24 騎士叙任式

 アリスは、少なくとも状況としては、自身が妖精騎士と呼ばれる者の立場にある事を理解した。それは昨晩の寝る前、アリスが心に決めていた事と同じ事であった。

 妖精騎士になる。その為に、妖精騎士を知る。今日この場に赴いたのは、フィヤの容態が気になっていたのは勿論だが、ピブルや知識のある者に教えを乞う為である。

 アリスはこの段階になってようやく、自分自身の立ち位置がある事を自覚した。一度あっけなく崩壊してしまったそれは、ユーナの鏗戈を経て、また足元に作られつつある。その上に立って、妖精騎士になると決めた事。それはこれからの身の振り方を決断する事に他ならない。

 決めていたはずだった。だが、やはり一言に決める事が出来ない。

 それが顔に出たのだろう。ピブルが優しく語り掛けた。

「アリス様。どうやら、何事かをお悩みのご様子。我々、いえ、私で良ければ聞きましょう」

 アリスはピブルの顔を見た後、一度俯き、ゆっくりと瞬きをしてから答える。

「あっ、あの! わたし、これからどうすれば良いのか、決めかねていて……いえ、昨日の夜には決めていたはずなんです。でも……」

「ふむ……」

 どうして欲しいのか、それは、解っているつもりだった。この霊樹の森、騎士が居ない西の森に生まれた航空戦力ユーナ。そしてそれを操れる者。まだ誰も口にしては居ないが、アリスに求められているのは騎士としての振る舞いである事は、解っている。

 そしてそれは、アリス自身が決めたと、決めたと思っていた事でもある。そこに迷いが生じているのだ。騎士になるか否かではなく、騎士になれるのか、という迷いだ。

 眠る前には気にしていなかった。だが、この場に居る多くの妖精達を前にして、それが揺らぐ。騎士として皆を護ると言う事がどういう事なのか、判り易く目に見える形がここにはあった。この場に居る多くの生命を護れるのか。

 そして、自身の心を失い、身体をばらばらに分解して武器とする、それこそ決死の覚悟とも言える鏗戈をしてまで、護りたいと言う意志を貫く妖精達。騎士として、鏗戈した妖精の意志を受け止め揮う事が出来るのか。

 フィヤが横になっている籠を左手でしっかりと抱え直す。空いた右手を、ユーナの陶磁器の様な白い表面にそっと当てた。冷やりとした感触が手の皮膚を伝う。

「ユーナは、これからどうしたい?」

 言ってから、その答えは解り切っている事に気付く。

「私はこの森の皆を護りたいと思ってる。鏗戈をしてこの身体になったから、そうしたいよ」

 右手を離す。そう、ユーナは決心も覚悟もしているのだ。鏗戈をしたあの時から。

 籠の中のフィヤが呼ぶ。

「あの、アリス様」

 アリスは目線を下げて、籠の中を見た。優しく微笑んでいるフィヤの顔を見て、アリスは自分自身が険しい顔付きになっている事に気付いた。

「迷ったままでも良いではありませんか」

「え……?」

「大きな決断をする、生き方を定める、それは一朝一夕で出来る事では無いと思います。ましてや、アリス様はこの状況に追い込まれ、立たされた人間です。迷って当然です。なら、迷ったままでも良いのではないですか?」

「それは……」

 アリスは右手で自身の口元を触れる。何かを言おうとして、それが上手く言葉に纏まらない。頭の中にある考えを上手く纏める事が出来ない。

 妖精騎士になると決めていたはずだった。

 だが、アリスは自分の生き方を決めてはいなかった。もっと自分の根底にあるものを自覚しきれていない。

「えっと、でも」

「アリス様がどうしたいかは、アリス様の自由のはずです。アリス様は今、どうしたいですか?」

 そうやって微笑みつつ問いかけるフィヤの姿。四肢の半分以上を失い、飛ぶ事も立つ事も出来ないその姿。一瞬その姿を自分に置き換えて、寒気が走る。黒い竜の呪猖が炎を吐こうとしたあの瞬間を思い出す。

