兄妹


 飾莉の後ろ姿がどんどん小さくなっていく。


 俺は追いかけるようにして走った。



 夕日の赤さに目を細めた。


 ──どうして。


 どうして、こんなことになった?



 前方に、小学生の3人組が歩いていた。

 飾莉と同じくらいの歳だろうか。


 通り過ぎる間際、その中の一人がぽつりとつぶやいた。



「今の、飾莉じゃね?」

「うん、走ってった。てか、また同じ服着てる。正直きもいよね」




 俺は、思わず足を止めた。


 息を切らしながら、その場に立ち尽くす。

 汗水が垂れていく。


 3人組は、俺を横目に見るようにして通り過ぎていった。



 ……。


 馬鹿か、俺は。


 今更気付くなんて。



『正直きもいよね』



 ──飾莉は、いじめられていたんだ。



 ここ最近の様子が、どうもおかしかった。

 どうして気づいてやれなかったんだろう、と立ち尽くしながら、心の中で何度も思った。


 俺は息を整えると、また駆け出していった。




***



 アパート、商店街、水門橋──

 町の至る所を探し回ったが、飾莉の姿は見当たらなかった。


 おそらく飾莉は、クラスで孤立して、ずっと陰口を叩かれていたんだ。

 飾莉にとって、学校に居場所なんてなくて。

 辛い目にあってきたんだろう。




 ずっと黙っていたから気づけなかった。


 飾莉が、表に出さなかったから気づかなかった。


 いつも平気な顔して、表情に出さなかったから気づかなかった。


 気づかなかった。



「────違う!!」


 張り上げた声が、路地に響き渡った。



 気づかなかったんじゃない。


 気づけなかったんだ。


 察してやることができなかった。


 道のカーブミラーに、俺の姿が映っている。


 俺はそれをみつめた。



 そう、お前だ。


 お前だよ。



 服も買い与えてやれず、ずっと辛い思いをさせてきた、クズ。

 ランドセルも、お下がりの男用を背負わせているクズ。


 もしかしたら、転校する前の学校でも、同じ境遇似合ったんじゃないだろうか?


 俺はいったい今まで何をしてきたんだろう。


 何を見てきたんだろう。


 罪悪感だけが、心の中を支配していく。



 もうすぐ日が暮れて、夜になってしまう。



 偶然、通りかかった公園。

 その木製のベンチに、ひとりで座っている女の子。


 ──居た。


 ひとりぼっちで、うつむいている飾莉の姿。



 俺は歩み寄ると、飾莉の前にしゃがみこんだ。



「探したよ」

「……」

「ごめんな」

「……」


 飾莉は、ずっとうつむいたまま黙っている。


「ずっと、気づいてやれなくて」


 すると、飾莉は静かに言った。


「……にーちゃんに、わたしの気持ちなんてわからないよ」


 目は伏せられている。


「わかるよ」

「……わからない」

「わかるって」


「──わからないよっ!!」


 飾莉の大声が、公園中に響き渡った。



 ……。


 そうだ。

 人の心なんて、わからない。

 覗いてみることなんて、できやしない。


 でも──。


「わかりたい」


 理解してやりたい。


「なあ飾莉」

「……ん」


「苦しいときはさ、頼れ」


「……」


「つらいときは、兄を頼れ」



 すると、飾莉の目にが緩んで、みるみるうちに涙が溢れていった。


 飾莉は目をこすりながら涙を流し続ける。



「たす……けて、にーちゃ……ん」



 その後、飾莉は啖呵を切ったかのように泣きじゃくった。


 妹の泣き声が夕日の差す公園に響き続けた。


 飾莉が泣きじゃくっている間、俺は体中が心臓になったみたいに、脈打って、痛くて、ちぎれそうだった。



***



 泣きつかれて寝てしまったようだ。


 辺りはすっかり夜になってしまった。


 ベンチから飾莉をゆっくりと抱き上げ、おんぶする。


「……ん……」

「このままおぶって帰るから、寝てなよ」



 そういえば、昔、親父が飾莉とこうやっておんぶしてた。


 俺は、外灯が照らす公園の中をゆっくりと歩いた。


 歩きまわった。



 ……。



 妹を泣かせた人間を、今すぐにでも全員探し出して、八つ裂きにしてやりたいと思った。


 けれど、そんなんじゃ解決にはならない。


 妹のために何ひとつならない。



「考えろ……」



 ──だから考えろ。


 考えろ。考えろ。

 どうしたらいい。



 その時、あるものが頭の中で一つひらめいた。


 自分の中にある唯一の解決策。


 そして、俺は決意した。



 ごめんな、飾莉。


 守れなくて。


 にーちゃん、もっと頑張るから。



「……学校辞めて、働くからさ」


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