無謬の獣と真理の肉(前)

 食堂に一歩入ると、僕はシャンデリアの眩しさで眼が痛くなりそうだった。

 ザドゥヤ建築において、しっかりと照明が使われる場所は多くない。彼ら魔族は角の感覚で周囲の様子を把握できるため、色や文字を確認する必要がない限り、大して明かりに頼らないのだ。食堂では、料理を眼で楽しむという大事な用がある。


 長いテーブルの中央にはロウソクを灯した華麗な燭台が並び、飾られたカサブランカの花や、染みひとつない陶磁器、磨かれた銀食器などを柔らかく照らしている。

 緑で彩られた化粧漆喰の壁には、生首を髪でくくって吊るした木と、その下で首をねられる人族の絵がかかっていた。タイトルは『コユワイ王の春狩り』。


「本当にガラテヤ人も同席するのね」


 レディ・フリソッカは大理石のように冷たく固い声音だった。カズスムクも同じぐらい、固く、しかしすべらかな声で返す。


「叔母上にはご承知いただいたと思いますが」

「当主はお前なのだから、好きにしなさい」


 だから私には関わらせないで、と言外に言っているよう――という僕の印象はうがち過ぎだろうか? 当主直々の招待に(まあ、だいたいは)異を唱えられることもなく、温かく迎え入れていただいたので大変ありがたい。


 この夜、会食したメンバーは以下の通り。

 叔母のフリソッカ、叔父のハーシュサクとヴェッタムギーリ、ヴェッタムギーリの奥方マリガンスムキム、その息子フリアガレンとヒーソサッタ〔Ceisơzzatâ良い旅路〕十二歳、娘のイラティキレフ〔Iratiýckireff多くの感謝〕十歳、それに未来の伯爵夫人ソムスキッラと、彼女の叔父クトワンザスに従弟いとこのカッマルキリエ二十歳。これに僕とカズスムクを加えて十二名。もちろん、この全員が明日の奉納と祭宴に参加する。


 当日には更に、贄三名それぞれの伴侶と両親、時に兄弟、マルソイン家所領からも地元名士などの招待客が加わり、ざっと三十名。

 本来ならカズスムクの妹・ウィトヤウィカ嬢と祖母イドラギガも加わるのだが、所領から帝都までの旅に耐えられないため病欠となっている。使用人も数えれば、七十人から八十人が九日間の大饗宴に参加するのだ。

 カズスムクが宣言する。


「では、皆さまご着席のままで。〝食讃歌イニクヴサ〟〔Gnikuwza〕を始めましょう」


 以前も述べたように、耕作に適さないタルザーニスカ半島は、食性の範囲が狭い魔族にとって過酷な環境だった。その生活から、飢えの苦しみを慰め、食べられる喜びを分かち合い、食材に感謝する讃歌の習慣が生まれたと言う。


「大いなるユワよ、

 収穫された命をここに受け取ります。

 この命をわかちあい、

 我らはともに兄弟となる。


 我らを満たすこの命のように、

 我らの命が兄弟を満たしますように。

 大いなるユワよ、我らもまた、

 あなたの刈り取りを待つ作物です。


 我らが熟すその時まで、この食事をお祝いくださいますように」


 最後にカズスムクが「召し上がれカムシーイ・デニアマザン」〔Kamsgi dengåmasan〕と締めくくると、全員が「いただきますアグイエ・ユワ」〔Aĝie yva〕と返して食事が始まる。Aĝie は古語で「持っていく、もらう」を意味するから、直訳すれば「ユワをもらう」という所だろう。


〝同じものを食べたら兄弟〟という考え方も興味深い。食べ物は命であり、食べることは命を取りこむ行為だから、同じものを食べれば同じ命になる理屈だ。

 僕は碧血城の聖婚式で「ザデュイラルの食人習俗では、近親相姦の関係になることを忌避しない」と言ったが、その理由はこの思想と関係がありそうだ。


 この日の晩餐メニューを述べよう。

 前菜が、じゃばら芋のグリルローズ・塩漬けケトイアザドゥヤチーズ添え。苦い夜のスープ。メインがカブと人参のオープンパイに、ひよこ豆の丸いコロッケ。果物にリンゴとベリー、デザートはカルダモンとシナモンのペイストリー菓子・ジェカイリッコル〔Djekagシナモン lliqr巻き〕で、食後にたんぽぽのコーヒーが出た。


