第55話 侵食の始まり

「なるほど、また私はスペンサー家のいざこざに巻き込まれたというわけか」




俺の説明を聞いたジークヴァルトは、そう言って軽く笑った。




「いきなりこんなことになってしまい、父の代わりにお詫び申し上げます……事はいくらでもできますが、今更 ロゼットを追い返すなどという無慈悲な行為は頼まれてもできませんので ご了承下さいませ」



「ふん、私がそんな冷徹な人間だとでも思っているのかい?」



「はい」




即答した俺に、可愛くない教え子だ と悪態つくジークヴァルトの様子を見るに歓迎というわけではないが追い返すという意思はないように思われた。

ほんの少し安心した。彼のことだ、ロゼットと同じ空気を吸いたくないだなんてことを言い出しそうでハラハラしたが。




「ニナ、僕の部屋にいるロゼットにホットミルクを持って行ってくれるかな。少しは気持ちが落ち着くだろうから」



「かしこまりました」



「おやおや、君にも人をいたわる気持ちというものがあったのだね。驚きだよ」



「嫌だなぁ、先生。大人げもなく僕に仕返しをしているんですね?僕はいつだって周囲の人をいたわって来たじゃないですか」



「……少なくとも、私は君にいたわられた覚えはないよ」




そんな軽口を叩きながら、ふと沈黙が流れる。


そう、俺らには大きな問題が現れたのだ。



ロゼットが俺の世話をするなどと言い出したわけだが、ともなると 俺のトワルとしての行動が非常にやりにくくなる。

ロゼットからトワルの存在を隠し続けることはそう難しくないだろう。彼女は、察しが悪い。


が、しかし。


きっと彼女なら、僕の身の回りの世話を四六時中見続けるつもりだし 実際そうするだろう。

俺が生家にいた頃も、朝から晩まで俺や両親に付きっきりで召し仕えてきた。

きっと、今回も例外なくそうなるはずだ。

そうなると隠すのは至難の技だ。


彼女がトワルの存在を知った時、きっと彼女なら全力で俺を組織から抜けるように説得してくるだろう。身の危険が伴う組織に属しているなんて知ったら、いち早くアルバートに手紙を書くかもしれない。


ならば、彼女を引き剥がして仕舞えばいい。

というのは強引極まりない意見である。

アルバートに新たなる仕事を受け、この俺に仕える為だけにやって来た彼女。あの様子からも、自分の存在意義をメイドとして主人の傍らに控えていることと捉えている。

なんて、哀れで それでいて献身的なメイドなのだろう。



それが、俺たちに取って仇となっていた。




「で、どうするつもりなんだい?今後の様々な活動は」



「そうですね、それは僕も考えているところです。先生のお仕事のお手伝いをしている、という口実でカルカロフ家に出向いていることは説明がいったとしても……トワルの集会や活動に対しての言い訳をどうするか。いっそのこと本当のことを言ってしまいたいのですが」



「バカを言うんじゃない。トワルの構成員となり得る可能性がある人材ならともかく、あんな能天気そうで平和ボケしたメイドに言ったとしたらどうなる事やら……想像に容易いだろう。大体、あのメイドは待てもできないのかい?」



「出来ますとも!」




少しロゼットを茶化したジークヴァルトに、自分自身でも思いがけないほどに鋭い声が出た。




「それでも、彼女の側にいてやりたいんです!あんなに可哀想な彼女を、見知らぬ屋敷に置いて行けるわけがないでしょう⁈」



「分かった分かった……まったく、いつから君はそんなに情熱を燃やす人間になったんだか。身内には、優しいんだね」




呆れるジークヴァルトだが、彼だってきっと共感できるはずだ。自分に付き従うメイドを心から大切にする気持ちを。


彼だって、俺たちに対する態度とニナに対する態度はまるで違う。




「先生、貴方だって分かるでしょう?逆にお聞きしますが、もし、ニナが先生の元以外に行くあてもなくて、周囲から差別を受けてやって来たなら……彼女の手を振りほどいて何処かへ行こうなどという鬼畜な所業をなさらないでしょう?」




僕の問いかけに、ジークヴァルトは眼光を鋭く放つ。




「当たり前だよ。ニナを差別した奴らを一人残らず切り刻み、一族もろとも灰にしてやるだろうね。……私ならば、今頃シルヴィア夫人の屋敷に火をつけて暖をとっているかもしれない」




さらりと過激な発言をすると、どうやら俺の立場も少しは理解してくれたらしい。


だが、問題は依然と積み上がっている。

なんら解決はしていない。

解決案を模索するための時間が必要だ。

その口実も取り付けなくては。


頭が痛くなるような問題の肥大化に悩まされながら、ふぅっと息を吐く。




「とにかく、しばらくの間はロゼットの側にいてやらないと。明日のお仕事は申し訳ありませんが、休ませていただきます。遠くから来た彼女をいたわって、後は此処らの説明をしてやらなくては」



「……仕方ないね。彼方には 君が母親の体調不良の知らせで心を病んで塞ぎ込んでしまったと説明をつけておこう。この理由ならば、誰も君を責めることはないだろう。長期の休みも期待できる」




まったくなんで私がこんなことをしなくてはいけないのだか、とブツブツ言いながらも協力してくれるらしい。もしかすると、メイドを従える主人というとは 誰もが同じ心持ちなのかもしれない。



