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遥が言うと、なんだかとても説得力があるな、と夏は思った。
「そうなんだ。そんな人、どこにもいないんだ」
「うん」
そう話す遥は、なぜかどことなく嬉しそうな表情をしているように夏には思えた。
「それさ、ちょっと貸してよ」夏が言う。
夏が言っているそれ、とは編み物をしている棒のことだ。
「だめ」
と遥が即答する。
「どうして?」夏が言う。
「だって夏、編み物できないでしょ?」
「確かにできないけどさ、ちょっとだけ挑戦してみたいんだよね」夏が言う。
「挑戦?」
「そう。なんか面白そうだからさ」
笑っている夏の顔を遥がじっと見つめる。
数秒の間。
「やっぱりだめ」
「けち」
そう言って夏が拗ねる。
「じゃあ、そっち貸してよ。そっちならいいでしょ?」
「そっちって、これのこと?」遥が言う。
「そう。それのこと」
そう言って夏は赤い毛玉を見る。
「そっちならいいよ」遥が言う。
「ありがと」夏が言う。
遥が赤い毛玉を手にとって、夏に手渡した。それを受け取った夏は、なにかとても珍しいものでも見るように赤い毛玉をじっと眺める。
遥は夏の様子を伺いながら編み物を続けた。
遥と夏の間に赤い糸が一本、床にまで垂れ下がって、くるくると渦のような形を作って、伸びている。
それを夏は見つめる。
雛ちゃんがいたら、この糸であやとりでもするのかな? と、そんなことを考える。
夏は頭の中で、笑いながら赤い糸であやとりをする雛の姿を思い浮かべる。
上手に橋の形を作った雛は、どうですか? うまいでしょ? とでも言いたそうな顔をして、にっこりと笑いながら夏を見る。
夏は頭の中で、上手だね、という。
すると頭の中で、ありがとう、と雛が答えた。
いつの間にか夏は話すことをやめていた。
遥も編み物をするだけで、なにも話しをしなかった。
だからこの話はまるで初めからこの場所に、二人の間に存在していなかったかのように、静かに、泡のように消えてしまった。
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