第35話 行きたいなら、行かなきゃ

 俺の視点が一店に固定され、表情が一瞬にして崩れたせいか、はたまた彼女の放つ存在感に誘われてか、少なくない数の人々が、振り返る。


 マリヤだ。本物の、魔法少女マリヤだ。


 高校生バージョンのマリヤの、可愛さと美しさが同居した、神懸かっている容姿。巨乳過ぎず、かといって貧乳でもなく、細すぎず、かといって太ってもいない、黄金比率のようなスタイル。

 可愛らしく元気なイメージと、年をとったことによって身についた落ち着き。そんなマリヤを、完全再現している。

 こんなことができる人間は、俺の知る限り一人しかいない。

 見間違えるはずがない。でも見違えた。それほど一年で、彼女は成長していた。

 地響きのような歓声。俺たちの周りにいた人間たちが、吸い取られていく。


「すごい」


 風祭は、魂のぬけたような顔で、バベルさんのマリヤに魅入られていた。

 俺は、バベルさんの、見る者全てを魅了するそのコスプレと、かつて言われた言葉たちのフラッシュバックに挟まれ、身動きが取れなくなっていた。


 ほら、何十メートル先に、ずっと焦がれてきたバベルさんがいるんだぞ。話したかったんじゃないのか。確かめたかったんじゃないのか。なんで俺の足は動かないんだ。 


「ゆうちゃん。バベルさんのところに行きたいんですか? 今すぐ」

「え?」

「行きたいんですよね。顔に書いてありますよ。行きたいなら。行かなきゃ」


 風祭が、マリヤが、俺の手をとって、走り出す。

 石像のように固まっていた俺の身体が、風祭に手を引かれた途端、滑らかに動き出した。

 こんなシチュエーション、今まで体験してことなかったはずなのに、なぜだか懐かしく感じる。

 そうか。逆だけど、俺と風祭はこうして、手をつないで、何度も、行きたい場所へ。

 カメラマンたちの間をぬって、何とか最前列に。

 バベルさんの目は、即座に俺を捉えた。

 今度は、怯まない。真正面から見つめ返す。

 すると、彼女が、手招きした。こちらへ来い、と。 

 一緒に撮影しろ、ということか。


「行きましょ、ゆうちゃん」

「あ、ああ」


 風祭に連れていかれ、輪の中心へ。

 ブラックローズの右側へ、小学生編のマリヤが、左側へ高校生編のマリヤが立つ。

 今は、撮影に集中。コスプレイヤーとしての頭に切り替わる。

 時に思い思いのポーズをとり、時にリクエストに応える。

 撮影は、イベント終了時間まで、ひたすら続いた。

 イベント終了の知らせが流れた途端、バベルさんは俺と風祭の手を握って駆け出した。雑談を持ちかけてくる人たちを振り切り、人と人の間をすり抜け、ひとけのない、施設と施設の間の隙間へ。

 走ってきた勢いのまま、バベルさんが手を離す。俺と風祭はバベルさん前方へ投げ出された。


「っとと」

「転びます!」

「自己申告すな」


 転びそうになる風祭を支える。


「ありがとうございますぅ」

「いつまでもくっついてんな」


 チッ、とバベルさんが舌打ちしたのが聞こえた。こんなやりとりをしてる場合じゃない。

 バベルさんは、ジッと、こちらを見つめている。にらみつけているようにも、観察しているようにも見える。

 何か、何か言おうと口を開きかけたところで、バベルさんが、静かに、けれど圧を感じさせる、ハスキーな声で、こう言った。


「なんで、また、コスプレしてるの。わたし、言いましたよね。辞めた方がいいって」

「っ、それ、は」


 ああ、何かの間違いであって欲しいと願っていたのに。

 想像以上に、キツい。でも、ここで折れちゃ、一年前と同じだ。いつまた会えるかも分からない。これは、千載一遇のチャンスなんだ。

 隣で風祭が何か言いそうになっているのが感じられたため、手で制す。


「バベルさん。俺、あなたに何かしましたか? なんで、一年前、あんなこと言ったんですか?」

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