49 こごり

 全てを語り終えたところで、四道はようやく相手の様子を窺う様子を見せた。

 始終、黙り込んでいたイーサンは、相変わらず口を開くつもりはないようだ。ダイニングテーブルとセットになっているイスに浅く座り、腕杖をついて手のひらで額を支えている。

 彼が懊悩していることは、真正面のイスに座るシュリにはありありと見て取れた。シュリの後ろ、玄関扉の近くの壁にもたれている三好や、仁王立ちしているヴィクスと違い、シュリの隣に座って間近にイーサンを見る四道は、それは感じているはずだ。


「……それで」


 イーサンの頭部を支えていた手がゆっくりと動き、太い指がコツコツと机の端を叩いた。


「君たちは私がそれを信じると思っているのか?」


「五分五分くらいには」


 四道が提示したその確率は多少の楽観も入っているだろう。

 シュリ達の親代わりを自負するヴィクスは真っ向から信じてくれているし、何かと付き合いの良いニナは、「シュリ達が嘘をつく理由がない」という三段論法でようやく信じてくれている。嫌々ながらも付き合ってくれるライト少年や、殆ど巻き込まれただけの女王補佐官は信じていないのと同時に否定もしておらず、どちらでも構わないといった態度だ。科学的見地からシュリ達に同調するブライアンは、信心とは少し異なっており、他の意見とは一線を画している。

 シュリ達の身近な人間だけでも、異世界の存在にはこれだけ三者三様の見解があるのだ。イーサンがどんな意見を持つのか、予測はつかない。つまるところ、イーサンの結論はシンプルに、信じるか、信じないか、この二択の採択に賭けられているといっていい。つまり、確率は五割、五分五分だ。


「楽観は時に危険を招く」


「戦場ではね。でも相手が人間なら、少しは希望を持ちたい。……そういうものだろう?」


 穏やかに切り返す四道を、シュリは思わず見ていた。

 以前の彼なら、挑発的なイーサンに理屈をこねて反論しただろう。だが今の言葉からかつての彼の面影を読み取るのは難しい。

 人を信じたい、その光は、心は、彼に遺された彼女の遺産だ。


「あなたも希望を持っていた筈だ。オズマを倒して、〈ノウア〉を平和にしたかった筈だ。僕達も変わらない。故郷を護りたい。――幸いなことに、僕達の周りには応援してくれる仲間も、手を貸してくれるガーディアンもいる。後はあなたの情報だけだ」


 イーサンは何も答えない。ただその目だけは、時空を彷徨い、過去を尋ね歩いているような、そんな遠い目をしていた。せつないくらいだ。時の隔たりはイーサンの方が大きいが、同じ目を、シュリは少し前に何度も見ている。自分の、黒い瞳が鏡に映り込むたびに、後悔を混ぜたあの目がシュリを見つめ返してきた。

 そんなイーサンの瞳が、正面のシュリを逸れ、窓際の写真に注がれる。家族写真が飾られた、あの場所だ。だが、


「私にも、仲間はいた」


 イーサンの虚ろな目は家族写真にではなく、その隣の、海を背景にした写真に注がれていた。話しの流れを類推すれば、あの写真に映り込んだ彼らがイーサンの仲間になるのだろう。だがあれは……あの中央の十歳程度の男の子は……。


「だが負けた。三人生き残ったが、一人は帰郷後間もなく発狂し自害して、もう一人は病で十年も持たなかった。私はこんなところで世を捨てている。命は持ち帰ったが、結局勝ったのはオズマだ」


 それは、と、口を開きかけたシュリが、動作を固めるように目を見開いたのはその時だった。


 鼓膜を弱く打ちつける振動には覚えがある。ごくごく小さな降り幅だが、空気のこの揺れを間違えたことは今まで一度もない。

 ガタン!

 勢いよく席を立つのと同時に、家の奥からマムが現れ、シュリ達には目もくれず玄関扉から外へと飛び出た。シュリもそれに遅れることなく玄関をくぐる。


「なんなんだよ!?」


 後ろから三好の苛立ちが聞こえたが、今は説明している暇などなかった。

 あれは間違いなく悲鳴だ。それも、女性の。

 シュリがキューブのアシストで探知可能な半径を鑑みるに、女性の声は間違いなくイーサンの義娘ユリアだ。声質も同じだった。

 玄関先で口論をした彼女は林に向かって駆け去ったが、その先で何かあったのだ。

 彼女が消えた林へ入り、声の方角を懸命に目指す。しかしシュリが目的地を音で探し当てる必要もなく、五歩先にはマムが細い脚で地を蹴り、青い顔で先陣を切っていた。

 その姿に、シュリは沸々と疑問を覚える。

 イーサンとその家族を匿い、保護していたのは間違いなくマムだ。だが、なぜ?


