32杯 尊重と愛情

「お前は人間を何とも思わないのか? ちっぽけで、矮小ですぐに死ぬ。そんな奴等と同列でいる事に我慢できるのか? 叩き潰したくはならないのか?」

 片翼となった変異種の細い体は、青毛の獣の爪によって無数の傷が刻まれていた。

 蟇目はゆっくりと歩み寄り、右拳を握るとそれを見つめる。

「そうだな」

 誰に言うでもなく、遠い目をして言う。

「口と態度ばかりで、いざ力を見せりゃ直ぐに手の平を返す。俺より強いと豪語してた奴が突然哀れな被害者になって、武力や権力を持っている連中にすがるんだ。その癖そいつらの信用はなぜか失墜しない。そんな奴等と対等のフリをして生きて行くなんざ、考えただけでゾッとするな」

「そうだろ。お前だって人間を殺してるだろ。こんな事をしても人間は受け入れないぞ。今からでもいい、こちら側へ来い」

「そうだな。だが、俺が人間を殺したのはな……」

 右手を開き、鋭く伸びた爪を見る。

「人間だった頃の話だ!」

 爪が一閃すると、片翼の変異種から腸が飛び出す。


「試合で人を殺し、事故と認められても殺意を持って人を殴った事に違いはない。現場がたまたま試合場だっただけの話だ。正気と狂気の境を彷徨うなんざ、俺にとっては日常だったよ。身体が普通か異常かなんか関係ねぇ。ずっと力と感情を抑え続けて生きてきた」

 蟇目はゆっくりと変異種を振り返る。


「武術の意義は、己を律する事。俺は常に内に蠢く憎悪と狂気と共にある」

 口から血の泡を噴く変異種の頭を掴み、ギリギリと力を入れる。

「お前らのように簡単に力に呑まれるような奴が、デカい口を叩いてるのを見るとヘドが出るぜ」

 掴んだ頭は、ぐしゃっとトマトのように潰れた。

「強さってのは、磨かれた刃のように年月を経て練磨されてこそ、真の輝きを発するもんだ」

 だから簡単に折れるんじゃねぇぞ、と公園の方を見て呟く。

 辺りは騒ぎを聞きつけて集まってきた変異種が、取り囲むように円陣を組んでいた。

 蟇目は全方向を警戒するような構えを取る。

「さて、俺も最後の祭りを楽しむとするか」



 魁は目に驚愕の色を浮かべる。

 どんな生物でも目は弱点だ。その目に刀の切っ先を当てたというのに、目はダイヤのように傷一つ付いていない。

 一瞬の間、眼球と刀が鍔迫り合いしたが、満弦が大きく振るった腕が、魁の体をくの字に曲げた。

 魁の身体は大きく一回転し、刀は離れた場所にざくっと突き刺さる。

 満弦は魁の足を踏み付け、苦痛の声を上げさせる。

 折れてはいないがミシミシと体重をかけて動きを封じ、いたぶるように上半身を地味に殴りつける。

「俺の勝ちか?」

 両腕でカードしながら耐える魁に、少し強い打撃を打ち込む。

 ガード越しに、魁の顔が歪む。

「どうだ? 俺の勝ちか?」

 尚もガード越しに叩き続け、もう戦えないだろうというくらいに痛めつける。

 満弦は魁の胸部装甲の下に手を掛け、力任せに引き剥がす。

 顕わになった生身の胴に、一撃を加えた。

 あばらが何本も折れ、口から血を吐く。内臓も潰れたかもしれない。

 勝った! と勝どきを上げるように吠えると、手の中の胸部装甲を見た。

 装甲の裏側、鉄製の手裏剣の中に木製の物が並んでいる。

 満弦はそれを無骨な手で引き抜いて「これがさっき言っていた簪か」と眺める。

「よくやった」

 背後からぱちぱちと手を打ちながら白衣を着た老人、浦木が姿を見せる。

「壬生の子せがれに話を聞いて以来、それだけが不安の種だったのだがな」

 さ、そいつを寄こせ、と満弦に手を差し出すが、満弦は聞いていないように魁を踏む足に力を入れる。

 苦悶の表情をするものの、声を上げる力も残っていないようだ。

「何してる。そいつは燃やしてしまわねば。早く……」

「満弦!?」

 その場の雰囲気にそぐわない若い女子の声が、浦木の言葉をかき消す。

「サクラ……」

 サクラは、内股でわなわなと怖れながら変貌した満弦を見ている。

「よお、サクラ。俺の勝ちだぜ。見ろよこいつ」

 どすっと更に魁の足を踏み付けた。

 下が土なので折れるほどではないが、それでも呻くような苦痛の声を上げる魁に、サクラも悲鳴を上げる。

「俺が勝ったんだぞ。スカッとしたぜ! こんないい気分は初めてだ!」

 両手を大きく広げて歓喜に打ち震える。

「いい加減にせんか! 早くそれを寄こせ!」

 しばらく、咆哮した満弦は自分の手を見つめ、

「ところで先生よう。俺の体戻んねぇんだけど」

「ああ? そんな硬くなってしまってはな。別にいいじゃろ、前よりいい男じゃ」

 ちっ、と魁を踏んでいた足をどけて、魁を見下ろす。

「せっかく生かしてんだぜ? 俺の勝ちか? それともまだ諦めてねぇのか? 答えろよ」

「…………」

「あ? なんだって?」

「君の勝ちです……」

 それを聞くと満弦は大きく笑う。

 満弦の体をよじ登り、強引に簪を奪おうとする浦木の体は大きな手に掴まれた。

「さっきからうるせぇんだよ手前ぇは!」

「な、何をするんじゃ! 放せ!」

 もがく浦木を無視して満弦はサクラを見る。

 サクラは祈るように手を組んで、震えながら涙を流していたが、満弦はその姿をガラスのような目を細めて見る。

「ホントに……お前は、いい女だなぁ。やっぱお前はそのままがいいわ」

 と言って簪を見ると、ずんずんと観測施設へ向かって歩き出す。

 むくっと浦木の体が変化する。だがそれは、頭が異常に大きいだけの、貧弱な体をしたものだった。

 尚も喚き散らす浦木に、

「俺の目的はもう済んだ。ホントは俺、この後の世界の事なんてどうでもいいんだよ」

「目的を達成させてやったのはワシじゃろうが! その恩を忘れる気か?」

 観測施設の入り口を蹴破り、

「悪りぃな先生。俺、昔っからセンコーの言う事、聞いた事ないんだわ」

 満弦は豪腕で自身の左胸の装甲を砕く。その手に掴まれていた浦木はぐしゃっと歪に潰れた。

 満弦はサクラを振り返り、

「あばよ」

 と言うと剥き出しになった心臓に、簪を突き刺した。





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