足利義輝様!
某「麒麟が来たり来なかったり」の最期のシーンに涙した一人です。
あの手にしている太刀はなに???と危うく某国営放送にメールを出すところでした。
隕鉄で打たれた短刀(依頼打ち)を見せてもらったことがあります。
刀身に滑るような輝きが見えて色っぽかったです。
そして、女性からの依頼ということでハバキはピンクゴールド!
可愛かったです!
あー!富山の隕鉄の刀も見に行きたいです。
以前乗馬をしていたのですが、思い返すにあの高さで太刀を振るうのは確かにちょっと無理かなぁと。
狙えるのは敵の首くらいです。
在来馬は背も低く、歩様も安定していて背中もどっしり騎馬戦なら在来馬ですね。
あ、いかん。
すみません。
ちょっとお口をつぐみます。
作者からの返信
日本古来の馬は、ポニーですから、きっと切れたはず。でも、時代劇で見るような戦いではなさそうですね(●´ϖ`●)
足利義輝は、死ぬ真際に、数珠丸以外の天下五剣を振って戦ったと言われていた気がします。あらゆる重宝を用いて刺客を斬り伏せ、畳返しで四方囲まれ斬られたと聞いたことがありますよ。
私、足利義輝はかなり好きです(笑
5振りしかない隕鉄でつくられた刀、いつか全部見てみたいもんですね(≧∀≦)
編集済
ともはっと様って、富山にお住まいだったんですね。てっきり、国会図書館当たりの有名司書サンかと思ってました。だって、本の知識がすご~いんだもの。ブルマのイラストもすごいですぉ。おへそ、ありにしてね。
富山っていいところですよね。黒部渓谷に黒部ダム。称名滝。海王丸パーク・・
あっ、日本刀の話でしたね。またまた、私の知らないことばかりで・・知ってるのは豊臣秀吉ぐらい・・何にも知らないダメなアタシ・・
餅鉄なんて初めて聞きました。
戦国時代の戦い方も、言われてみればそのとおりですね。何々・・弓、長柄武器、日本刀、首・・の順ね。暗記。暗記。
たたら製鉄って、出雲大社のところでやってたんだっけ?
「あんた、バカね」という、ともはっと様のお声が聞こえてきたので、このへんでやめときます(笑)。
それで、神社のことを教えてください。昨日のともはっと様のご教示を元に近所の神社に行ったら「御劔神社」と書いてありましたぁ。「御劔神社」と「御剣神社」は違うのですか?・・何にも知らないダメなアタシ・・
作者からの返信
生まれは富山王国ですが、今は違いますよ(≧∀≦)
富山はいいとこですがなんせアピールしない都市なので高齢化が凄い凄い。住みやすいとこだと思うんですけどねー。
たたら製鉄は島根県の出雲ですね。
一度も行ったことないので、いつかはいってみたい出雲大社。
あー、御剣神社と御劔神社は、多分一緒ですよ。御劔って、もう書かない字のはずです(●´ϖ`●)
お詳しいんですね。勉強になりました。
歴史について深い知識をお持ちのようで、感心しながら読ませていただきました。
足利義輝なんてなかなか聞かない気がして。
日本刀……最近では擬人化されて、いろんなキャラクターが人気のようです。
作者からの返信
擬人化されてますねー^^
あの擬人化は本当に凄いですよ。
かなりマニアックな刀剣が出てきているので。
あそこから知った刀剣女子なんて私以上の知識持ちですからね(笑
広く浅くをモットーにエセってるだけですのでそこまで知識あるわけではないですよー(*><)
足利義輝はとある時代小説でファンになりましたね。実際はあのようなものではないと思いつつも、いい作品でした。
史実上、将軍の位で剣豪と謡われる程に剣技を極めた将軍は、足利義輝くらいなんじゃないかなって思ってます。
コメントありがとうございます^^
餅鉄、ヒヒイロカネかも知れない。
隕石の刀ある。富山ですね。
また、知識が増えましたー!
時間が出来たら調べてみますー!
作者からの返信
コメントありがとうございます^^
次はちょっと毛色の違うことを書いてみたいと思っております。
私のエセ知識が何かしらのインスピレーションになれば幸いです^^
お星様ありがとうございます!
