第5話 秋祭りとかいうチャンス
太郎は忘れていたが、秋祭りがあるらしかった。
もう小学校を卒業してから一度も行っていない。行っても、不良どもにカツアゲされるのも嫌だったし、お祭り価格という言葉を親からさんざん言われ、確かに、普段なら百円で買えるかき氷が、なぜか五百円することでうんざりしたからだ。
だが、今年はその秋祭りに行くことになりそうだった。
ことの発端は畠山だった。
「山辺ぇ。お前んところの、涼掛神社? 秋祭り、今週の土曜らしいな?」
と言ってきたのだ。
畠山はこういう祭りが好きで、祭り価格を説明しても、「それでも買うのが男気ってもんだぜ、兄さん」という奴で、あちこちの祭りに顔を出しているので、当然太郎たちの近所の祭りも把握済みで、
「なぁ、行こうぜぇ」
と誘うのだ。毎年行く気はないときっぱり断り、畠山は誰かほかを誘って行っているか、もしくは、一人で行っていると思われる。
「お前って、本当に好きだよな」
太郎の言葉に、畠山は力いっぱい頷き、
「どこに出会いがあるか解らんぞ、充実した高校生活、あと少しだ。送れるかもしれないじゃないか」
太郎が苦笑いを浮かべる。
「何の話し?」
深雪が手にカセットを持っていた。
「秋祭り、行こうって、山辺ぇを誘ってるとこ」
深雪が通りかかった梓にそれを渡していたので、借りていたものを返しているのだろう。
その深雪も畠山の話に乗っかり、
「あたしも行く。ねぇ、みんなで行かない? うちの近所の秋祭り」
深雪の声に、土曜日の予定のないものが挙手をして、一応みんなが知っている太郎たちの近所のコンビニ前が集合場所になった。
なんで、毎年行かないのに行かなきゃいけないんだ。とふて腐る太郎をなだめるように深雪は笑う。
「あたし浴衣着る。他に着て来る人いる?」
深雪の言葉に数名が一応持っていると言い、
「じゃぁ、私も、浴衣着ようかな」
と梓が言った。
「じゃぁ、浴衣着てこれる人は浴衣集合ね」
深雪の一言で決まった。
土曜日の秋祭りに行くというと、母親はかなり驚き、「祭り価格」の話を始めたが、
「俺だって行きたくて行くわけじゃないから」
と言っておいた。
楽しみなのは、梓の浴衣姿で、深雪の浴衣もどんなものか楽しみではある。だけど、毎年行っていないのに、今年に限って深雪が行こうというのが不思議だ。……去年は誘われていないから、誰かと行ったんだろう……。たぶん。
楽しみにしているからか、畠山ではないが、
「土曜日までが長い」
まだ水曜日だ。
まだ木曜日だ。
ようやく金曜だが、待ちくたびれて疲れた。
といった風に、土曜日になってからは、
「まだ、朝の十時だぞ?」
と畠山が詰め寄る、「そうだな」と返事をする。
畠山は頭をがしがしと掻き、
「あっという間に放課後―。とか言うやつにならんかね? しかも、どうしたわけだか、土曜の授業って、古文とか、倫理とか、化学って、どんだけ疲れる授業続きますかね? ええ? そんなもの受けていたら、祭りに行く気力が失われますぞ? そう思いませぬか? 山辺ぇ殿?」
なぜに、殿? という顔をする太郎を放って、畠山は大げさに、時計に手を翳し、
「時間よ、あっという間に過ぎろ」
と念じている。
やっぱり、畠山が馬鹿なおかげで、太郎は少しまともだと思う。
この時代、土曜日は四時間目まで学校はあった。いわいる半ドンという奴だ。懐かしい土曜日のあの昼で帰り、昼食を家で食べる。独特の心象風景が懐かしい。
土曜日の昼はだいたいがチャーハンだった。手早く作れて、母親のレパートリーで多分一番食べた気がする。
太郎の母親のチャーハンにはキャベツが入る。しかも、芯のところが。細く切ってくれていればいいが、カレースプーンほどの大きさのままごろっと入っていて、それが火の通りが甘く、「キャベツです」と主張するのも、土曜日だと思わせた一つでもあった。
太郎は四時になったので近所のコンビニ行くために家を出る。
「タロちゃん」
声に隣家を見れば、浴衣姿の深雪が立っていた。髪はポニーテールのように高く結び、それをくるりと御団子にし、いつ買ったのか、かわいらしい髪飾り、かんざしを挿していた。
浴衣が、濃紺地に花火の色鮮やかなもので、何となく深雪らしかった。
「似合う?」
「はいはい」
適当に返事をする太郎に「照れるな、照れるな」という深雪。
二人がコンビニに行くと、畠山を含め数人がいた。
「足がいたぁい」
という浴衣を着なれない女子に、深雪はしゃがみ、鼻緒が当たる部分に絆創膏を貼ってあげた。