一礼してジークヴァルトの部屋から出ると、ニナが銀の盆を持って帰って来ていた。




「ありがとう、ニナ」



「お礼を言われるようなことは何も……ですが、ルカ様。先ほど、こちらからメリー様が走ってこられましたが 彼女にもホットミルクを持って行きましょうか?」



「え?いや、彼女は先生の部屋には来なかったけれど……」



「そうですか、それは失礼しました」



俺はこの時、ロゼットにばかり気が行っていて特にこのことに疑問を持たずロゼットが待つ俺の自室へと帰った。


なぜ、彼女がメリーにホットミルクを持って行こうとしたのか。それを考えることもせず。




「メリー様はなぜ、泣いておられたのでしょうか?」




ニナの言葉は誰にも拾われず、その場にポトリと落ちて とうとう誰も気づかなかった。









***









パンッ_____________________‼︎



赤い風船が割れた音に、心臓が高鳴った。



大きな音は嫌い。

あの時の記憶が、蘇るから。


終わらない折檻や、容赦ない鞭。

冷たい足と、誰かが泣く声。


ここから出して欲しくて、でも出れなくて。

どこにも行くあてがなくて。

どこにも居場所がなくて。


そんな記憶ばかりが蘇って、怖くなって、気づいたら部屋を飛び出していた。



行く先はもちろん、ルカの部屋。



大丈夫、大丈夫。


震える足を勇気付けて、一歩一歩とルカの部屋に向かって歩く。


きっと、ルカに会って話せば大丈夫。

いつもみたいに優しく抱きしめてくれて、たくさんたくさん大丈夫だよって言ってくれる。


ルカに大丈夫だよって言われると、本当に大丈夫なんだって思えるの。


いけないってわかってる。

ペリグリンと、約束したのに。

二人で、ルカを守ろうねって。ルカを頼るだけじゃなくて、私たちがルカを守るんだって。

なのに、私はルカに頼ってばっかり。


ダメだって思っていても、それでも、どうしても抜け出せない。嫌なことがあると、すぐにルカの顔が、声が恋しくなるの。


どうしてなのだろう?


最近、ルカのことばかり考えている気がする。

目を閉じても、目を開けても 何をしていてもルカのことが頭から離れない。



ねぇ、ルカ。助けて。

なんだか、最近 自分が自分じゃないみたい。


ルカ様と出会う前の自分が、一体何を考えていたのかすら忘れてしまったの。


苦しくて、苦しくて、苦しくて……。




やっと、ルカの部屋に着いてドアを叩けば現れたのは猫耳のメイドさんだった。

目を腫らしていて、私を見ると、尻尾がピクリと動いた。




「あ、貴女は、確か坊っちゃんのご友人のメリー様ですね……!す、すみません!私ったらこんなお恥ずかしい顔を……!」



「い、いえ!そんな!あの……ルカ、いますか?」



「坊っちゃんなら、ジークヴァルト様にご報告をなさりに行かれましたが……」




それを聞いた瞬間、私はすでにルカを求めて歩いていた。いや、走っていたかもしれない。



ルカ、ルカ……はやく、会いたい!


ドクドクと鼓動がうるさくて、それと比例して足も速くなる。何か怖くて恐ろしいものが、心を侵食して行くのがわかる。


お願い、お願い、大丈夫って言って。

ギュッて抱きしめて。




はぁはぁと息を切らせながらも書斎に着いて、その扉に手をかけた。

けど、その手は止まる。




「それでも、彼女の側にいてやりたいんです!あんなに可哀想な彼女を、見知らぬ屋敷に置いて行けるわけがないでしょう⁈」




扉の向こうから聞こえた声。

ルカの声だ。


やっと、聞きたかった声が聞こえたのに、なぜか私の心は重くなってゆくばかり。

どうして、こんなに苦しいんだろう。





そっと、扉の隙間から向こう側を覗く。



ジークヴァルト様に向かって、何やら熱心に話すルカ。彼の長い睫毛が、瞬きと共にバサバサと揺れる。


ルカだ!


彼の顔を見れて、少しは心が軽くなったのにそれでも気分は優れなかった。

もう、過去の記憶なんて、薄れているのに。

それでも苦しいのは……どうして?





『君と僕たちは友達だよ』


『これからも僕と一緒にいて。僕はそれだけで嬉しいよ』


『ただ、二人だけが頼りなんだ』





脳内に響く、ルカの声。



あぁ、そうか。そうだったんだ。


ポタポタと頬を伝う涙を拭うこともできずに、その場で悟る。


心を侵食してるのは、ルカの存在なんだ。



ルカがいなくちゃ、何もできなくなってる。

どんなに苦しくて辛い過去も忘れられるはずなのに、ルカとの記憶は時間が経つに従って心の中で大きくなってゆく。

忘れられずに、重く重くなってゆく。

そうして、ルカしか考えられなくなって、苦しくなって……こんなにも辛い。




ルカがいないと、もう、ダメになっちゃった。

私にはルカしかいないんだ……。


でも、ルカは?

ルカの周りにはたくさんの人がいる。

私はその中の一人でしかないんだ。




心の中に生まれた、見知らぬ感情に震える。

いやだ、こんな気持ちになるなんて。


涙が止まらない。

怖い、怖いよ……。


自分が自分じゃないみたい。


私、こんなにも汚いんだ。

浅ましいって、こういう事なのかな……?





ルカ、ルカ。



お願い、私を忘れないで。



ルカ、ルカ。



お願い、私を見捨てないで。

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