Absolute03

【帰還──大原則と経験則の軋轢】

EP10-01





「そんなの、私も行くに決まってる」


 一夜が明けた。ティーダと私たちのやり取りを聞かされたホムラが、エリア096へ同行したいとクレアに強く訴える。自らの選択リベラルが私を傷付けてしまったことへの責任感や後悔。それからナギさんを見つけ出せるかもしれないといった期待や焦燥。様々な感情がその表情に浮かび上がっていた。


「まぁ、そう言うだろうとは思ったよ。朝食に眠剤を混ぜておいて正解だった」


 無理やりベッドから起き上がろうとするホムラを制しながら、クレアは強かに告げた。食事に睡眠導入剤を盛ったというのは、クレアのはったりではない。昨晩に行ったミーティングで、私たちはホムラを置いていくと決めていたのだ。


 ホムラの震える瞳が、事の真意を私に問いかける。


「ごめんなさいホムラ。眠り薬の話は本当だよ。あなたの性格を考えれば、私たちの反対を押し切ってでも同伴しようとするだろうって──。みんなが同じ意見だったの。ホムラはサヨさんの看病の元でその左腕を治さなくちゃ、今はそれが最優先」


 ホムラが同伴を求めることは、予測されて当然の行動だった。クレアだってサヨさんだって、彼女の誠実な性格を深く理解し、そして慕っているのだから。


「ねぇエリカ。愚かな私には、キミに何かをとやかく言う資格なんてないよ。だけどそれでも、ここまで来て置いてけぼりにされるなんてさ……、なんだか寂しいね」


 するとホムラは、私たちが予想だにしていなかった行動を取った。自分の右手を喉奥まで突っ込んで、薬剤を朝食ごと吐き出そうとしたのだ。


「クソっ、お前の中身はどこまでガキんちょなんだよ!」


 動揺したクレアが慌ててホムラを取り押さえる。傷口が開いてしまったのか、ホムラは苦悶に顔を歪めた。遠巻きに私たちを見守っていたサヨさんが、蒸しタオルを片手に素早く駆け寄ってくる。


「良いアイデアを思いつきました。聞き分けのないホムラを拘束具で繋いで、お世話を私がするというのはどうでしょう?」


 ホムラの額に浮かんだ脂汗を優しく拭き取りながら、氷の声音でサヨさんは言った。私たちが一瞬にして青ざめる中、背後から陽気な声が響く。


「そのお役目、是非とも俺にやらせてくれないかな。ホスピタリティに溢れる俺だからこそ、ホムラの介護を立派に果たせると思うんだ」


 親指をぐっと突き立てるテラは、この場にいる女性四名から軽蔑の視線を集めていた。彼は心底不思議そうな顔をして、渾身の冗談ジョークの出来に首を傾げている。


「もしかするとコイツは、蔑まれて喜ぶ子豚ちゃんなのか?」

「ありえなくはないかも。そもそも最初からそれが目的で、だとしたら救えない……」


 極めて深刻な様子で問いかけるクレアに、ホムラはひそひそと答えた。テラに浴びせる軽蔑の視線が、哀れみを含んだものへと徐々に変化していく。


「えっと。なんだか俺を見る目が痛いんだけど?」


 天から与えられた眉目秀麗の、何もかもが台無しだった。サヨさんはテラなどに最早興味ナシといった様子で、ホムラの軟性ギプスの調整に取り掛かっている。


「クレアちゃんもエリカさんも、包み隠さずに話しました。あなたに嘘をついて置いていくわけでも、黙って旅立とうとしているわけでもありません。それが最大限の誠実だと理解できないほど、あなたは子供ではありませんね?」


 諭すようなサヨさんの口調に、ホムラはしおらしく頷いた。


「……クレア、どうかエリカをお願い」

「ああ。ついでに神奈木のことも頼まれてやる」


 クレアの芝居がかった横柄さは、せめてもの照れ隠しに映った。いつだって偽悪的であろうとする彼女は、別れの言葉も告げずに医務室を出ていく。


「じゃあ、私も行ってくるね。ホムラはちゃんと安静にしてて。私たちはね、あなたが退屈しないようになるべく早く帰ってくるよ」


 胸を張る私に、ホムラが微笑みを返した。彼女の表情を見ても、いつの間にか"私と瓜二つだ"なんて思わなくなっている自分に気付かされる。こうして何度だって生まれ出る自己同一性アイデンティティを──、そのひとつひとつを大切に抱きしめながら私は生きるのだろう。


