第2話 車中。
当時はマスコミも大賑わいだった。悦子の死に絡めた黒い交際関係を根掘り葉掘り報道して随分視聴率も稼いだことだろう。しかし、警察が手を引くより早く芸能人の不倫のニュースが世間の話題をさらったため、ゴミ屋敷については議論されることがなくなり捜査が打ち切りになるより前に世間の関心はそれから離れていった。
山村優馬のいる市役所の環境課にその仕事の話が舞い込んで来たのはゴールデンウィークが明けた日のことだった。優馬は今年で三十歳、大学を卒業して八年目になる。環境課へは一年前に移動してきた。環境課はゴミ処理に関する事案や公害に関することを取り扱う部署で、住民からの苦情が多い課ではあるが定時で帰れるのが何と言っても魅力でいい。
また優馬には変わった趣味があっていわゆるゴミオタク。ゴミが再処理される工程や分別されることに多大な興味があり、配属された時は喜びのあまり「よっしゃ」と叫んだのはまぎれもない事実である。先輩の仙道からは「お前変わってるよなあ」とよく言われるがそれも誉め言葉と受け取る。ゴミが綺麗に分別されていく様は楽しい。ずっと定年までこの課にいられたらと思わずにはいられない。だから朝礼で課長の話を聞いた時は嬉しさに打ち震えた。
「四丁目の例のゴミ屋敷の一件だが、我々環境課で担当することになった」
「っしゃあ」
握りこぶしを作る優馬に同僚たちが忍び笑いする。熱意は周知のところである。
「ええと、担当するのは……」
「はいはいはい、オレ。オレに行かせてください」
課長は手を突き上げはしゃぐ優馬を無視して辺りを探す。
「ああ、いや仙道と……」
「はああ?」
仙道が地の底から湧き上がるような声を上げる。
「橋本……と」
「ええええ」
ぽっちゃりの橋本が甲高い声で叫ぶ。
「と……」
課長もずっと手を挙げ続ける優馬を見て息を吐く。
「山村……だな」
「やった!」
優馬は腹を折り曲げて喜びを噛みしめる。同僚たちがその様子をまた笑う。
「まあ、やる気があるのは何より。今日から早速仙道をリーダーにして早速動いてくれ」
課長の指示に脱力する者と喜ぶ者、悲喜こもごもだ。
「こういうの行政代執行って言うんですよね。かっこよくないですか」
運転中の仙道と助手席の橋本が車の助手席の後ろに座り嬉しそうはしゃいでいる優馬に呆れる。
「お前ホントゴミ好きなんだな」
仙道は別に褒めたつもりはないが優馬は満面の笑みだ。
「ゴミが好きじゃなくてゴミの処分が好きなんです。オレちっさいころゴミ屋敷に行って好きになったんです」
「へええ」
仙道は何の感激も含まぬ相槌を打つ。
「そこの住人おじいさんだったんですけど改造した水鉄砲くれて、それで随分遊んだんですけど、片付けも一緒にしたことがあってそれでゴミの処分っていいなあと思ったんです。片付けるのってなんて楽しいんだろうって」
「ふーん」
「仙道さんもゴミ屋敷初めてなんすか」
橋本が暑さに耐え切れなくなったのか、クーラーのスイッチを入れて向きを調節している。暑がりの橋本は風を全部自分の物にするらしい。仙道が窓を閉めて呆れたようにため息を吐く。
「ああ、いや以前一度だけある」
「いいなあ。どんなとこだったんですか」
「いいかあ?」
優馬の感嘆に仙道は眉根を寄せた。
「堺町の四丁目の電車乗り場のすぐ近く。三叉路の丁度ど真ん中の家だよ」
仙道にとっては、あまり思い出したくない記憶であるのかもしれない。
「あそこか、オレ行ったことありますよ」
優馬が目を輝かせる。ゴミ屋敷は彼にとってもはや有名な観光スポットだ。
「子供の頃写真撮影してきたんですよ。住民のおじさんはちょっと怖かったんですけど」
「変わったおっさんだったなあ」
「あっ、仙道さん次右っすよ」
橋本のナビに仙道は分かってるよ、とハンドルを回す。
「あの場所はなあ、場所が三叉路のど真ん中だろ。ゴミが道路にはみ出して、近所の住民から通行できないって苦情が来だしてな。市が再三にわたって片付け命令出してたんだけど一向に片付けずについに行政代執行。住民のおっさん片付け中もその鍋は使うからダメだの、そのチャリンコは毎日乗ってるからダメだの、大きな袋は雨がしのげるから良いだの。全然片付ける気が無くってな。こっちが片付けてる最中も次から次へと新しいゴミ拾ってくるもんだから、いたちごっこさ。最後はこっちが人海戦術で作業員を大量導入してあっという間に片付けたってわけ。あのときゃすごかったぜ。業者にゴミ収集車がどどどって押し寄せてな。ものの一日。住民のおっさんずっとすすり泣いてたぜ。『オレのチャリが、オレの鍋が』ってな」
