10 本屋

「この人はどうかな?ブランクがあっても簡単な文章だとは思うけど…」

 彼女は迷うことなく本をほっそりとした腕で釣り糸のように、手を釣り針のように掴み上げた。本を俺の顔の前へと差し出す。

「聞いてる?」

 本へとフォーカスされていた視界に彼女自身の顔がフェードインしてくる。突然のことで驚き、彼女の顔へとピントが合う。

「う、うん。聞いてる。」

 彼女から本を受け取り、全身を舐め回す様に本を見る。次々と渡されるがぱっとしないタイトル、あらすじで惹きつけるものはなかった。

「うーん、どれも惹かれないな…」

「そっか…」

 と彼女が足を向けたのはノンフィクションのコーナーであった。

「ノンフィクションだったら、読めるかな」

 独り言を呟く彼女。その、後に付いて行く。

「おもしろいのか?ノンフィクションって」

「うん。でも、作者さんの見方や考え方で少しは変わってくるけど…概ねは事実を述べてるから、専門書ばっか読んでた薫君にはぴったりだとは思うけど…、あれ?」

 ん?とは言ってみたものの、彼女が何を見て、あれ?と行ったのかは気付くまでに数秒は掛かった。

 彼女は俺の唇にその細い指を当てて、何かをぬぐった。

「なんだろう、これ?」

 眉間にしわを寄せながら考えていた。見れば、それは真っ赤と言う訳ではないが人工的に作られたと思われる赤い何かが付着していた。

 それはきっと、石上の唇に塗られたリップか口紅だろう。考えをめぐらす前にその答えは自ずと出てきた。

「さぁ、でも、イチゴジャムか、なんかじゃないの?」

 嘘をついた。ウソツキ。

「そうかな、口紅の様にも思えるけど…」

「いや、ちょっとお腹が減ってコンビニでイチゴパンを買ったんだよ。多分、それ」

「えー…そんなの見たかな…」

「買ったさ。別に、そんな、気にしなくていいんじゃない?だらしなく口の周りに付いてただけだよ」

 明らかに言い訳するその姿を彼女は見ようともしなかった。まだ、自分の指に付着した口紅らしきものを見つめている。

「まぁ、そう言うなら、どうでもいいけど…」

 そういって、そっと衣服で拭き取った。しかし、未だ彼女の目は穏やかではなかった。

「それより、おすすめは?それ買うから」

「なんか、投げやりだな…」

 彼女は手にしていた本をそっと置いた。

「何か隠してない?私に」

「隠してないよ」

 またも嘘をつく。ウソツキ。

「本当に?朝の授業からちょっと、かもしれないけどおかしいよ」

「おかしくないって。ほら、朝食堂で話しただろ?そのことでちょっと気が動転して…」

「本当かなー、何か嘘っぽいけど」

「そんなことないって…」

「まぁ、いいか。口紅って思ったけど、なんか違うぽいし…こんなこと言い合っても仕方ないよね…」

 彼女は戻した何冊と、それから手にしていなかった何冊を持ち上げ、はいと俺に手渡した。5.6冊あって俺は抱えずにはいられなかった。ついでに、私の分も買ってね。出口で待ってるから、と彼女は自分勝手に歩き出した。

 そんな彼女に反抗も謝辞もできなかった自分が唐突に小さく思えた。それに、醜くも。

 口を結び、端で苦汁の味を滲ませるがそれも虚しい様だ。

 ここでようやく石上の言葉が脳裏をかする。

 俺はウソツキだ。嘘にも似た不覚の感覚が俺を襲った。

 勢いに任せて舌打ちをした。それは静かな本屋に空しく響いた。

 支払いを済ませ、本が入った紙袋と共に俺は彼女の許へと思い足を動かす。いや、鈍くなっているの間違いだろうか。

 紙袋の中にはもう一袋、ビニール袋が入っていた。彼女の分を入れるために店員さんに頼んだのだ。ビニール袋はなんの抵抗もなく、スルスルと本の上を動く。歩く揺れと同じになって、フワフワと浮いたりもする。それはまるで、人間の心のようだ。これは、ただの言い逃れなのかもしれない。

 彼女の許へ着き、黙って本を移す。ビニール袋の手提げの口にそっと白い手が通る。彼女は何を思っているのだろうか。紙袋の大きさは中身と釣り合ってなく、空いた隙間が本たちを寂しく思わせた。

 顔を上げれば黙って彼女は歩き出していた。俺はその背中を追った。

コツコツとヒールの音が地面を押す。その隣で俺の靴が鈍い音を響かせる。肩がならんでいるとはいえ、その空気感は重い以外の何ものでもなかった。彼女の手には先ほど買った本たちが下がっている。中身を見せないビニールの袋はまさに彼女の心を移しているように思われた。俺の手には中身に似合わない大きさの紙袋があった。

「…」「…」

 2人は沈黙に自らを埋め、どちらとも声をかけようとは思わなかった。いや、出来なかったのだろうか。

「薫君。明日、パソコンのところ行くじゃん?どこのお店行くの?」

 先に静寂を破ったのは彼女のほうであった。力が抜けており頭は当分上がっては来そうに無かった。それは身にしみて薫自信にもわかっていたのだ。

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