 原始的な死にたくないという欲求。既に元の世界で死んでしまい、死霊となって存在しているアリスだが、死を恐れなくなった訳では無い。

 アリスは死霊としての生き方、在り方をしらない。

 頭の中で纏まっていなかった考えの中から一本の答えが紡ぎ出される。

 フィヤの真摯な瞳に、吸い込まれる様にアリスは答えた。

「どうしたいって……それは、生きていたい」

「私もです。アリス様と、ユーナと、森の皆と生きていたいと思います」

「あと、ユーナと……皆を護れるなら、護りたい……と思う、けど」

「ならば、それで良いではありませんか」

「でも――」

 それは、余りにも中途半端なのではないか、とアリスは自分自身に問う。

 妖精騎士は、鏗戈で身を変じた妖精の意志を継いで、それを揮い戦う。鏗戈をした妖精であるユーナの、この森を護るという、はっきりとした意志を前に、アリス自身は余りにも未熟で幼稚に思えてしまう。

 そうあろうと決めた事を、目前で二の足を踏む。恐れてしまう。

「――そんなあやふやな考えで、それは、騎士なの?」

 アリスの迷いに、フィヤは力強く頷いた。

「勿論です。アリス様は私を護ってくれました。だから私にとってアリス様は騎士です」

 そう断言して、残っている右手で口元を小さく抑え、悪戯っぽく笑って続ける。

「先代のオエゴーエブ様なんて、普段はお酒を飲んで家の前で日向ぼっこをしながら、そのまま寝てしまう様な人でした。それでも、オエゴーエブ様は騎士でしたから」

 その言葉にピブルが続けた。

「迷いを断ち切る事は容易い事ではありません。ならば、迷いながら在り続けるのも人でございましょう。鏗戈した妖精を揮うその重さが辛いと思うのも当然。それでもアリス様が妖精達の為に悩み、立てるのであれば、それは騎士と呼べるものでございましょう」

 アリスは再び両手で、籠をしっかりと抱えた。籠に自分自身の重さを託してしまうかの様に。そしてピブルに、フィヤに、ユーナに、周囲の妖精達に向かってアリスは聞く。

「わたしは、まだ、全然……騎士として生きていく決心も、心構えも出来ていなくて。でも、生きていたい。ユーナと一緒に飛びたい。この森の皆を護れるなら、護りたい」

 アリスはゆっくりと顔を上げた。口をもごもごと動かし、次の言葉を上手く紡ごうと必死になる。そうして、しっかりと一言を紡いでいく。

「わたしは、きっと、多分、騎士の真似事しか出来ないんじゃないか、って。竜の呪猖には勝ったけど、次は解らないし、戦い方もよく知らない……です」

 目線を下にずらして、目を瞑る。

「間に合わない時もあるかもしれない、です。フィヤみたいになってしまう子も……」

 守護の樹の洞に立っていたピブルが、透明な翅を振るわせて、薄い金色の髪と薄布を靡かせながらアリスの前へと舞う。

 ピブルは琥珀色の瞳で、アリスを見た。

「それでも構いません。迷いながらでも、真似事でも。アリス様がそうと決めた事ならば、それは紛い物とはなりません。アリス様はどう生きたいですか? きっと、我々はその生き方を受け入れるでしょう」

「わたしは」

 アリスは、大きく深呼吸をした。傍らのユーナの白い機体を目に留め、両手に抱える籠を通してフィヤを感じながら。迷いながら、決心もつかないまま。今はそれでもいいのだと、妖精達に手を取られながら。

 しかし確かに今、自覚した自らの小さな足元から、確実な一歩を踏み出したのだ。

「わたしは、妖精騎士になりたいです」


   ◆


 守護の樹の広場には多くの妖精が集まり、ユーナを中心に輪になっていた。何人かの妖精がユーナの正面で踊る様に舞い飛び、手や翅から光の粒子を煌めかせ、地面に振り撒き仄かに照らしている。