「深雪ちゃんて、お母さんみたいね」
「よかった。おばあちゃんの知恵袋って言われなくて」
女子がころころと笑う。祭りに行く人がそれを見て、女子の浴衣姿はいいとか、男子生意気。などと言って過ぎる。
「遅くなってごめんなさい」
梓と松山と、そのほか数名がやってきた。
梓の浴衣は白地で、朝顔の赤と紫が鮮やかなものだった。まとめた髪はきちんと結わえあげられていてきっちりとしていて梓っぽい髪型だった。
「塾だったけど気になって、来ちゃまずかったか?」
という松山に女子がウキウキしだす。
結局梓の浴衣姿を観たかったんだろう。と太郎は思いながら、
「全然、みんなで楽しもうぜ」
と返事をしたのは畠山だった。
鈴掛神社はそれほど大きいわけじゃない。地域の鎮守なので、顔見知りによく会うはずなのだが、高校三年で来ている奴はいないのかもしれない。
皆が露店へと行こうとするのを、「参拝してからにしよっ」と言ったのは深雪だった。
お賽銭の五円玉を持ってきていたのも深雪だけで、しかも相当数の数を持っていた。それを皆に分け与え、参拝の仕方もきっちりとしていた。
「深雪ちゃんてよく知ってるのね」
という女子に、「あたし、けっこう、神社仏閣好きなのよ」と深雪は笑った。そして、
「夢はね、日本中の神社仏閣をめぐって、願いをかなえてもらうのよ」
「願いって?」
「幸せになること!」
と、幼稚園か、保育園児かぐらいの回答をして場を和ませた。
「でもね、本当に、そんなことで幸せが手に入るなら安くない?」
といった深雪の言葉は、イカ焼きのいい匂いに消され、太郎にしか届かなかった。
「タロちゃんも食べる?」
深雪がたこ焼きを差し出す。太郎は迷うことなくそれを一つほおばる。
「君たちは仲がいいね」
松山が深雪と太郎に言った。
「幼馴染なんで」とたこ焼きの熱さと戦いながら答える。
「それにしたって、仲いいじゃないか」
「松山君にはそういう、彼女的なのは居ないの?」
「いないわけじゃないけど……、ねぇ」
深雪が松山をじっと見つめる。
「な、何?」
「そういうときには、誰と言わなくても、居るとはっきり言って欲しいものよ。彼女的には」
といつになく冷たく言い切った深雪に太郎までもがドキリとした。
「もし、私が彼女なら、さっきの言い方、すごく寂しい。みんなに紹介できないけど、好きな人は居るよ。って言われたら、彼女だけは幸せだわ。少なくても彼女だけは。あなたに片思いの相手はショックだろうけど」
深雪はそういってたこ焼きをほおばる。
「……、君もショック?」
「なんで? まったく、全然ショックじゃないわ。私あなたのような人好きじゃないもの」
深雪の言葉で、祭りの雑踏がすべて消えるような気がした。
「なんで? みんなに好かれなきゃいけないの? そりゃ嫌われているよりは好意を持ってもらいたいのは解るけど、ただ一人の人にモテさえすればいいじゃないの? 違う? 私は彼だけ、彼も私だけ。それのほうがよくない?」
「いや、まぁ、正論ですがね、」
畠山が思わず口を出した。
「正論ですよ。正論ですが、もてたいわけですよ。ハーレムしたいわけですよ」
「あぁ、なるほどね。そうね。そういう意味では私も逆ハーレムしてみたい」
深雪と畠山の能天気な会話に、顔をひきつらせながらも皆が笑う。笑っていないのは、様子を見ている太郎と、松山と、梓だけだった。
金魚すくいをするという女子に付き合い、太郎たちはその後ろで立ってみていた。深雪も太郎の隣に立って、「おっしぃ」とか言っているが、
「金魚とって、飼える自信ないからやらない。万が一、取れちゃっても責任取れないもの」
と言った。女子たちはそもそも取れる気配がないほどひどく不器用で、だが、男子も同じくらい金をその水の底に捨てたようなものだった。
「それで、山辺ぇの家ってどっち方面?」
結局歩き疲れただの、足が痛いだの、人が多すぎて疲れただので、神社の外、少し広くなっている場所に集まり、買ってきたアイスクリームや、ワタアメや、焼きそばなどをみんなで食べることにした。
「向こう」
焼きそばが口に入っているので、顎をしゃくったが、畠山は解らないというので、箸を持った手を振る。
少し上向きで、後方に振った拳が柔らかいものと接触した。
「ご、ごめん」
「やだぁ。焼きそば、もったいないぃ」
という女子。裏拳が当たって驚いた梓。太郎は当たったのが梓の胸だと判ると、驚いて立ち上がり、食べかけの焼きそばを見ごとに落とした。
「何やってんの? もう」