「へえ、お宝か何か出てきたんすか。現金的な」
橋本はクーラーの空気を吸いながら好奇心を寄せた。
「出てきた出てきた。まず銀行の紙封筒で現金二十五万円がな」
「え、すげっ」
「あと近所の不燃物から拾って来たって言う上等のロードバイクなんかもな。しかもそのおっさん乗れねえんだけどよ。もしかしたらあんまり綺麗だから盗品だったのかもしれねえな」
仙道は信号待ちで停車している間にナビを確認する。
「リサイクルショップに売れる物は全部売り飛ばして現金も合わせて三十八万だったかな」
「三十八万。スゲー、その金どうしたんすか」
「住人のおっさんのもんだよ。当面の生活費に充てるって言ってた」
「じゃあ、今日のとこでお宝が出たら誰のものになるんすか」
「国のものだろうなあ」
仙道は煙草をくわえながら話す。すると橋本は食い下がるように熱のこもった暑苦しい声を出す。
「仙道さん、見つけたら三人で山分けしやしょうよ」
「ダーメ」
「バレやしませんって」
「ダーメ、オレは平平凡凡とした公務員でいいの。変なことして捕まりたくないの」
仙道がウインカーを出す。次の交差点を右だ。
「そんな捕まるなんて大げさな」
仙道は橋本の呟きにさらに呆れた声を出す。
「大げさじゃねえぞ。公務員がゴミ屋敷の資産持ち去った何て知れたら夕方のニュースのトップ項目に躍り出るぞ」
「あーあ、それだけが楽しみだったのに」と項垂れる橋本を見て仙道がふっと笑った。
「まあ、梅雨に入る前で良かったよな。それだけが救いだな」
「そんなにひどいんすか、ゴミ屋敷って」
橋本が泣きそうな声で嘆く。
「ああ、地獄だぜ地獄。ゴキブリが居るわ、ハエ蚊が湧いてるわ。ぬめぬめのベタベタ。良いことねえよ」
行く前から決めつけたような口ぶりに優馬は面白くなかったが、少なくとも仙道の口ぶりから心底嫌なのだということだけはよく理解した。
ゴミ屋敷は閑静な住宅地の一角、交差点の角地で北と西が両隣の民家に面しており東と南が道路側と言う立地であった。南東の角にはオレンジのカーブミラーが設置されていた。
現場の向かい側の道路に公用車を乗り付ける。三カ月前にテレビで見たのと寸分たがわない姿がそこにはあった。仙道と橋本があれこれ相談しながら写真を撮って現場を見定める。優馬は思いのほかの迫力に言葉を失っていた。これから片付けるのかと思うと変な高揚感が心中を支配し始めていた。子供の頃に見たゴミ屋敷とはまるで違う大物の威厳がある。圧倒されたように見上げていると恰幅のいい中年男性が近づいてきた。
「あなたがたはどちら様ですか?」
「市のものですが」
仙道が役人の声を作った。
「ああ、やっと来てくれましたか。ゴミを処分するんですか」
「ああ、いえ今日は見積もりだけです。掃除は後日。業者を呼ばないといけませんのでどのくらいの規模かと」
「そうですか」
男性はこちらの意図を汲んでくれたようだった。諦めも少し混じっている気がした。
「ご近所の方ですか?」
「自治会長をやってる黒岩というものです。以前市にも相談したけど勝手に片付けちゃだめだって言うでしょう。ずっと来てくださるの待ってたんですよ」
「お待たせして申し訳ありません」
橋本と優馬も仙道の後ろで頭を下げた。
「それにしても驚きました。ホントに大きなゴミ屋敷ですね」
「そうでしょう。ホントに早くなんとかして欲しいですよ」
黒岩のいうことは尤もで、現場は泄物の籠った匂いと生ごみをかき集めた匂いを一緒くたに混ぜたような何とも表現しがたい酷い匂いがしていた。大量の生魚がそこで死んでいるとでも形容したらいいだろうか。腐臭を放つ巨塊だ。
優馬はじっとゴミ屋敷を見上げた。ミステリアスな魅力と狂気が秘められている、そんな風に感じた。鈍色の雲間からぽつりぽつりと小雨が降ってきた。予報は午後から雨だ。その日は本格的に降らぬうちに撤収した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます