第14話・制作開始

 数ヶ月間もアシスタント仕事をするうちに、最低限のペン使いは覚えた。線もこなれてきた。コマ割りの作法も理解した。いよいよ新作で勝負をかけるタイミングだ。背景を描くのは相変わらず苦手(というよりも、嫌い)なので、舞台はだだっぴろいグラウンドと決める。これなら、めんどくさい家並みや、部屋内の調度品を描く必要がない。テーマは、学生時代に勤しんだラグビーにする。高校に舞台を設定し、あの練習のダラダラ感をスケッチしましょう、というわけだ。

 勝手知ったる世界なので、原稿を描きはじめると、面白いように光景が立ち上がり、キャラが走りまわってくれる。たいしたストーリーもなく、オチと言えるようなピリオドも打たず、ただデッサン力と躍動感を核にした画の個性をご覧いただく、という手法だ。起承転結よりも、勢い重視。新人にしか許されない「鮮度が命」なやり方だが、とにかく、編集部の審美眼に引っ掛かればいい。「ラグビーマガジン」からいいシーンを拾い、画面中にキャラの運動を散らかしまくる。

 それにしても、マンガとはなんとしんどい表現手段だろう。ボールペンで気軽に描き殴っていたあの夏休みがなつかしい。線一本に、汗をかくことおびただしく、セリフひとつに、神経を衰弱させること著しい。汗をかくのは貧乏下宿の西日のせいで、神経が衰弱するのは身銭と明日のわが身が心細いからなのかもしれないが、まったく身を削る職業と言える。酒なしにはやってはいられない。こうしてオレは、なにかと理由をつけ、飲みにいくのだ。

 わが憩いの場末酒場・イングレインでは、この夜も少数の常連たちが集まっている。みんな同世代で、いろんな職業に就いている。居酒屋の店員に、ヘビメタ、二級建築士、ジーンズショップの店長、それに音楽事務所の関係者。どうしようもない人間たちだが、なにかと気が合う。この酒場では、ご禁制の賭け事が流行っている。カードやサイコロを使うような本式のやつではない。相撲や、高校野球、F1など、テレビの中には勝負事があふれている。そいつの勝者を当てましょう、というだけの可愛らしいものだ。一人ひとりが千円ずつを出し合い、ズバリ当てた者の総取り。シンプルなだけに、熱くなる。少人数間のやり取りなので、回数をこなすうちに勝利アベレージは平均値に落ち着き、つまりほとんど金は動いていない状態となる。が、それでも盛り上がる。一人ひとりがせしめた勝ち金は、酒場にキープされている自分のボトルの首輪に、神社のおみくじのようにくくられてストックされる。この金が、どのネックにも相当にたまっていて、えげつない額にふくらんでいる。こいつを寄せ集めて、今度はどんな大ごとをやらかそうか、と企画を練るのもたのしい時間だ。

 酒場には、森園みるくさんがちょこちょこと現れて、よく可愛がってもらう。ゴージャスで麗しい魔女である彼女は、暗い店内でもサングラスをかけているので視野が暗く(なにも見えていないような気もする)、テーブル上のグラスを手探りでたぐり寄せなければならない。そのため、よく酒をこぼしている。このひとは、見かけによらずまったくの天然で、心根が可愛いのだ。とても社交的で、金の使い方は豪快だ。あるとき、「麻雀を覚えたい」と言いはじめ、じゃ、手ほどきを、とみんなで彼女のマンションにいくと、一室を麻雀ルームに改造し、新品の電動卓まで入れている。即断即決だ。また、正月に遊びにいくと、数十万円もするようなおせち料理が床一面に並べられていて、本人はロングスカートで着飾り、お客様方を待ち受けている。「すごい~、こんな豪勢なおせち、もったいなくて箸をつけられないわ~」とはしゃいでいるのだが、玄関のピンポーン、が鳴ると、はーい、と立ち上がって駆け出し、義経八双飛びのように豪華おせちをまたいで渡り、重箱を突っ掛けて次々にひっくり返す、ということもやらかす。「こないだ国税に入られて、500万、追徴で持ってかれたわよ~」なんて話題もこともなげだ。とにかく、このひとのそばにいると、いろいろと勉強させてもらえる。

 ・・・なんだか話が飛び飛びでめちゃくちゃなことになったが、とにかく、オレにはちょこちょこと仲間ができはじめている。そして、そんな人々の期待に応える必要が生じてきているのだった。

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