「覚悟しててね。研究所ラボに戻ってきたら、あなたがうんざりするくらい騒がしくしてやるんだから」


 私はそう言って、少しだけ寂しそうなホムラに背中を向けた。この胸の奥底で軋む心を悟られないように、うまく笑えていただろうか。


 廊下に出ると、曲がり角にクレアの姿を見つけた。だらりと壁にもたれかかっていた彼女は、私を見つけると無愛想に片手を上げる。さりげなく私を待っていてくれるその優しさが、とても愛おしい。


「お待たせクレア。観光ガイドを、あらためてお願いするね」


 そうだ。クレアは必ずこの地に戻ってくる。

 けれど私は。

 私はもう一度、この場所に戻ってくる自信がないのだった。


 アンが本当に。

 本当に百年後の孤独プロミスド・アロンに怯えているのだとしたら。

 そんなアンを目の前にして、今の私は彼をもう一度ひとりぼっちにできるはずがないのだ。


 私はきっと、ホムラとの約束を果たすことができない。

 この研究所ラボを騒がしくしてやるだなんて、その言葉はきっと嘘になってしまう。

 

「バカかお前は。最後になるかどうかは、これから決めるんだよ」


 大仰な溜め息を吐き出しながら、クレアが何かを差し出した。見やればその手のひらには、彼女のトレードマークでもあるキャラ物の髪飾り子供じみたブローチが乗せられている。気怠そうな眼差しをした、パンダとコアラを掛け合わせた滑稽カリカチュアなキャラクター。どう見たって子供向けのデザインであろうそのマスコットは、いつだってクレアの頭の上から私を見ていたのに。


 突然の行動に戸惑う私に、クレアが素っ気なく言う。


「無期限でお前に貸してやる。俺の妹の形見だ。大切に扱わないと殺すからな」

「……え?」


 さらりと衝撃的な発言をするクレアに、素っ頓狂な声が出てしまった。


「そんなに驚くなよ。妹って言ってももちろん、血は繋がってねーから」

「そ、そういうことじゃなくてさ」


 困惑する私に構わず、クレアは私の後ろ髪を手早く結い上げて髪飾りブローチで留めた。フロントやサイドにしなかったのは、私が仮想投身器サークレットに頼る展開も考慮してのことだろう。


「あ、ありがと。クレアの妹さんは……その、どうして?」

「俺が殺した。これは比喩じゃない。それから、これ以上の質問は受けつけない」


 頭を掻き乱しながら、クレアは答えた。もしかすると、妹さんの話を私にしてしまったことをすでに後悔しているのかもしれない。


 私はといえば、不思議と落ち着きを取り戻していた。妹さんをその手で殺したと聞かされても、クレアを恐怖する気持ちは微塵も湧き出てこない。だってクレアのことだ。どう考えたって、そこには悲しい事情があるに違いないのだから。


「さぁ、行くぞ。それとも日和ひよったか? 人殺しに観光ガイドは任せられないというなら、俺は一人で神奈木を探しに行くが」


 私に拒絶されるリスクを冒してまで、クレアはこの場所に帰ってくる理由をくれた。後頭部に留められた髪飾りブローチの重みが、私の不安や憂鬱を和らげてくれる。


「ううん、そんなわけないじゃない。だって大切な髪飾りブローチを貸してくれたってことは、命がけで私を守ってくれるっていう意思表示でしょう?」

「ったく、本当にお前ってヤツは、一体どこまで図々しいんだよ。まぁいいさ、前向きだけが取り柄のお姫様チャーミィだ。俺が必要だろ? 行こうぜ」


 クレアはひとしきり笑ってから、前を向いて歩き出した。その背中に抱きつきたくなる衝動を堪えて、私も後ろに続く。




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