 すると、光の粒子が零れ落ちた地面から青々とした蔓が伸び、小さな葉を付けつつ伸び上がっていく。それが複数。妖精が踊る度に蔓が地面から生え、伸び、互いに絡まり合って一つの塊になる。

 そうして数分の後に、蔓で編まれたアーチが完成した。さほど大きなものではなく、アリスでも潜るのに少し頭を下げる必要がある程の小さなものだ。

 アーチを中心に北側にユーナが駐機しており、その傍らにアリスが立つ。アリスは両手でフィヤが横になっている籠を持っている。そして周囲には多くの妖精が集う。その状況が完成すると、女王の側仕えの妖精達に囲まれていたピブルが飛び、アーチの上にすっ、と乗った。

 ピブルは胸元に手を当てると、片手を上げてアリスとユーナを示した。太陽を背にしたピブルの透明な二対四枚の翅が煌めき、纏う薄布に刺繍された金糸がきらきらと輝いて、一種の幻想的な光景を作り出していた。蔓のアーチはつまり、その様な演出をする為の舞台装置なのだ。

 その中で、ピブルは歌う様に宣言した。

「それでは。ここに新たに生まれる妖精騎士(アエイーア・エウエクン)の騎士叙任式を始めましょう。――アリス様、私の手が届く位置まで来て頂けますか」

「えっ、はい!」

 何をすれば良いのか判らず呆然と立っていたアリスは、ピブルが小声で呼んだ事で身体をびくりと跳ねさせながら一歩前へと進んだ。蔓のアーチのほぼ目の前、ほんの少し踵を上げればピブルに頭が触れる位置だった。

 緊張して動きが硬いアリスに、籠の中からフィヤがそっと助言する。

「アリス様、騎士叙任式と言っても、妖精のやり方ですから。力を抜いて、女王様の言葉を聞けば大丈夫ですよ」

「う、うん。解った」

 ピブルは右手をアリスに差し出した。

「お手を取って下さいまし」

 アリスは籠を左手で抱えて、右手を差し出し、小さなピブルの手を取った。陽光の様に、とても暖かい手だった。

「アリス様。あなたは鏗戈した妖精ユーナの意志を継ぎ、その力を揮い、我々妖精と霊樹の森に住む生物を、呪いの脅威より護ると心に決めました。間違いはありませんね」

「はい。あ、あの、わたしで良ければ……!」

 ピブルが微笑む。

「勿論です。では……。霊樹がもたらす全てがあなたの加護となりましょう。例えあなたが膝をついたその時も、霊樹と西の森の妖精はあなたを支える翅となりましょう。星渡りの旅人であるアリスよ。西の森のピブルがあなたに妖精騎士の称号を授けます」

 ピブルは両手でアリスの指先を包んだ。ピブルの翅から、ふわりと光の粒子が舞う。ピブルが歌う様に告げた。

「アリス、イピィティヴクス・アスジェブウォージェ。ピブル・ヴァンユ・アスジブファーユ ヴィズユ プジ ビクト フスグ オジルカル ハ アエイーア・エウエクン」

 それは妖精の、この世界の言葉なのだろう。アリスには意味が伝わらないと言う事は、儀式的な文言、呪文の様なものなのだ。

 短い言葉の調べは、不思議とアリスの身体の中に入り、馴染む様な感触があった。ピブルが放つ光の粒子からも、温かさの様なものを感じる。

 ピブルの翅から放たれていた光の粒子が収まる。その長い睫毛を震わせて、アリスをそっと見つめる。

「これで、アリス様は西の森の女王である私と契約を結んだ、妖精騎士となりました」

 周囲から、わっと歓声が上がる。称賛の声、感謝の声、単純に大きな声を上げる者、拍手をする者、やはり妖精達の動きは各々によって違う。しかしその誰もが、アリスが妖精騎士になった事を歓迎していた。

 傍らに佇んでいたユーナも、アリスに声をかけた。

「おめでとう、アリス! あのさ、辛かったり、さっきみたいに迷ったりしてもさ。私はこうして喋れるし、フィヤも女王様も居る。皆、一緒にいるから……」

「うん。改めてよろしくね、ユーナ」

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