深雪が鞄からレジ袋を取り出し―なんで持ってるんだか?―落ちた焼きそばを拾い、
「タロちゃん、まわり見て。大体、箸を振り回さないと食べれない焼きそばってどんなんよ」
という言葉に、女子も、急に立ち上がり、焼きそばを落とした太郎に嫌悪の顔を見せる。誰も、梓の胸を裏拳で叩いたところは見ていないようだった。梓も、それに触れられたくないように、「大丈夫」と短く言い、女子のほうに行った。
「ごめん」
太郎はしゃがみこんだ。
秋祭りは楽しく終了した。太郎以外は。
梓は家の方向が同じ畠山たちと帰っていき、松山は家の方向が同じ人たちと、それぞれ別れて帰った。
太郎と、深雪は並んで歩く。祭りから帰っている人が数人いて、楽しかったとか、いろいろな会話が聞こえそうで聞こえない程度だった。
「松山君、怒ってたね」
梓の胸を叩いてしまった後悔と、その胸の柔らかさを考えていた太郎は急に現実に戻る。
深雪の言葉に、松山に対して失礼なことを言ったと、一応気にしていたのかと返事をする。
「だって、松山君が、お茶を濁した時、あれ、絶対、俺ちょっとカッコよくない? みたいな感じだったから余計に腹立ったんだけど、あの時、野原さん、すごく寂しそうな顔をしたのよ?」
太郎だって気付いていた。はっきり名指ししないまでも、彼女がいると言ってくれたら、松山に告白する人は居なくなり、安心できるだろうに、なぜはっきりいると言わないのだろう? 相手が誰だと詮索されたくないのは解るが、居るのだろうから……(と考えると自分がみじめになる)。
「タロちゃんには悪いけども、あたしは女だからよく解るのよね、彼女いないようないるようなって、あいまいだと、いろんな女子が寄ってくる。その中で、彼の好みが現れたら、別れることになる。そんなの、いやだもの。はっきり、居るって言って欲しいなぁって。たぶん、女子ならみんなそう思うわ」
「そうなのか?」
「……じゃぁ、例えば、あたしとタロちゃんが付き合ってて、」
「なんで?」
「例えば」
深雪のすごみに思わず頷く。
「付き合ってて、あたしに男が寄ってくる。彼氏いるの? って。そこで私が、うーん、居るというかぁ、居ないというかぁ。って返事したら?」
「そりゃ、だめだ」
「でしょう? そういう時は、ちゃんといます。って言って欲しいでしょ? おんなじことよ」
太郎はなるほどと返事をする。
深雪が松山のどこを嫌っているのかよく解らないが、太郎も松山のことはあまり好感を持てないでいた。一年のころから美男子だとかで、モテていた。勉強も運動もできる、完璧にモテ男だ。それが鼻についた。自分の無能さを棚上げしていることはこの際目をつぶる。
「だからね、頑張ってね」
「何を?」
「松山君から野原さんを奪うのよ」
「はぁ?」
なんでそうなるのか意味が解らないし、深雪自身が、梓は松山のことが好きだと言っていたばかりじゃないか、そんなに想っている相手をこちらに向かせるほど、太郎に特典はない。
「大丈夫。タロちゃん、いい人だから」
太郎は根拠のない言葉に苦笑いを浮かべるだけだった。
「それで? 野原さんの胸、どうだった?」
「はぁ?」
思いのほか大声が出てしまった。周りを歩いている人が振り返る。
太郎は深雪のほうを見た。
深雪はまっすぐ前を向き、表情は変わっていない。変に茶化している風でも、怒っている感じでもなかった。
「意味わかんねぇ」
太郎は走り出した。
あのまま居ても、とぼけていることはすぐにばれる。感想を聞かれて、畠山になら言えるかもしれない。いや、言えるだろうか? 突発的な事故だ。感触を楽しめるほどの時間はなかった。でも、それでも、やっぱり、柔らかかったそれを、一番言いたくない相手になど言えるわけない。
太郎は家に飛び込み、玄関を後ろ手で閉めた。
「太郎? 弥生―妹―がまだだから、鍵はいいわよぉ」
「解った」
「ごはんは?」
「焼きそばとか食べた」
「じゃぁ、お風呂入っちゃって」
「解った」
母親は顔すら見せずリビングから大声で話しかけた。それはとてもありがたいと思った。今、太郎の顔を見ると、何かあったであろうと判るだろう。
すぐに風呂場にいって鏡に映った顔は真っ赤で、けっこう、目が血走っていたからだ。
(それにしてもだ……、なんで深雪に一番言いたくないんだろうか? べつに言ったところで何かがあるわけじゃないのに)
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