 古くは美術品などを媒介して、グローバルネットワークが完成した近代ではネットを通して、彼女が〈ノウア〉の民と対話していたのは、人間ひとりひとりの心の弱さを救うためだ。ヒトは弱く、脆い。時に悩みや鬱々とした気持ちが、大きな犯罪などに発展することもある。それらを回避するため、彼女はより多くの〈ノウア〉の民と言葉を交わし、挫けそうな気持ちを励まし続け、メンタルケアという手段で〈ノウア〉の存続をバックアップしてきた。

 それほどに〈ノウア〉の懐深くに潜り込んだ彼女は、しかし、常に〈ノウア〉から一線を画し自ら近付こうとはしない。政治への介入は勿論、契約者コントラクターである女王にすら、他人行儀なよそよそしさがある。

 なのに今の彼女はどうだろうか。あんなに必死になって、ユリアを探し求めている彼女は、まるで一介の母親のようだ。子の助けを求める叫びに応じようと、限界を振り切って全力を絞っている。

 あの家族だけを、どうしてああも特別に扱うのか……。


 家族――。

 その単語が、今度は別の疑問を刺激した。

 あの丸太小屋の家でシュリが見たのは、イーサンと、ユリアと、マムの三人だけ。ユリアはイーサンの義娘で、ならば当然夫たるイーサンの息子がいるはずだ。だがシュリの探知範囲の中に、彼ら以外の人間の気配はなかった。それに、失踪当時ユリアのお腹にいたという子どもは? イーサンが失踪したのはおよそ十年前、単純に計算するなら十歳前後の子どもがあの家に居るはずなのだが、子どもの父親であるべきユリアの夫の気配がなかったのと同様に、子どもの気配もまるで窺えなかった。それに、洗濯物も。初めてユリアに会った時、彼女が干していた洗濯物はおよそ二人分だけで、父親らしい服も、子ども服も、どちらもなかったのだ。

 マムがあの家族に強く肩入れする理由は、そのあたりにあるのかもしれない。


 そう見当をつけた頃、林が開け、前方に鉄造りの壁が見えてきた。


「なんだこりゃ……廃工場?」


 シュリに追いついた三好が首を捻る。

 壁と思われた鉄の塊は、様々な機械類が積み上げられたゴミの山だった。ひどく古い品で、ほとんどが錆びてしまっている。廃棄場にありがちな酷い匂いはないが、夜の学校にありそうな不気味さはあり、イーサンと話し込んでいた間に傾いた太陽が濃い影を生みだして不気味さに一層拍車をかけている。


「ブルーに関連があった民間の研究所だ。五十年前に放棄されて今は使われていない。この辺りに町の人間が近付かないのも、これのせいで立ち入り制限されているからだ」


 一番最後に追いかけてきたイーサンが、息切れの呼吸もまるでなく、すらすらと答えた。

 昔の研究所というこの場所で、一体何の研究が行われてきたのか、年代と、積み上げられた鉄くずを見れば聞かずとも分かってしまったが、三好が律儀にも「何を研究してたんだ?」と尋ね、イーサンはぶっきらぼうに応えた。


「レーゼンメーテルだ」


 三好の顔がわずかに強張るのを、シュリは目敏くも見逃さなかった。

 シュリ達の苦悩の一端を担うレーゼンメーテルがここから生まれ、現在に続くのだと思うと奇妙な心地がする。もしここでの研究が何らかの形で成功しなければ、〈ノウア〉の民のモンスターに対する憎悪が、地球へ影響を及ぼすこともなかっただろうに。もしそうだったなら、シュリ達は打倒オズマを目指すこともなかっただろう。

 一体、この世界はどこからこんなに歪んでしまったのか……。

 ……いや、科学力に溺れ、幾多の生命を絶滅に追い込み続ける地球だって、正常な形をしているとは言い難い。

 もしかすると、正しいものなど何もないのかもしれない。


「レーゼンメーテルの実験の影響でここは妾の知覚が通じぬ。シュリ、そなたはどうだ?」


 分かる。微風に乗って、洗剤の匂いがする。


「建物の向こう側」


「ここには近付くなと言っていたのに……!」


 軽い舌打ちが混ざった声で唸り、イーサンが駆けだすと、マム、シュリ達の順に再びかけっこが始まった。

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