 じゃばら芋は、皮つきのじゃがいもに細かく切れ目を入れるオーブン料理で、今夜はさらにもうひと手間がかけられている。

 軽く蒸して柔らかくした後、切れ目にスライスしたナスとパプリカを挟んでくるっと巻き、花のような形に整えたものだ。カリカリに焼かれた表面の香ばしさに、ホクホクした野菜の甘み、ケトイアの塩気が加わって大変美味しい。


 苦い夜のスープツックリトニシパ・チシャZkkritnispaニガヨモギ ctshスープ〕は日常の料理ではなく、祭礼週間、特に祭宴前夜に食べる伝統料理だ。ニガヨモギ、アニス、ウイキョウなどの香草類と、キャベツ、ほうれん草、そしてスイバなど緑の野菜で作られる。

 これは正直食べづらいもので、子どもたちも苦労していた。


 カブと人参のオープンパイは、カチル風パイカッティラ・パッカリ〔Kattila pakkari〕と言う、ザデュイラルの伝統的パイ料理パッカリの一種である。かつて北の国境沿いにある緩衝地帯・カチル地方から、戦争の避難民によって伝えられた。

 ザドゥヤ人は卵もバターも乳製品も使わずに、サクサクのパイ生地を作る技術を古くから開発していた。半月切りにしたカブと人参のグラッセが花びらのように並べられ、真ん中にグリーンピースが飾られており、見た目にも美しい。


 ひよこ豆のコロッケはレマタヴ〔Lemataw辛いもの〕と言う料理。にんにく、パセリ、コリアンダー、クミン、唐辛子などの香辛料がたっぷり入っており、すりゴマのソースニハトヤーイニ〔Nihhat jâing〕でいただく。濃厚でまったりとしたゴマの風味は、スパイシーなひよこ豆に負けず味を引き立てた。


 コーヒーはたんぽぽの根を煎じた飲み物で、コーヒー豆は一切使われていないが、かなり見た目や風味が近かった。悪くない。


 祭宴前夜のため、肉類は一切出ないが、会話は典礼語手話で行われた。一番年少のイラティキレフも、僕なんかよりずっと達者だ。手話で『美味しい』と述べる時は両手を使うので、食べ物を拝んで祈るような格好になる。



 晩餐を終えて客室に戻ろうとすると、ソムスキッラに「少し話さない?」と声をかけられた。ホールのソファに向かい合って座ると、彼女はすぐ話題を切り出す。


「カズスムクの眼のことは聞いた?」

「はい、お嬢さまユーダフラトル。伯爵ご自身の口から」


 そう、とソムスキッラは短く言って、話を続けた。


「では、去年の夏至祭礼で、カズスムクがどんな失敗をしたかは?」


 それは知らない話だ。だが、なぜそれを今?

 カズスムクとタミーラクの間にあるものがどれほど重いのか、僕はようやく理解した。それを以前から知っている彼女は、未来の伯爵夫人は、どう思っているのだろう。この話も、二人のことと関係があるのだろうか。


「少し黙ってお聞きなさいな、ガラテヤ人。贄本人の死を悲しみこそすれ、〝惨い〟と悼むことは、本来あってはいけないのよ。彼らが捧げた命に感謝して、わたくしたちは明日も生きていかなくてはならない。それが食べる者の義務」


――贄の神聖な役目を軽視し、その死を嘆くことは許されない。

――でもあなたは違う、異国の、異種族の、よそもののあなたは違う。

――ぼくは、それが、何よりもうれしい。


 カズスムクには誰も共感してくれる者がいなかった、タミーラク自身さえ。それがザデュイラルという、同族を食わねばならない社会の有りようなのだ。


「カズーは完璧なの、贄の解体も、【肉】をさばくのも。料理の腕だってひとかどのものよ。でも昨年、初めてムーカル役を奉納する時は違った。お父上が66年の贄に指名した相手は、栗色の髪の青年だったの」


 即座に、僕はタミーラクの顔が思い浮かんだ。


「髪の色以外は、どこもタミーラクに似ていなかったわ。でも祭壇に上がったその子を見た時、カズスムクは明らかに動揺して、それを抑えきれていなかった。……結果、彼は手元が狂って深く刺し過ぎてしまったの。贄にはニフロムの注射が追加され、聖厨職人イェルテミが残りの手順を代行するハメになったわ」

