……」


 我慢できずに変な声が出てしまいそうになるが、ぐっとこらえて最後まで波瑠はるさんの指示を聞き終えた僕は、不安な顔を隠さず尋ねる。


「そ、それでいいんですか?」


「ええ、バッチリ」


 う~ん、上手くいくのかな?


 だが、波瑠はるさんが言うのなら、やってみる価値はあると思う。


 それに、ここまま駄々をこねた姉さんを部室に置いておくわけにもいかない。


 これも姉さんの為だと思って、実行しよう。


「あの……姉さん」


「ううっ、りくくぅ~~ん!」


 涙目になった姉さんが、上目遣いでこちらを見てくる。


 その瞬間、僕の心臓がドクンっと跳ね上がる。


 今まで気づかなかったけど、波瑠はるさんとわちゃわちゃしていたからか、制服が少し乱れていて、ちょっとマズい感じになってる。


りくくぅん……」


 もう一度、僕の名前を呼ぶ姉さん。


 いやいや! 変に意識しちゃ駄目だ!


 僕は出来るだけ姉さんから目線を外しながら、告げた。


「ね、姉さん! その…………」


 ああ、段々と恥ずかしくなってきた。


 だが、ここで止めるわけにはいかない。


 すぅ~、と深呼吸を一つして姉さんに告げた。



「僕は、みんなの為に頑張ってる姉さんが……すき……だよ」



 かああっ、と、自分の顔が熱くなっていくのを感じた。


「……えっ?」


 姉さんは、目を点にさせて、じっと見つめてくる。


 それでも、ここまで言ったなら、最後まで徹底的にやってやるつもりだ。


「だから、姉さんは……」


「うわわああん! りくくんっ!!」


「うぐっ!!」


 しかし、僕の発言は強制的に中断された。


 もうお分かりかと思うが、机に突っ伏していた姉さんが一転、超加速的動作で僕の身体に抱き着いてきたからだ。


「あ~~! もうっ!! りくくんが、りくくんがお姉ちゃんのこと好きって言ってくれた!! ううううっ……!! 私も好き! りくくんのことだ~いすき!!」


 姉さんの身体が、僕の小さな身体を吸収するように抱きしめてくる。


 こうなってしまっては、僕は指一本動かせない。


『こりゃまた、派手なもん見せつけやがるな、兄弟』


 ブルースさんが、悟ったような声色でそう呟いた。


「ちょ、ちょっと! だからそういうのは、いくら姉弟だからって……!」


 一方、僕たちの行動に異議申し立てをしたい華恋かれんは、声を上げる。


「ごめんね華恋かれんちゃん。ちょっとだけ我慢してね」


 何やら華恋かれん波瑠はるさんが言い争っているような気配を感じるが、今はそちらの問題に加勢する余裕はない。


 姉さんは力いっぱい僕を抱きしめたかと思うと、バッと顔が見える距離まで引き離す。


 綺麗に栗色くりいろの輝く長い髪が、さっと揺れる。


 そして、満面の笑みで僕に言った。


「分かった! お姉ちゃん、頑張る!」


 その笑顔は、反則的なくらい、美しかった。


「よ~し、波瑠はるちゃん! 私! りくくんにもっと好き~! って言ってもらえるお姉ちゃんになるよ!」


「ええ、弟くんも応援してるし、そろそろ私たちも帰りましょうか」


「うん!」


 波瑠さんがそう告げると、今まで駄々をこねていた姉さんが嘘のように、あっさりと立ち去ろうとした。


「じゃあね、りくくん! あっ、今日の晩御飯はグラタンだから楽しみにしててね!」


 そう言って、姉さんはこの部室から姿を消した。


「ウチの者がお騒がせしました」


 最後に、波瑠はるさんは丁寧なお辞儀をして去っていく。


 取り残された僕たちは、まるで嵐が去ったかのようにポツンと佇んでいた。


『……さて、兄弟と嬢ちゃん。そろそろ劇の段取りの続きを話すか』


「意外と冷静なのね、あんた」


 そう呟いたブルースさんと華恋に向かって、僕は「色々と、ごめんなさい……」と返事をしたのだった。


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