えー(汗)
……さすがに、ポニー説および騎馬軍団非実在説は現状さすがに否定された学説です。
念のため、以下に記述致しますが、私もガチ勢ではないのでうろ覚えなことは免責事項として記述しておきますね。
まず、そもそも江戸時代を経た馬の体位減少はあくまで江戸期という世界でも類を見ない平和な時代によって、軍馬よりも荷馬(実は駄馬は「荷駄馬」の略だったりする。駄犬も、本来なら同様(とはいえ馬はまだしも犬が荷物を運ぶ文化が本朝にあったかどうかに関しては、私も疑問符がつきますが……)の意味だったりしまして、いわゆる「駄目な馬」の駄馬は、本来なら「駑馬」というらしく)の方が珍重された、という経緯が存在すると同時に、騎兵隊を否定したい学者が鬼の首を取ったように主張する、飼育場での馬の骨がちっこかった件に関しましては、当時「品種改良」という概念が本朝になかった結果、たまたま生まれた強い馬を軍事目的で動員し、弱い馬や小さい馬を馬の数を維持するために飼育場に放置していた、という経緯がございまして。
また、当時の本朝者、もとい日本人の体格がそこまで大きくはなかった(おそらく、動物性タンパク質をあまり豊富に摂取できなかったことが関係していると思われます。ちなみに、一番背が低いのは江戸期であることと、仏教伝来前である縄文期は意外に背が高かったことも記述しておきます)ことも、結果として使う馬が低くても役に立ったのではないかということを主張させて頂きます。
長々と書かせて頂きましたが、結論としては「大きな馬は軍馬に使っている上に、品種改良という概念がなかったことによって馬の体格が徐々に小さくなっていき、江戸期の平穏無事な世界がそれにとどめを刺した」といったところでしょうか。
あと、木曽駒とかを見ればわかるとおり、在来種の馬って案外大きいですよ。まあ、大きいって言うか、サラブレッドよりも遙かに頑健で、なおかつそこまで小さくはないので、多分サラブレッドのような脆弱な馬はもちろんのこと、元寇時や戦国時代期などの馬であれば海外種の馬と戦ってもそこまでボロ負けはしないんじゃないかな。
作者からの返信
はじめまして。
コメントありがとうございます^^
おっと、ポニーのところに突っ込まれるとは。知識のある方からの意見、とてもありがたく思います。
貴重なコメント、とても参考になります。ありがとうございます。
そうですね、近年の研究によって、当時知っていた内容等はどんどんと変わっていってます。
本内容は、私が当時どこかのなにかで知った内容をつらつらと書いたものとなりますので、違っているかもしれないし合っているかもしれない、あくまでえせ知識でございますことをまずはご了承いただきたく。
本文の中にある見解として、在来種がポニーであったと思われ、外来種が入ってきたのが17世紀ごろでなかったかというところから、ポニーに騎乗して戦っていたとしたら面白いですね、という個人の主観でございます。また、ポニーと記載はしていますが、ポニーといえど、最高速度は40kmはでるとも聞いたことあり、あながち遅くはなかっただろうなとも思いますし、鎌倉時代等にかけては、そのポニーに乗馬していたという記述もあり、また、ポニーという馬は、150cm以下?だったかの馬の総称だったかと思います。当時の馬の体高がどれほどたったかはわかりかねるところですが、130cm前後だったと考えると、ポニーにあたります。
少なからず、今現在でも十分にそれくらいのポニーに乗馬しても、さほど小さい等と感じないことから、今より身長が低かったと思われる当時の武士や侍(日本人身長が160cmを超えだすのは大正時代辺りからだったと思います)が騎乗してもそこまで違和感はなかったかと。
あくまで、ポニーという今現在のその馬種のイメージ――小さい子が乗る小さなポニーのイメージで騎乗し戦っていたら面白さがありませんか?という意味でございます。
コメントの中にあった元寇もそうですね。以前は神風によって日本は劣勢を退けることができたと学んでいたようですが、今はがらりと変わり、教科書に載っていた馬に乗った武士が爆弾を投げつけられている写真は、実は屏風の一部で、全体図を見ると、武士が撤退する敵兵を追い掛け回しているところであり、神風によって元寇がぼろぼろになったのも確かなものの、すでにぼろぼろな状態で、船に乗りつけられて船内で暴れられていた時に神風が吹いて元寇側が九死に一生を得たかもしれないともいわれているそうですね。
世界中で武士や侍は、盾を持たないバーサーカーである、とも言われると聞き、驚いたものです。
話がずれますが、中国で暗愚の代名詞とも言われる阿斗(劉備の息子、劉禅のこと)も、近年では暗愚ではなく良君であったのではないかとも言われています。時代によって見え方はかわってくるのだなぁとしみじみ。
木曽馬の流鏑馬とか、かっこいいですよね。
バーサーカーとも言われる甲冑を着た武士が、当時もそのようなかっこよさで駆け抜けていたのだろうと思いつつも、やはりあくまで当時を知りえているわけでもないからこそ、どんなイメージをするのか、というところでこういうイメージもあるかもしれませんということで楽しんでいただけたならこれ幸い。
品種改良の概念がなく、小さくなっていった。なるほど。確かに平和であるならそれに越したことはないですし、日本という広くも狭い島国で走り回っていたころならまだしも、というところなんですかね。
長々とすみません。改めて、コメントありがとうございます^^