「それ、アジガロも知っていますよね?」


 もちろん、とソムスキッラはうなずいた。「ミルには誤魔化しているけど」とも。

 アジガロは先代からマルソイン家に仕えている。その顛末を知った上で、彼はカズスムクに「信じております」と言った。


「決して失敗できないのよ。あなたが思っている以上にマルソイン家は緊張しているし、この大事な時にガラテヤ人を交えるべきじゃなかった、ってまだ言っているわ」


 誰が言っているのかは、何となく想像がつく。


「間違ってもお邪魔はいたしません」

「それが嘘なら、あなたの皮を剥がして剥製にしてやるから、覚悟なさい」


 あまりにも真剣な眼で宣告されてしまった。博物館に飾ってもらえるなら魅力的な死後の提案だが、その話は置いておこう。


「カズスムクは〝食べる者〟の義務に反して、ミルに眼を上げた。彼がどれだけ非難されてきたか、あなたは知らないでしょうね。大トルバシド卿が、亡き伯爵閣下に免じて目をかけて下さっているから、まだ良い状況だけれども」


 つくづく先代アンデルバリ伯爵は、息子を大切にしていたものだ。僕は父親の話をした時の、年相応にはにかんで見せたカズスムクを思い出した。


「彼はこれからずっと、もうあんな〝間違い〟は犯さないと証明し続けなくてはならないの。明日の奉納はその手始めで、二十歳で爵位を継げば、なおさらに」

「間違い、ですか」


 アンデルバリ伯爵の婚約者、イェキオリシ伯爵令嬢がその言葉を使わねばならないのは分かる。だが、ソムスキッラ自身の真意はどうなのか。


「お嬢さまは、伯爵がそのような真似をすべきではなかった、と思われますか?」


 彼女の本心を訊ねる資格が自分にあるのかどうか、検討の余地はあったはずだ。だが僕は自身の好奇心でもってそれをねじ伏せた。いつものように、わざとらしく。

 イェキオリシ伯爵令嬢は、冷たく研ぎ澄まされた表情になった。


「あなたは本当に無礼なガラテヤの猿だわ」

「申し訳ございません」

「わたくしが望むことはただ一つ。タミーラク・ノルジヴが、カズスムク・シェニフユイのユワを、ともに連れて去らないことだけ」


 ソムスキッラの声は縦に割られた植物の茎、その芯に隠れた真っ白なもののように純粋で清廉で、痛々しいほど脆く聞こえた。それは恋心のやわさだ。

 僕は謝罪のため軽く下げていた頭を上げ、彼女の表情をうかがった。それは先の冷たい面持ちから、毛ほども動いていない。声だけが、ただただ柔かった。


「ミルが去っても、カズーはこれまで通りこの世に、ユワの畑に留まり続けるの。〝アンデルバリ伯爵〟という器を満たすにふさわしい男として――その隣りに立てる女はわたくしだけ。一生をかけて彼を支え続けるわ」


 恋から愛へと脱皮していくまさにその瞬間を、僕はこの時目にしたのだと思う。


「だからお願いよ、イオ、あと十日ほどで去ってしまうよその国のひと。あなたと話すことは、彼にとって小さな救いになる。それがどうしてかは、自分でも分かっているはず。これまで通り、カズスムクをよろしく」


 マルソイン本家の家族は少ない。母親のベツアペルテス〔Batsapåltes美しい真珠〕が病弱で、それが長女と次男に遺伝したためだ。ベツアペルテス自身はカズスムクが八歳の時、難産で母子ともに死亡。次男も角が生えてまもなく亡くなった。カズスムクの父シェニフユイは再婚を検討したが、不幸にも落馬の事故で死去。


 現在、マルソイン本家は兄と妹の二人しか残されていない。後見のレディ・フリソッカがいるとはいえ、まだ若いカズスムクには伯爵家の家名がかかっている。

 だが、彼女がいるならば、きっとマルソイン家は大丈夫だ。



 僕は就寝前に、いつもより入念にガムルに祈った。

 神よ、イオ・カンニバラは明日、目の前で殺人が行われることを黙認します。その後、殺された者の血と肉を口にします。すべては自らの好奇心のため、そして彼らザドゥヤの人々への敬意と親愛のため。それをどうぞお赦し下さい。

 もし、これを悪魔イヴァの所業であり、罪となさるなら、夜の内に僕を殺して、朝を迎えないようにさせて下さい。

 御心のままにジェナンテーム


……眠ったつもりが、夜中に何度か目が覚めたように思う。ちゃんと睡眠が取れたのかは、あまり自信がないし、中々寝つけなかった。それでも朝は来るし、僕は生きて時間が来たことを悟った。神よ、感謝いたします。

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